旅の空から

ラインライン

タイ(2001〜2002年)
★2004年のタイ
★2005年のタイ
★2006年のタイ

これがタイの全土の地図。マレーシア半島まで国があったのは意外と知っているようで知らない人も多い。
今回は首都のバンコクは飛行機の乗り継ぎの時だけで街へは出なかった。北の青で囲ったチェンマイへ飛び、更に北の山奥へ入って行った。ねぎぼうず村とは伊豆の修善寺にある宿泊施設と姉妹提携している施設。広い敷地の中央に宿泊施設がある。9部屋(2ベッド)とリビング・ルーム、ダイニング・ルームがある。部屋には冷蔵庫(中は空)、温水シャワーがあった。もちろん、TV、電話はなし。温水シャワーだけでも有り難い。私の部屋は夜中にキーキー鳴くヤモリ付きだった(T_T)
ここを拠点に動くと国境近くまでは日帰りも可能。ゴールデン・トライアングルにも行くことができる。山岳民族も訪問できる。
ボランティアの学生さん達はこの村でのホームスティだった。どこもお風呂はなく、水のシャワー・・と言っても水道のホースだった。それでも村では裕福な家庭に引き取られて行った。TV、冷蔵庫、最低バイクはあったようだ。お別れの涙はきっと皆忘れられないだろう。

2002年03月28日(木)晴れ、35℃
チェンマイ

芸術と緑の都、チェンマイ。バンコクから北へ700キロ。タイ第2の都市で人口は27万人。チェンマイ県内は158万人。四国くらいの広さ。11〜2月:乾季、3〜6月:暑季、7〜10月:雨季。バンコクとは違い朝などは涼しくなる。約700年の前のランアー王朝の面影のある旧跡が点在する街。300の寺院がある。山岳地帯のトレッキングの基点ともなっている。
今日は最終日。ねぎぼうず村よりスティ先の家族と涙のお別れをし、チェンマイへ向かった。5分で涙は乾き、バスの中ではもう違う話をしている。ホームスティのいつものパターン?!
市内ではまずワット・チェン・マンへ。絵葉書を買った。1枚5バーツ(¥15)。各部族の民族衣装の絵葉書などもあった。部族に関しては、また行くチャンスがあればはまりそうな予感。実は暑くて湿気があるので、あまり好きではなかったタイ・・・しかし、チェンマイから北部は好きになった。素朴な田舎や山岳の人々と接したからだろう。そして、学生さん達と一緒だったからいつもと違う楽しさがあったような気がする。いつまでも現地で過ごした日々のことを忘れないでいてほしい。
夕食(タイシャブ)後、バンコクへ飛び、夜便に乗り継いだ。今朝(29日)6:30に成田空港に到着し、市のお迎えのバスを見送った。空港では担当者へ報告と精算をして完全に終了し、帰宅したのは13:00だった。
ねぎぼうず村では部屋に電話はなく、事務所でアクセスを試みたが、繋がってもすぐに切れてしまい、このページを毎日UPすることは出来なかった。

ワット・チェン・マン:1297年メンダイ王によって建立。かつては王宮だったチェンマイ最古の寺院。。崩れた様子がわかる 中には大きな仏像が見える。水をかけるための竹の筒が3本のひもにより、操作される。ひもが画像でも確認できる。 脇に安置された寝仏像
小さな鳥かごを売っている女性がいた。中の鳥を逃がしてあげるといいことがあるそうだ。 本堂内部 ワット・プラ・シン:
1345〜1400年バーユー王に
よって建立。
ワット・プラシン:
ライオン・ブッダの寺
複数の美しい建物がある。
本堂内の仏像寺院の奥のこの部屋の壁画は300年前のもの。左側はもうボロボロで右側はきれいに残っていて、鮮やかなブルーが印象的。 ドイ・ステーブ寺院は標高1767mのドイ・ステーブ山頂ににある。視界がいいときれいな山並が広がる。街から30分。いろは坂のような坂道を登る。
309の石段を登るか、エスカレーターもあり往復20バーツ。靴は鍵つきのロッカーに入れて寺院内を歩く。 写真は立ったままの撮影は
禁止されているので、座って撮った。
高さ22m、金色に輝く仏塔チェディ
参道の出店には民芸品が多いので、
こちらで自由時間を取って、
お買物をしていただいた
山岳民族のキーホルダーが可愛い
上は首長族
寺院内のジャックフルーツ

上の画像をクリックすると拡大します。



2002年03月27日(水)晴れ、36℃
ノンブア村

今日はホームスティの学生さんたちのアクティビティを見に行った。午前中は郷土菓子作りをしていた。3班に分かれているが、何故か2つの班はポテト・チップスを作っている。日本にはないと思っているのか?!そのまま揚げたのも、 スープの素を入れてから揚げたものもとても美味しく懐かしい味がした。 1班はもち米とバナナなどをバナナの葉で包んで蒸したお菓子を作っていた。11:00過ぎには祈祷師さんがやって来た。暗い所で火を焚いて・・・と思っていたら、明るい玄関先で始まった。体をよじって大声を出して・・・もなし、あっけない感じを受けるのはTVか映画のイメージが強過ぎるから?!午後は竹細工の体験。大きなカゴを作っていた。上手な人、そうでない人・・・とても楽しそう。持って帰れないのがとても残念。小物入れをお願いしたが、用意した竹では出来ないとのこと。

ノンブア村外から来た祈祷師さん。
一人に30分以上かかった。
この辺りでは多くの人が信じているらしい。
竹でカゴつくりの体験をする学生
普段は農閑期の仕事。竹は支給され、労賃が1つで3バーツ(¥6)には絶句。1重では弱いので、2重になっている。



2002年03月26日(火)晴れ、36℃
タイ北山岳視察

今日は北の山岳部へ行った。研修用にどうかと思われるラフ族の宿泊施設を見学に行った。メーコック川と集落部分を見下ろす高い台に電気もない掘建て小屋が並ぶ。近くにはキャンプ・ファイアーが出来る庭もある。竹で出来たテーブルとイスが置いてあり、ここで食事を取るようだ。もちろんシャワーは水でホースでそのまま浴びる。季節が違うと空もすっきりしているので、星空がさぞきれいだろう。今は焼畑農耕の時期で山火事もあちこちで見た。どこも空はその煙でドンヨリしている。しかし、そんな中での夕陽はオレンジ色できれいだった。画像は残念ながらそれ以外の物ばかり。
タートン寺院の修行中のお坊さん達。女性が僧侶に声をかけたり、触れことはタブー タートン寺院の観音様
高台になっていて、下にはゆるやかに川が流れている。
茶所メーサーロンの
中華レストラン
アカ族の村:タイ国内人口は約5万人。ミャンマー、中国から移住して来た。タイには250集落がある。標高1000m以上に住む。男女の部屋は別々。 黒い見にスカートの女性達。写真を撮るとチップと手が出る。左40歳、右60歳と言うが、ちゃんと産まれてから、年を勘定してきたかどうかは疑問。 ここにもキリスト教の教会があった。首長族の村まで像で片道55分とのこと今日は断念した。
帽子はいつでもかぶったまま・・・就寝時も
村で見つけた欄の花
その横を通り過ぎた女の子は手にセミをいっぱいぶら下げていた。こちらでは山岳部族以外でもよく食べるそうだ
メーサロンの街はお茶で有名。
中国雲南省からの移住者が多く、
漢字の看板が見られる。
ボートでラフ・ニ(赤)族の村からメーコック川を下り、ラフ・ナ族の村へ向かった。
麻薬を夜中に運んだルート。
ラフ族の家、中央の黒いのは豚。
タイには450の集落がある。
ここはラフ・ナ(黒)族でとなる。
ミャンマーから移住してきたと言われる。
ラフ族のタイ国側での人口は8万人
民家のキッチンは母屋とは別だった


2002年03月25日(月)晴れ、36℃
ねぎぼうず村(ノンブア村)

今日は午前中は「パーンマヤオ小中学校」を訪問した。千葉県の東金市民の寄付の中古の靴500足、文具など20箱持って訪問した。我々が到着した時にはすでにたくさんの子供達が校庭で整列して、待っていてくれた。こちらは5月中旬までは夏休み。昨日は卒業式だったようで、ゆうべは23:00まで学校は賑やかだったとのこと。先生方はほぼ徹夜状態で今日を迎えたらしい。こちらの学校は幼稚園から小・中学校まであり、生徒数は505人。男子256人、女子249人。先生は19人で常勤17人とのこと。約60%の子供達が高校へ進学するそうだ。義務教育の小学校で学業を終える子供もいる。給食は60%の子供達が1回6バーツ(¥18)の食事補助が出ているとのこと。体重測定でその権利が測られる。年齢や身長での標準と比べて、痩せている子供は優先的に給食となり、標準体重の子供はお弁当持参となるそうだ。飲料水は問題があるので、水は自分で持ってくることになっている。驚いたのは、小学校2年生から英語教育が始まること。やはり日本はそんな点は世界からかなり遅れていると思った。5つの山岳民族がここで学んでいる。我々のためにきれいな民族衣装を着て踊ってくれた。この学校は日本の郵便局のボランティア貯金や宮沢総理の寄付で一部の教室を建てたようだ。
お昼はタイ人用のリゾート地で美味しい中華を食べてから、山岳民族のリス族の村へ行った。電気は来ているし、中には4wdの車を持っている人もいた。そして、1度夕方ねぎぼうず村へ帰ってから、参加者は指導員と私を残して、ホームスティ先へ引き取られて行った。皆とても不安そうだった。しかし、残された大人達はあまり不安には思ってない。たったの3泊だし、最悪は歩いて10分以内でねぎぼうず村へ来れる距離。日本で事前研修を10回も受けている。覚悟は出来ているはず。3日後が楽しみ。
校庭にて歓迎の民族舞踊を見る 民族衣装を着て踊ってくれた子供達 きれいな飾り帽子のリス族
靴を履いた子供達 宮沢教室の前で きれいな中庭には噴水もある
リス族の村の入口
タイ国側での人口は3万人、
標高600m以上の山に住む部族。
リス族の北村の広場にて
150の集落のひとつ
ブーゲンビリアの花
ねぎぼうず村から一番近い大通り
市場の果物屋さんまで徒歩2〜30分
魚を揚げていた:
1匹10バーツ(¥30)
小型のスイカ20バーツ(¥60)と
クレヨンしんちゃんジュース?!


2002年03月24日(日)晴れ、35℃
チェンマイねぎぼうず村

昨日は1日かけて、バンコクで乗り継ぎ、チェンマイまでやって来た。8:30に4台のマイクロバスに分乗してまずはエレファント・パークへ行った。数十頭の像がいた。生まれて間もない小象も3頭。像の毛は硬いと触って確認。10:00から像の水遊びを見て、ショーとなる。サッカーボールを蹴ったり、バスケットボールをしたり・・・小象の可愛らしさに拍手がわく。その後は象に乗って4〜50分の山歩き。結構揺れるので、車酔いする人はきついかも。その後は白い水牛の牛車に乗り、帰って行くというコース。同じ所にレストランがあり、昼食となる。コーラ、水など20バーツ(¥60)、ビール1本50バーツ(¥150)。ハワイから来ていた人達と一緒になった。楽しんでいる様子。食後は川をいかだで下った。約45分。涼しくてとても気持ち良く、皆ご機嫌だった。そこから、1時間半かけて、バロン族の村へ。村には教会があった。最初に物資援助したのがキリスト教関係者だったから山岳民族は今では90%はキリスト教とのこと。きれいな衣装をまとった女性が織物で織ったバッグや帽子を販売していた。高床式の住居の下には鶏や豚が飼われていた。早い人は14歳位でお嫁にいくらしい。だいたい高校へ行かない人で17歳で嫁ぐとのこと。
16:15には目的地のねぎぼうず村に到着した。もっと山の中と覚悟して行ったがそうでもなくてホッとした。部屋は広くて、冷蔵庫(空)付き。温水シャワーがある。電話はなし。エアコンはあるが使わなくてもよさそう。朝夕は結構涼しい。今夜は地元の高校生が民族舞踊を披露してくれるらしい。楽しみ。
これは今夜事務所からUPしてみよう。
3/25:メールだけはどうにか受信はできたが、すぐに切れるのでホームページの更新は不可能でした。残念(T_T)

エレファント・パークの小象
まだ3ヶ月
水浴びしている像と小象 像の背中に乗り、ジャングル・ウォーク。途中でバナナ20バーツ販売があり、像に買ってあげる。
イカダ下り、6人乗り 木々の美しい川で気持ちいい風が・・・ 水浴びと小魚を網で取る子供たち
バロン族の家:高床式の家
タイでの人口は2000人で集落は4つ
どこでもアマリリスがきれい バロン族の既婚女性
ペットボトル用のバッグ:
60バーツ
お土産屋さん 民族衣装が艶やかできれい
昼食レストランの美味しいタイ麺 春巻きとおこげのカウンテン バナナは小さめ
カントーク・ディナー:朱色のお盆に乗ったタイ北部の郷土料理。右上は竹篭にモチ米が入っている。 歓迎と安全に帰れるようにと、
白い紐を両腕に撒いていただく

ミンメイ
夏休み中の高校生の民族舞踊
ねぎぼうず村入口の門 9部屋あるペンション風施設 裏庭からのねぎぼうず村




2001年07月05日(木)晴れ、31℃07月13日UP
戦場にかける橋
バンコク市内より約2時間のカンチャナプリ。
フェイ川にかかる橋は映画であまりにも有名。
一日数回しか列車が来ないので歩いて渡ることができる。
水上レストラン ウェートレス 日本兵の慰霊塔

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