旅の空から
ラインライン

イギリス
★2004年のイギリス旅日記はこちら
★2005年のイギリス旅日記はこちら

2003年12月15日(月)、晴れ、14℃
ロンドン

今年のこの専門学校の海外研修はバス2台でT/C1名だった。パリが無くなり、ロンドンだけのstayで1泊少ない。5名の先生方の中、昨年もご一緒させていただいた2名の先生も自費でいらしていた。ホテルは昨年と違い、ハイドパークや最寄の駅にかなり近く、部屋もきれいで気に入った。スタッフも全員がフレンドリー。きっとまだ横柄で嫌な日本人と会ったことがないのだとうと思う。そのいいイメージを持続していけたらいいのだが・・・。今回はロビーで煙草を吸って煙がもうもうとしていて、何度か注意を受けたのを除けば、合格だろう。
オプショナルの集計表に名古屋や大阪の学生の最後の申し込みが漏れていた。たまたま2日目にホテル近くのインド料理屋さんで、聞いてみて発覚。その夜日本の支店へFAXし、メールして、確認作業をした。支店の始業時間には電話で問い合わせ。結果、学生さん達の申し込みと入金確認の結果を表に反映し忘れていたようだ。さ〜、大変だ。遠出のバスの席が足りないかもしれない。ミュージカルのチケットが4枚取れるかどうか。コンサートの2枚も・・・。ミュージカルも同じブロックで席を取らないと不公平となる。結果はすべてOKとなったが、コンサートが満席でダメ。先生と私の分を譲ることにして、解決した。会場へ案内して、私の分はダフ屋さんから買って入場、学生さんの帰りのケアーをした。視察はラジオ局がなくなり、国立劇場のバックステージ・ツアーとレコーディング・スタジオは昨年と同じだったので、問題なし。一人なので、毎晩学生さんのケアーがあり、忙しかった。ツアーデスクの張り紙も夜に書いて、朝張り出し、出かける時には翌日のも貼って出たり・・・。それでも最後の完全自由研修日には私も少し時間が出来た。朝はオプショナルのコッツウォルズへの送り出しをし、希望者をビートルズのジャッケットの撮影場所となったアビー・ロードへご案内した。そして、バスで市内へ戻り解散してフリーとなった。ピカディーリー・サーカスの「Japan Center」30分2ポンド(400円弱)でメールのチェックをし、掲示板の書き込み後、本屋さんへ寄ってホテルのある街へバスで移動した。13時過ぎていたので、食事をする予定で歩いていたら、インターネット・カフェを発見。入ってみると30分で50ペンス(100円弱)1時間で1ポンドと安いので、また坐ってしまった。ロンドン、ドイツ、カルフォルニア、日本とインターナショナルなチャット後に、昼を食べたのが2時半だった。それから、帰国の準備して、コッツウォルズへ行った学生さんたちを出迎え、食事の案内して終えた。

ヴァッキンガムの衛兵交代式 宮殿の前に進む衛兵行進 ロンドン名物2階建てバスの
2階の最前列に乗って・・・
コヴェント・ガーデン ミュージカル「れ・ミゼラブル」会場 ハイドバークの
マーブル・アーチ
アビーロード スタジオとあの横断歩道 交差点に立つ記念碑を入れて




2003年11月15日(土)、晴れ、10℃
ロンドン

今回は各地で入れ替わりの多いツアー。今日のロンドンへは成田空港での受付が16名様。名古屋からの2名様とは機内でのミート。関西空港からの4名様は2時間早めにロンドンへお着きなので、ホテルでお会いした。出発前にお電話でそのお話をしてはあるが、やはり不安だったに違いないと思う。合計22名様。パリでは更に12名様が日本からいらっしゃる。今回のツアーではパリで最大34名様となる。その後はパリからお帰りの方々が6名様のため、ローマでは28名様となる。最後のフィレンツェまで行かれる方は8名様。日本への帰国は6名様と一緒。2名様は1日延泊される。この中にはコンダクター付きのフリープランの方もある。市内観光などほとんどが入っていないコース。合わせて、6コースの方々のコンダクターとなる。
飛行機は午後の便だったので、B777でかなり空席が目立ち、中央の3席を独占出来た。お客様にもその旨お話して回ったが、9組のうち6組が新婚さんなので、離れることはなかった。少し、食事の内容が変わっていた。それでも毎回持って乗り込む小型のカップ麺。今日は○いき○ねにした。機内では受付でいただいたお客様の調書で名簿作成。ホールセラーは機内でT/Cがこんなことをする。タッッグもT/Cが手書きとなる。受付でお会いするまでは、ローマ字のお名前とご挨拶用の電話番号しかわからない。漢字でのお名前や住所、パスポート番号、誕生日などがやっと受付でわかる。それを機内で名簿作成し、ホテルなどで提出。その後は横になったり、映画を見たり。今日は「ブルース・オールマイティ」「キューティ・ブロンド・ハッピーMAX」「チャーリーと14人のキッズ」を見た。どれも・・・^^; 先日見た「ミニミニ大作戦」はイタリアが舞台のミニ・クーパーの活躍するドキドキ・アクション映画だった。そして、「ロイヤル・セブンティーン」「10日間で男を上手にフル方法」「チャールズ・エンジェル・フルスロットル」「N.Y.式ハッピー・セラピー」「ザ・コア」などを見た。また来月はプログラムが変わりそうで楽しみ。
空港へ降りる前に夜景のきれいなロンドンの街が見えた。18時到着し、空港を出たのが、18時50分。そして、ホテルには19時25分到着した。関西空港の方とお会いできたのが、20時半前後。こちら2組も新婚さん。パリからのカップルはたぶん全員新婚さんと思われる。
明日は8時半出発。市内で3名様の他のコースの方をピックアップしてから市内観光となる。耳太郎が重かった。パリから入る12名様分と予備とで15個+送信機2個ある。昼食語はフリーだが、明日は日曜日で、SHOPも閉まっているので、オプショナルのウィンザー城が売れそうな予感。
モバイラーツアコンのShinkoさんと、11月17日11時半に大英博物館で会えました。鹿児島の高校生と修学旅行でいらっしゃっていました。Shinkoさんの左手にはメガホンが・・・。掲示板のアイコンのルンルンおばちゃんのイメージはまったくなく、細くて可愛い方でした。左のようにお下げ髪でしたよ!



2003年11月05日(水)、晴れ、16℃
ロンドン
(画像だけUP)

国会議事堂とテムズ川 ビッグ・べン 国会議事堂の
警備のポリス・マン
黄葉のロンドンの街
ヴァッキンガム宮殿 衛兵さんはもう冬の
ユニフォーム姿
宮殿前 電話・ボックスと黄葉
ロンドンの中心地
ピカデリー・サーカスの
エロスの像
16時のピカデリー オペラ座の怪人劇場前 ポスター





2003年01月08日(水)、雪、0℃
ロンドン

今朝から雪が降り始め、あっと言う間に、ロンドンは真っ白になった。雪景色のロンドン、特にタワーブリッジやロンドン塔はとてもロマンチックだった。お客様はガッカリかと思ったが、意外と「きれい!」の声があがった。今回半分くらいの方が北海道から。皆さん、「暖かいよ」と、おっしゃっている。そして、分厚いコートなど着ている人はいない。私だけがムートンで重装備。バッキンガム宮殿は今月は偶数日が衛兵交代式の日。しかし、こんな雪の日にはないだろうと思ったがスケジュールに入っているので、一応時間に行ってみた。正式な交代式はなかったが、用意していた兵隊さんが行進して宮殿へ入るのを見ることが出来た。いつもの楽隊はなく、ただ行進しているだけだが、初めてご覧になった方は満足されたご様子。お昼は中華の暖かい飲茶。食後はハノーバー・スクエアーで解散となった。オプショナルで6名様がウィンザー城へ。他の方々は目的があって、それぞれ散って行かれた。私は友人のガイドさんと寒いので帽子を探して、オックス・ストリートからリージェント・ストリート歩いた。結局は好みの物が見つからずに、スターバックスでお茶して、別れた。その後、12月の学生さんの忘れ物のカメラをピックアップに、事務所へ立ち寄った。帰国後に送ることになっているが、きっと待ち遠しいだろうと思う。雪は午後には止んでいた。このまま雪が解けてくれると明日のユーロスターはちゃんと動くだろう。先ほど、ホテルで停電があった。真っ暗でクツを探すのも大変だった。フロントへ階段で降りて行き、情報収集をしていたら、、もう大丈夫と言われて戻った時電気が点き、今ホッとしているところ。
明日はユーロスターが動きますように!



2003年01月07日(火)、晴れ、1℃
ロンドン

今日は11名様と成田から飛んで来た。ヒースロー空港にはすでに関空からの17名様が到着していた。今回の仕事はロンドン・パリ・ローマ・ジュネーブのコースだが、たまたまジュネーブへ行く人がなく、ローマまでの9日間となった。それでも全行程9日間の方は20名様。その中の6名様がまったくのフリープランの方々。そして、パリまでの7日間の方が8名様、パリからご参加の方が14名様と4パターンで、パリでは出入りもあるので、人数の把握がポイントとなる。ロンドンで28名様、パリで42名様、ローマで34名様となる。頭が変になりそうだ。今日はホテルへ入った後、19時に再集合して、近くの「キングス・クロス駅」へご案内。外はかなり寒かった。今日、機内で15時くらいに「ロンドンは1℃」とアナウンスしていたので、もうマイナス気温のはずだ。例のハリーポッターの壁で記念撮影をして、少しフリータイムとした。お腹が空きそうなので、皆さんお買い物をされた。長いフランスパンの半分のサンドイッチが7〜800円など、異常な高さに驚いて、思わず出した手を引っ込めてしまった。結局私は部屋でカップ麺とした。星が出ていたので、明日は晴れると思う。




2002年12月16日(月)、曇り、7℃
ロンドン

今回はヴィジュアルの学生さん達と来ている。ほとんどが音響の仕事を目指している。午前はロンドンから1時間ほど走った、北にあるラジオのスタジオを訪問。スタジオはどこも狭いので、1回で入るのに15名がやっと。60人なので4交代で1時間かかった。その後は市内へ戻る途中にある「アビーロードスタジオ」の写真を撮りに。ここはビートルズによって世界一有名なスタジオとなり、彼らの名曲の数々がここでレコーディングされた。あまりにも訪問者が多いため、約20年前から視察など受け入れてくれない。そして、スタジオの前の横断歩道も世界一有名。ビートルズの4人が横断歩道を歩く様子が「アビーロード」のジャケットの表紙になった。それ以来、ここで写真を撮る人が多い。実は私も弟と一緒に写真を撮りに行ったことがある。もう14年前のこと。何度も車が来る中での撮影に命がけ。時々、その様子を見ていて、冷やかして通る車もいる。午後はロンドンで一番大きく、質も良くて、安い(高いのはアビーロードスタジオ)Premises Studiosを見学した。フィルコリンズなど来ているようだ。1日13時間、年中無休でスタジオは動いているようだ。夕方はテムズ川の向こう岸の「ナショナル・シアター」のバックステージ・ツアーをした。立って説明を聞いているが、眠くてたまらなかった。学生さんの点呼は22時。それまで、起きていられるかどうか。
アビーロード・スタジオ玄関TOP アビーロード・スタジオの正面 逆に見た横断歩道
Premises Studios玄関 お隣はCafe スタジオ内




2002年11月06日(木)、雨、15℃
ロンドン

今回はデザイン関係の専門学校の学生さんバス4台162名+先生4名+T/C4名でロンドン・パリの研修にやって来た。私の担当はビューティ(メイク・エステ)関係の女性29名、男性2名の計31名。皆さん、きれいにお化粧して可愛らしい。男性二人もなかなかのイケメン。昨日、世界的にも有名な「DELAMAR ACADEMY」へ行った。一人10000円以上の支払いをしての研修に講師としてやって来たのが、スーパーモデルのメイクなど手がける、JAMES ANDA氏、40歳。ELLE、マリークレールなどの雑誌から、シャネル、映画、劇場などでも活躍中のメイク・アップ&ヘヤー・アーティスト。来年1月25・26日のロンドンでのメイク・アップ・アーティストの世界大会のプロデユースもする。もう一生会えないかもしれない人と私は代表で直接打ち合わせが出来て、ラッキーだった。デジカメがなかったのが残念でならない。ライバルの多い業界、学生さんだから彼もOKをしたのかもしれない。パリの仕事から帰って来たところだったようだ。この学校では年に3回しか教えないと言っていた。彼は、ここの卒業生。お金が儲かって、海外へ行ける仕事はこれだと、27歳から始めたらしい。世界中を忙しく飛び回っている。そんな彼は学生さんをモデルに2時間、実演しながらのレクチャーをしてくれた。モデルさんにも嫌われないように、自分磨きも大変なようだ。そして、メイクの時はかなり近くに寄るので、タバコ、食べ物の匂いは絶対ダメ・・・と、服の匂いもダメと気を使うらしい。モデルさんに嫌われたら終わりの世界。ほとんどがタバコを吸う学生さんばかり(ほとんどがスモーカー)でかなりショックを受けたはず。彼のモデルさんに対しての心使いに感心した。学校自体がとても有名なようだ。住宅街にあり、外観は色ガラスの窓が素敵な一般の家と言う感じ。大きな看板もなく、目立たない。しかし、卒業生にはアメリカの映画のメイク部門のアカデミー賞を取った人が2名もいるようだ。
今日はフリータイムの日。午前中は大英博物館へご案内。もちろんガイドしてはいけないので、中で解散。お昼は2階建てバスの体験乗車してピカデリー・サーカスへ。お昼はT/C3名でインド料理屋さんへ行った。10ポンド(約2000円)は高かったが、美味しかった。同室の新人社員サンと外注のT/Cさんには、お勉強してくるように話して街へ置き去りにした。その後は携帯電話のチップを探し、ホテルへ帰ったのが、16時。ツアーデスクのボードに明日の予定を書き込んで、パリへルーミングのファックスをした。5枚で3000円・・・異常な高さにビックリ。飛行機のシート・リクエストのFAXは流石にやめてしまった。それまでFAXしたら8000円くらいと言われた。そして、今部屋でベッカムの奥さん拉致の事件のニュースを見ながら、サイトの更新をしている。明日はそれぞれのバス単位でパリへ入る。久々のガトゥィック空港からの出発になるのは嬉しい。お天気が良くなりますように!

★結局、ロンドンでもパリでもアクセス不可能でこの日で日記は止めた。
何事もなく、皆さん元気で11日(月)帰国した。(11/11、自宅にて)



2002年09月14日(土)、24℃
ロンドン

ユーロスターのウォータールー駅の視察があった。ファーストクラスのラウンジでお話があり、その後は実際プラット・ホームへ行き、ユーロスターの運転席などを見学。ユーロスターは英国内は在来線を使用しているので速度は140kmまでしか出ない。フランスへ入り、瞬間最高速度300kmで走る。
ユーロスター待合室 待合室のネット電話
ファースト・クラスのラウンジ ファーストクラスのPCデスク、
アクセス無料
ファーストクラスの
無料の飲み物などある


2002年09月13日(金)、24℃
ロンドン

5日前にもこの街にいたのだが、今回は観光旅行ではなく、全国の大手の鉄道関係者22名様全員男性と視察にやって来た。先週と違って、お天気も良く、湿気がまったくない1日だった。まずはキングス・クロス駅へ。特別な視察の一環として組み込まれていると思っていたら、なんと「ハリー・ポッター」の映画の撮影現場を見たかったらしい。あの不思議なホームの壁で記念撮影をする方々、皆さん嬉しそうで、微笑ましい。私はガイドさんと二人でその様子を見ていた。列車が入ってくるとバシバシ写真をお撮りだった。もう止まらない、止められない・・・しかし、予定があるので、バスへご案内。その他は今日はごく普通の観光となった。昼食は珍しくインド料理だった。よくガイドブックにはイギリスで美味しいものは中華とインド料理と書いてはあるが、ツアー料理で中華はあっても、インド料理は本当に珍しいこと。カレーもナンも美味しかった。午後はウィンザー城へ行った。今日も女王様はバッキンガム宮殿にもウィンザー城にもおいでにならなかった。まだスコットランドでバカンスのようだ。国会議員さん方もバカンス中とのこと。
明日は10時45分から、ウォーター・ルー駅にて視察のアポがある。その後にユーロスターに乗り、パリへ向かうことになっている。皆さんの嬉しそうな笑顔が楽しみ。
キングス・クロスのポッターの壁 国会議事堂とビッグ・ベン ロンドン・アイ
ウィンザー城 ウィンザー城 ウエストミンスター大寺院
バスの中より



2002年09月06日(金)、22℃
ロンドン

今朝から雨。7時45分にオプショナル出発地へお送りする時も、まだ雨が降り続いていた。バッキりンガム宮殿の衛兵交代式はないかもしれないと、皆さん半分諦め顔。私はもう一度ホテルへ帰った。エリザベス在位50年の記念の「金バス」がやって来た。その2階の最前列に座り、観光気分で帰った。このバスはロンドン市内を50台走っている。使う94番のバスにはたったの1台しかないので、かなりラッキーだと思う。9時半に残りのご希望の方々と、地下鉄乗車体験し、大英博物館へご案内した。その時にはすっかり雨もやんでいた。今日は衛兵交代式はきっとある。
写真は17時半頃のオックスフォード・ストリート。2階建てのバスの窓からの撮影。赤いロンドン・バスの横や後方の人々がみえるだろうか。かなりの人が出ていた。世界で一番人口密度の多い通りと昔聞いたことがある。毎日が原宿竹下通り状態だ。
ウエストベリー・ホテルのポロ・ラウンジでアフタヌーン・ティーをした。スコーンとサンドイッチ、ケーキが付く。6月のメリディアンの方が豪華な感じはあるが、何と言っても静かで落ち着いた雰囲気ならこちらだろう。だいたいどこのホテルも15〜18時で予約が必要。一応カジュアル過ぎない格好が望ましい。明日は出発までの時間はフリー。オプションのウィンザー城へ行かれる方が、10名様。他の方はそれぞれ目的がありそう。



2002年09月05日(木)、23℃
チェスター

湖水地方を朝8時15分に出発して、約2時間半。イギリスでは最も中世の面影の残る街チェスターに到着した。紀元48年ごろ、古代ローマ人が築いた城壁で覆われている。その後、ウェールズ人、サクソン人、デーン人に支配されるが、10世紀に北欧からのバイキングから逃れるかのように、城壁の中へ市民は移り住んでいった。チェスター大聖堂はもともと聖ワーバラにささげられた教会だったが、ヒュー・ルーバスにより1092年にベネディクト派の修道院として再建された。1992年には900年を迎えている。
左の写真はイーストゲート・クロック。城壁の上にある時計塔。城壁は約2マイル(3.2km)イーストゲートは1897年に出来たので、時計に記してある。
チェスターでいちばん有名なザ・ロウズは、アーケード式になったハーフティンバーの2階にある通路のこと。ローマ時代の建物の上に新しく建築していったのである。忙しくて写真を撮る時間はなかったのが、残念。いまでもこの2階部分を歩くことが出来る。ザ・ローズの中心にあるクロスは15世紀のもの。15世紀の市民革命で破壊された破片で造られている。
チェスターが大きな街で皆さん驚かれたようだ。あまり日本では知られていない街。隣のリバプールの方がビートルズの街として有名。昼食後、300km走って、ロンドンへ。意外とスムーズで遅くならずに、ロンドンのレスタースクエアー近くの中華街のレストランへ到着出来た。ホテルへ入ったのは20時半だった。前回のT/Cさんのレポート見ると、21時50分なので、我々はかなり早かったことになる。出発と昼食を早めた結果のこと。ご協力下さったPAX、ジョージ、ドライバーのディビットに感謝。
チェスター市庁舎 大聖堂のステンドグラス
左が聖ワーバラ
彫刻が見事な13世紀の
聖歌隊席の壁


2002年09月04日(水)、23℃
湖水地方

今日はきれいで爽やかな湖水地方をバスで巡った。朝からお天気に恵まれて、皆さん笑顔。午前中は詩人のワーズワースのゆかりの地を訪ねた。彼は1770年4月7日カンバーランド州に生まれた。9〜17歳までホークスヘッドの学校で過ごし、14歳の頃から詩を書き始めた。まずはそんなワーズワースが晩年を過ごしたライダル・マウントへ。80歳で風邪をこじらせて亡くなったようだ。次に行ったダブコテージはワーズワースが1799年〜1808年に住んでいた家。日本人のよしこさんがいて、ジョージと半分に分かれて、説明をして下さった。時間区切られての案内となる。その後はグラスミアの街へ。13世紀建立のセント・オズワルド教会の裏には、彼のお墓がある。家族も一緒に並んでいて寂しくはなさそうだ。ここはジンジャーブレッドで有名なお店や、ピーターラビットのお店もある。お昼はアンブルサイドのブリッジハウスの近くのグラス・レストランで食事をとった。午後はピーターラビットのベアトリックス・ポッターの世界へ。彼女は1866年にロンドンで生まれた。父は裕福な弁護士で、夏には3ヶ月もの休暇を取り、田舎の家を借りて過ごしていた。ピーターラビットは彼女の家庭教師の息子のノエル君にあてて書いた手紙に初めて登場する。実物のコピーがヒルトップにあった。今見るピーターラビットと変わらないふっくらしたピーターがそこに描かれていた。ヒルトップはその絵本が売れたために購入出来た家。この家では「子猫のトム」や「ジンジャーとピクルス」などの名作を書いた。今日は何とちょうど「ピーター・ラビット」出版の100年目の日だった。庭園では近くの小学校の子供達を呼んで、パーティが開かれていた。そこへやって来たピーターラビット、驚いて早速シャッターを切った。その後はホークスヘッドへ。ワーズワースとポッターゆかりの村。
ライダル・マウント ダブ・コテージ 左がワーズワースのお墓
グラスミアの街、ジンジャー
ブレッドでも有名
靴屋さんで6人家族が住んで
いた川の上のブリッジハウス
前菜:イタリア風で好評
ヒル・トップ 突然ピーター・ラビットが現れた ヒルトップのカフェ
ポッターも羊を飼っていた ホクスヘッド
ワーズワースの学校
街の中には
ポッター博物館もある


2002年09月03日(火)、22℃
ストラッドフォード〜湖水地方

ロンドンから150km、コッツウォルズのブロードウェイから20分の位置にある、シェークスピアの生家がある街スラッドフォード・アポン・エイボン。シェークスピアは1564年に生まれた。少年時代を過ごした家が一般公開されている。羊の皮で作った手袋を販売していた父は大成功を収めて、大きな家に住んでいた。シェークスピアは18歳で26歳のアン・ハサウェイと結婚をした。出来ちゃった結婚である。20歳で双子の子供も生まれ、3人の子持ちだった。アン・ハサウェイが結婚前に住んでいた美しい茅葺屋根の家は街から2km離れた所にある。庭園には花が咲き誇り、りんごも少し色づいていた。両方の家とも、内部の撮影は禁止されている。街のホーリー・トリニティー教会にはシェークスピア家のお墓のある。彼は1616年53歳で亡くなった。マクベス、ハムレット、ベニスの商人、ロミオとジュリエット、嵐、リア王、オセロ、真夏の夜の夢、ジュリアス・シーザー、むだ騒ぎ、お気に召すまま、じゃじゃ馬馴らし、アントニーとクレオパトラなど・・・今思い出した物だけでもかなりの有名な作品がある。この街はコッツよりずっと華やかである。Shopも多く、劇場などもあり、活気がある。英文学を学んだ私はイギリスに来た時に、一人でこちらへ来て、感動して帰ったことを思い出す。
アン・ハサウェイの家 シェークスピアの生家 ロイヤル・シェークスピア・劇場
ハーバード大学創立者の母の家 市庁舎 シェークスピア・ホテル


2002年09月02日(月)、23℃
コッツウォルズボートン・オン・ザ・ウォーター〜バイブリー〜バーフォード)

昨日はセーターが必要なくらい涼しかったが、今日はお天気が良く暖かかった。、バス出発の前に全員でブロードウェイの散策をしていただいた。私はホテルの前で35名様のお荷物の見張り番をして送った。それはやはり異様な光景だった。端から端まで10分くらいの一直線の小さな街を35人も一緒にゾロゾロ・・・。一応、しおりには「観光」と記載があるので、勝手に見て来てとは言えない。ガイドのジョージには今日の夕食がフリーなのも考えて、レストランや軽食を買えるところも入れて案内してもらった。それでも主要な所をゆっくり回って、ブロードウェイ観光は15分で終了した。
バスで9時半出発して、まずはリトル・ベニスと呼ばれる、ボートン・オン・ザ・ウォーターへ。ウインドラッシュと言う小川が街の中心を流れるかわいらしい街。小さなミュージアムも多い。この街の9分の1のミニチュア博物館、ワールド・ミニチュア博物館、自動車博物館、鉄道博物館、香水博物館など。何組の日本人グループが来ただろう。街の観光客の半分は日本人だった。次に訪れたのは、ウィリアム・モーリスが「イングランドで最も美しい村」と呼び、魚の「マス」で有名なバイブリー。特にアーリントン・ローと呼ばれる所が美しい。14世紀の終わりに羊小屋、または羊毛の貯蔵用に建てられたもでのもともとは屋根がなかった。17世紀にそれをウールの紡績工場の作業員用の住宅にして、屋根を付けた家々である。皆さんが散策されている間に、蔦の絡まるスワン・ホテルへ昼食の確認に行った。メニュー内容とドリンク代をメモする。テーブルの確認をした。人数は把握しているはずなのに、席が足りない。ウェイトレスに言ってもあるよとの回答。また数える。不足している。それも5席も。バスの中からジョージが確認の電話をしたのに、こうだから信用できない。今度は声を出して、見ててね・・・と言うように、数を数えると、あらっと不思議そうな顔をして、テーブルセットを始めた。こんなことは良くあるので驚かない。人数が多い分、ドリンクも遅くなるし、食事も時差が出来る。それでも、他に大きなグループがいない分、早かったのだろう。
午後はバーフォードへ行った。11世紀建立の街のサイズから見ると、大き過ぎると言われている教会や、マーケット・ホール、街の入り口のギザギザの橋が見所。Shop、カフェもあり、約1時間のフリータイムを楽しまれた。リゴン・アームス・ホテルのあるブロードウェイへ戻ったのは、16時10分だった。テディ・ベアーのShopもあり、17時には閉まるので、早めに帰って来た。このくらいゆっくり出来るツアーは珍しい。夕食もないので、適当に軽食でも終わらせるし、イヤイヤ団体食を食べなくても、好きな食事も出来る。お疲れの方は早めに休める。イギリスのホテルの一番いい所は、ほとんどどこでも電気ケトルがあり、お湯が沸かせること。他のヨーロッパにはないシステム。やはり国民性だろう。お茶を飲む国だから。この習慣があるのは植民地だったオーストラリア、ニュージーランドなど。アメリカやカナダはコーヒーを飲む習慣から、コーヒーメーカーが部屋にある。これでお湯を沸かせるのも嬉しい。
明日は、ここから近いシェークスピアの街、ストラッドフォード・アポン・エイボンへ。午後はピーター・ラビットの湖水地方まで長距離のドライブとなる。
バートン・オン・ザ・ウォーター 6本の橋のひとつ Shopもあって人気の街
バイブリーのアーリントン・ロー コルン川にはマスが泳いでいる スワンホテルのガーデン
バーフォードの教会 街のCafe 塩博物館



2002年09月01日(日)、22℃
バース&コッツウォルズキャッスル・クーム〜ブロードウェイ)

bathの語源となったお風呂 日本語オーディオ・ガイド 熱いお湯が今でも流れ出る
お花がいっぱいの庭園 ロイヤル・クレセント パンプルーム
キャッスル・クームの中心 一番きれいな写真ポイント マーケット・ホール
前菜のヤギのチーズタルト メインのロースト・ポーク ライス・プディング
ブロードェウイのリゴン・アームス 部屋の中  メイン・レストラン



2002年06月03日(月)、18℃
ウィンザー(イギリス)

エリザベス女王の週末のお城として有名なウィンザー城のあるの街は、大勢の人でごった返していた。警察も出て、これから始まる在位50周年記念のパレードの警備をしている。ロープが張られた中を突き進む我々。10時半頃から、無理やりお願いして入り、お城の見学をしていた時、城内の中庭に特別車が入って来た。もしかして・・・と、待つこと15分。11時10分頃、エリザベス女王がウィンザーのパレードにお出かけのために車に乗られた。ペパーミント・グリーンのお洋服が素敵。こちらへ会釈をして下さった。お見送り後、感激で皆で「やったね!」という気持ちで握手しあった。得した気分で嬉しい。この後のパレードなどの様子は全世界に放送された。
右はウィンザー近くのオークリー・コート・ホテルで貴族の館。たくさんのお部屋と広いお庭。その庭先には川が流れ、ボート遊びが出来る。左は部屋の中。1泊だけだったが、優雅な気分に浸れた。翌朝も出発は10時半。日が沈んだのが21時半頃。なかなか暗くならない中、お庭では結婚披露パーティが行われていた。広いつばの帽子をかぶったドレスの女性達が映画を見ているようだった。





2001年11月05日(月)、16℃
ロンドン(イギリス)
大英物館博物館(入場無料)と他の名所

新ホール:大英博物館 大英博物館正面 アッシリアの壁の彫刻
アテネのパルテノン神殿
大英博物館に1962年新設
エジプトのミイラと遺品 ウルの出土品:4000年前の物
ロンドン塔のビーフイーター タワーブッジ ウィンザー城
人気の2階建てバス 国立美術館:無料 カラフルなタクシー
大英博物館は維持するのに大変だと思うが入場無料はとてもいい。そのうち有料にという案はまだのようだ。上の写真以外でも有名な「ロゼッタストーン」もここにある。何度行ってもすべては見切れないくらい広い。13年前に1年住んでいた時に何回行ったことだろう。ナショナル・ミュージアム(国立美術館)も、ソファーで好きなアーティストの絵をジッと見つめたまま動かない・・・と今では夢のような生活がその時にはあった。他にオックス・フォード・ストリートからすぐのウォーレス・コレクションもお奨め。テート・ギャラリー、ヴィクトリア&アルバートも有名。個人的にはちょっと遠いけど、ケンウッドにレンブラントなどもある。夏にはここで夜オーケストラのコンサートがある。皆ピクニック気分で食事やワインを持って寝ながらでも聞けるのがいい。とても楽しい思い出。




2001年09月04日(水)、
ロンドン(イギリス)
大英博物館の日本語ガイドツアーに関して

「わからず見ればただの石、わかって見れば世界の宝庫」このキャッチ・フレーズ大好きです。
個人で行くときっとただの石、ミイラ、柱、つぼ、壁・・・ベテラン日本人ガイドさんの説明で初めてその素晴らしさがわかるのです。個人旅行やフリータイムに御利用下さい。
★集合場所:大英博物館の中の正面玄関ガラスドアから建物に入ってすぐ右側、ガイドさんが待機。
★料金:10ポンド、9歳以下は無料 
★時間:毎日14:30スタート。日曜日15:00スタート。休館日以外の約2時間
★休館日:1月1日、復活祭前の金曜日、5月第1月曜日、12月24〜26日



2001年08月29日(水)、曇り時々晴れ、一時雨、22℃
ロンドン(イギリス)

昨日コペンハーゲンより到着。簡単な観光をしてからホテルへ入った。暑くて驚いたが、先週の土曜日は31℃まで上がっていたようだ。バスへ荷物を積む間はもちろんのことだが、エンジンを切っている。エアコンは動いていない。中でお待ちのお客様は汗ダラダラ・・・。お客様にはすでに北欧でお話済み。先日の座間のひまわり畑のことがフト思い出される。外で私たち(ポーター、ドライバー、アシスタント、T/C)が51個のスーツケースのを一生懸命運ぶのを眺めながら、自分達の荷物だから文句は言えないし・・・と言う感じでお待ちだった。スタートと同時にエアコンも入れていただいたが、一番汗をかいているのはもちろんドライバーさん。
市内のあちこちが閉鎖されていた。また爆弾事件か?橋から見たロンドン・アイはまだまだ人気の的。長蛇の列。昼からナショナル・ギャラリーへ代好きなフェルメール展を見に行くことにした。
ロンドンの写真がないのに気が付いた。デジカメも持って出かけよう。8月29日
★写真をup。8月31日。ナショナル・ギャラリーにてフェルメール展を見た後、本館へ久しぶりに「ひまわり」(←拡大で見ることができます)を見に行った。座間市のとデンマークのオーデンセのゴッホのひまわりを並べてみた。
座間のゴッホのひまわり ゴッホが描いた本物の
ひまわりのひとつ
オーデンセのゴッホのひまわり
トラファルガー広場から
見た国立美術館(無料)
お花でいっぱいのパブでは
ビールはもちろんお茶も
飲め簡単な食事も出来る
BTのネット電話を発見!
イギリスはまだまだと
思っていたが・・・。





2001年3月31日(土)、曇り時々晴れ15℃
ロンドン(イギリス)

久々に大英博物館へ。正面玄関を工事中だったのは知っていたが内部があんなに変ったのには驚いた。早速写真を・・・と思ったらデジカメはあるがスマートメディア(フイルムのような物)を忘れて来たらしい。最近はなかなか大英博物館も入らないので次はいつになることやら。
これについては「快適なリンク集」のイギリスのガイドさんのホームページで確認して下さい。
ヴァキンガム宮殿の衛兵の交代式は明日から毎日。今日は残念ながらこの冬最後の無い日(冬期間は1日おき)だった。
リージェント・ストリートもSHOPがかなり変っていた。ダサい物しかなかった一昔とは違う。これならお買物好きな人も楽しめそう。
レスターSQのチャップリン像もいつの間にか引越しして中央にいた。今回はスイスのレマン湖を巡る時にViveyにてチャップリン像を見ていただく予定の為、比較の意味もありご案内した。スマートメディアがあれば・・・。


2001年3月30日(金)、晴れ13℃
ロンドン(イギリス)

今日は久しぶりにロンドンの青空を見たような気がする。昨日はみぞれだったと聞いたがウソのよう・・・。水仙、モクレン、レンギョウや桜が満開でとてもきれい。13年前にロンドンに1年間いたことがある。長く暗い冬に病気になりそうだった・・・精神的にも何故か暗くなってくるから不思議。その分春はいっせいに花が咲くのが嬉しい。これからロンドンはいい季節。お天気はまだまだ不安定だけど。


2001年03月21日(水)曇り、10℃
ウインザー(イギリス)

ロンドン市内より、バスで45分位の城下町。ヒースロー空港より先になる。エリザベス女王が週末過ごされる宮殿ウィンザー城がある。今日は11:00、3分前に交代式が行われた。観光客も少ないこの時期なら、しっかり近くで見ることができる。昼食はアフタヌーン・ティーのような内容だった。スコーン、サンドイッチ、デニッシュと紅茶かコーヒーとなる。忙しい観光旅行だとなかなか時間もなく、イギリスのスコーンの美味しさなど知らずに帰ることになる。好評だった。


2001年03月20日(火)曇りのち小雪、5℃
ロンドン(イギリス)

朝から曇り、午後は雪がちらついたロンドンの街。こんなに寒くなるとは思わなかった。午前中は病院の視察へ。私は入院の経験も無いので日本の病院のシステムなど何も知らない。しかし、海外は病院関係や薬品関係の仕事であちこちと視察で行くので割と知っていたりする。たとえば、産婦人科では、アメリカは出産後24時間以内に追い出される。イギリスは2日以内だが、日本は7日以内らしい・・・など。
午後はナイチンゲール博物館へ。日本語でナイチンゲールの生涯のヴィデオを20分くらい放映してもらえる。館内は受付で日本語の案内コピーを借りて回ることもできる。

ホーム(TOP)へ




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送