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旅の空から
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タイ(2004年)
★2002年までのタイ
★2005年のタイ
★2006年のタイ


2004年12月12日(日)晴れ、30℃
バンコク

宿泊ホテルの朝食レストラン
和洋中華ある。お粥も美味し
かった。結局はいつも果物と
ヨーグルト、パン類、珈琲となる私
叔母のチョイスの朝食
ごく普通の日本人おばちゃん
メニューかも。でも、山盛り持って
来ないところがいい。
ミンメイハートのスイカが可愛ら
しい。半分しか食べなかった
ワッフルの上はQちゃん、シバ
漬け、オシンコ・・・叔母が大笑い!
東南アジアに多い
不思議な扇型の葉
これを見るとアジアを
旅していると思う
SKY TRAINの切符自動販売機 SKY TRAIN ウィークエンド・マーケット内地図 セクション10
何千ものSHOPが
所狭しと並ぶ
何万人もが来ていた オリエンタル・ホテルの
白いハスの花
カフェのブーケ
世界一のオリエンタル・ホテル
のカフェ・ラウンジのひとつで
優雅な昼下がりを・・・
アフタヌーン・ティー・一人分
850バーツ+10%TAX+
7%サービス料=2700円
3段の一番下の
プチ・ケーキが6種類
結局二人で全部は食べきれず
チャオプラヤ川に面したプールと
リバー・サイド・カフェ
オリエンタル・ホテルのSHOPの
壁にあった「マチス」の切り絵
トイレの洗面台の横に
飾ってあったハスの花
買って大後悔したお茶
水っぽくて、お砂糖入り
宿泊のデュスタニホテルの
ロビー






2004年12月11日(土)晴れ、30℃
バンコク

世界遺産アユタヤのライト・アップ

王宮の中にある
どれも屋根がオレンジ色で印象的。
そして、壁にカラフルな石や
陶器を嵌め込んでいる
壁画がきれいに残る
宮廷文化が花開いた時代
エメラルド寺院の
3建築様式の
寺院
タイの寺院での注意:ノースリーブ、
短パン(くるぶしも見えてはいけ
ない)、ミニスカート、かかとのひも
がないサンダルもダメ。
エメラルド寺院の中の仏像
今の季節は黄金のケープを
王様から着せてもらっている
外部からの撮影はOK
寺院の装飾の一部
建物の壁の一つ一つがかなり
細かい彫刻や細工が
施されていて飽きない
オレンジ色の袈裟を着た
お坊さんがいっぱい入って来た
女性は触らないように注意
陶器の寺院
花模様がきれい
王宮 王宮横の火葬寺院 王宮内の寺院の一つ
カンボジアのアンコールワットの
ミニチュアがある
渡し船乗り場横のカフェ チャオプラヤ川 船から見た暁の寺院 天女ミンメイ?!
ワット・アルン(暁の寺院) 陶器を使って装飾されている お皿が見える 別の角度から撮影
コインを入れて行く
ワット・ポー:涅槃仏寺院
全長49m
パンチ・パーマだった?!
高さ12m
タイで3番目に大きい涅槃仏
コカ・レストランのタイしゃぶ
たくさんのチェーン店がある
あふれるほど取り分けてもらった
最後のオジヤも美味しかった
お買い物時間に外へ出て、
テントのフット・マッサージへ
45分180バーツ(480円)
道沿いの食堂
小泉首相もいらした
シーフード・レストランの
正面にカニが・・・
左のカニがともて美味しい
右はゆで海老
これで二人分
カニ入り団子
SOMBOON レストラン
SURAWONG 通り沿い169番地
トム・ヤン・クン
02−234−4499
必ず予約が必要 17時オープン
エステのラウンジ
フェイシャル・エステと
ヘッド・マッサージ・シャンプー
75分:1500バーツ(4000円)
ジム・トンプソン
クリスマス用に
ライトアップされていた
パッポン通りのナイト・バザール
宿泊ホテルから徒歩10分
言い値の必ず半額から
値段交渉は始めよう
戻るとホテルのロビーが
クリスマス・モードになっていた
夜はかなりのドレスアップの
方々が集まる






2004年12月10日(金)晴れ、30℃
カンボジア〜バンコク
12月07日〜10日のカンボジアの旅日記

 国際線でプロペラ機?!
下の湖は西バライ
アユタヤで乗った像さん
熱い前の新婚さんは
像さんの上から見た屋台を引く
おばちゃん
小象はおちゃめ・・・
遊んでほしくてちょっかいを出す
赤いのは
V6の森田剛くんの写真
マンゴースチン
果物の女王
ランブータン
シュガー・アップル りんごのようなサクサク感
皮のまま食べる
左に同じ
パパイヤ マンゴー ドラゴン・フルーツ
朝のピンクのヨーグルトに
入っていた粒々がこれ
リュウガン
バナナ25バーツ(80円) 豆の一種、甘い
寺院にお供えのお花 これもお供え SHOPで販売している 百日草
街の屋台のスープ タイ名物トム・ヤン・クン
パクチー抜き
左は揚げライス右上が特に
美味しかった。
左下は辛いさつま揚げ
カレー、野菜炒め
野菜炒めはどこでも大人気
アユタヤのライト・アップ 入場せずに外からの眺め 遠くに浮かぶ3つの寺院 電飾の輪タク









2004年03月30日(火)晴れ、39℃
チェンマイ

お別れの朝

今日は我々3人はねぎぼうず村を7時半に出て、子供達のスティしているリス村へ行った。ホームスティの最後は必ず家族と泣いて離れない学生さんを引き裂いて無理やりバスに乗せる嫌な役。今日も冷たく「さぁ〜、バスに乗って下さ〜い。出発しますよ〜」と肩を叩いてまわる。予想していた時間で何とか出発出来た。1時間半弱で約束の10時ぴったりにチェンマイの「麻薬療養所」に着く。センターの方が広い部屋で麻薬事情をどんどん説明していくが、通訳されずに学生さんはほとんどわからなかったようだ。通訳はコーディネータさんだったが、途中で「通訳して下さらないと皆わかりませんよ」と耳打ちしたが、「簡単な英語だからわかるでしょう。そうでなかったら、時間内に終わりませんよ」・・・なら、時間内に終わるように内容を吟味しておくのも手配者の役目。これまでにたくさんのこのような場面を経験したが、通訳しなかったのは初めてだった。通訳できる人は私を含めタイ人のガイドさんも3人いたのに・・・残念。このような大掛かりな施設はタイ国内に3箇所あると言う。こちらは280Bedがあり、内女性は40Bed。若者の間に広まっており、街中にも小さなクリニックはたくさんあるようだ。注射の回し打ちで広がって行くが、山岳民族も生活のためにケシの花の生産者だった。それを売りさばき、自らも使用しており、深刻な問題となった。資料をいただいたが、後で見て唖然!英語かと思っていたが、全部タイ語だった。昨年は麻薬を運んだルートを船で下ってみた。川岸にはたくさんの山岳民族の村が見えたが、麻薬販売や運び屋でリッチになったのか大きな家も建っていたのを思い出す。施設の視察後は市内で食事して、ドイ・ステーブ寺院へ登った。そして、お決まりの対シルク工場の売店、貴金属屋さんへ寄ってから、夕食はタイしゃぶを暑い中で取り、汗がジンワリ・・・。空港へ向かいチェックイン後、出国して待合ロビーへ行くとゲートが1個しかない小さな空港だったので、皆さんガッカリ!経由地のバンコクで下ろされたが、バスで移動している間にもう搭乗の時間となった。お買い物時間もトイレへ行く時間もなかった。すでに案内済みだったが、30分くらいあれば喜ばれたのにと思う。23時半にバンコクを出て、タイの時間で5時には成田へ到着したので、眠いし、まだ頭が働かないままお見送りしてお別れした。そして、担当者と精算して、終了した。

チェンマイ 麻薬療養所  内部はかなり広く緑が多い ヤモリがトイレにいた
ドイ・ステーブ寺院の坂 裸足でお参り 今回は煙ではなく青空が嬉しい
寺院へは肩の出るタンクトップやミニスカートや短パン以外で入るが、クツも脱ぐ。床が熱いのでソックスがあった方がいい

坂道を登るか、有料で往復20バーツでエレヴェーターもある

露天のお店を見て回るのが楽しい

右:ココナッツ・ミルクの入り甘辛いが
美味しいヌードル



2004年03月29日(月)晴れ、39℃
リス族の村

今朝は7時に起きた。外で爽やかな鳥のさえずりと一緒にトッケーの奇妙な泣き声がその名の通り「トッケー、トッケー」と聞こえる。朝はひんやり涼しいので、必ず上着は必要だ。朝食のお粥をオープン・カフェ?で取り、8時に3人の指導員をお見送りした。今日は学生さんたちのいるリス族の村から9時発でトレッキング予定。お弁当持って5時間コース。みんな暑い中耐えられるだろうか・・・。珈琲をいただきながら、絵葉書を書いた。そして、サイトの更新をしていると、11時に買出しのお迎えが来た。少々早いが、街へ出て、昼を取り、近くの「チェンダオ洞窟」へ行ってみた。タイでは一番大きな鍾乳洞で内部の見学コースは1本ではない。しかし、本道を外れるコースは真っ暗なので、懐中電灯とガイドさんが必要となる。
リス村へは冷たい飲み物と氷をたくさん買って、15時過ぎに行った。豚を野焼きにしていた。クルクルと回しながらの「豚の丸焼き」を想像していたが、ただ毛を焼いていただけだったようで、後は皆が見ている前で大きく解体して、何度かに分けて家の中へ。そこには6人の男性がいて、その肉を細かく分け、それをまた更に調理用に細かくしていた。中々始まる気配のないサヨナラ・パーティ。電気がないのだから、勝手に「暗くならないうちに始まって終わるだろう」と思っていたが、始まったのがもう暗くなり始めた19時だった。氷が解けるかと心配していたがまったく大丈夫だった。食事は先ほどの豚のお肉と野菜。そして、リス族のお酒。こちらからはビール1ダースとウィスキー2本を提供。一人のおばぁちゃんが「飲め飲め」と言って来る。逆にビールをすすめたら、喜んでグィグィ。最後には貴重な1本を持ち去られてしまった。その後はリス族の踊りが始まった。ステップが違うようだが、ぼ〜と見ていると皆同じに見える。このままでは中々終わらないだろうからと我々だけは21時にねぎぼうず村へ帰ることになった。22時前に到着して、帰りの準備と従業員のお姉さんと精算をした。そして、もう来ないかもしれないねぎぼうず村から、空を見上げていくつかの星を確認した。2年前は煙ですっきりしていなかったが、今年は確実に空がきれいになっていた。


2004年03月28日(日)晴れ、39℃
風がそよそよ吹き何もない快適ねぎぼうず村 

昨日別れ際に子供達の一人が「家にビニール袋の中でセミがたくさんバタバタしているんです」と言われた指導者の方。それは、きっと夕食か朝食に出たに違いない。電気もない村だ、お手洗いへ行くために、一昨日各家庭用にと10本の懐中電灯を買ったが、きっと役立っただろう。何を食べたのか、何時に眠ったのか、シャワーはどうしたのかな〜・・・いろいろと気になるが、覚悟してスティしているだろうし、病人、けが人が出なければいいと思う。
お昼ごはんを調達に大通りまで1.5kmの道のりを自転車で走った。目では確認できないくらいの坂道になっていたようで、ほとんど漕がなくてもたどり着いた。その分、帰りはそれなりにきついかった。「30年前の日本だ」と2年前も言われていたこのような市場の様子は今回もまったく変わっていなかった。2年前のシンちゃんジュースはなかったが、代わりにドラえもんジュースがあった。日本語のお菓子やジュースも多い。右はカルピ○とゆ○きちゃんと言うお菓子。その右端はえびせん。帰ってからスピッツのサンディに少しあげたら、気に入ってもっともっとと催促された。今は安らかに?!私の足元で眠っている。心地いい風が椰子の葉を揺らし、鳥のさえずりが聞こえる。時々、トカゲのトッケーも鳴き、セミが遠くで大合唱。鶏がいつでも鳴くこの村はとても快適だ。従業員の数人も村人で豪華リゾートホテルではなく、素朴なペンションが「ねぎぼうず村」 この時期は野焼き、焼畑、山火事で青空が望めないが、初日の夜は一人赤い月と星を確認している。2年前よりは青空を少しは見ているような気がしている。夜の満天の星はこの時期以外がいいだろう。11月初旬には朝は深い朝霧、夜は満天の星空のようだ。車さえあれば、この辺りは見るものはたくさんある。チェンマイから107号線で1時間半。チェンダオの先を1178号線に入り、ムアンガーイを過ぎて、左に1・5km入った所にある宿泊施設が「ねぎぼうず村」 王妃の農園、フレースワン王のスゥーパのある近く。温泉も近くに2ヶ所ある。山岳民族の村はまわりにたくさんあるし、国境の街までも近い。食事は何を食べても日本人の口に合う。
3人の指導者の方々は「いや〜、遠かった〜」と19時半にお帰りになった。夕食は近くのリゾート地へ行った。車が駐車した瞬間、突然周りの電気が消えた。ゆうべのレストランも停電していた。「今夜も停電か〜」もう驚かない。2年前には経験しなかったことで、最近少し豊かになって電気消費量が増えたからだろうか。真っ暗な中を懐中電灯でレストランまで行き、メニューもいつもと同じように日本語を話すガイドさんに決めていただく。何を食べても美味しいので、心配はしていない。ゆうべTRYしようとしてなかった「カエル」が今日はあった。どんな形でどんな風に調理してくるのかと思っていたら、から揚げにしてあった。1つ抓んで食べてみた。知らなかったら、お魚か鳥のような淡白な物だが、知って食べるのはやはり気持ち悪い。全員が少しだけ食べて、ほとんど残してしまった。「セミもありますが・・」「いや〜、セミはいいです」 途中で電気が付き天井を見上げるとヤモリがたくさんいた(>_<) 停電の中で厨房では料理しているから何が入ったかわからないかも・・・。ねぎぼうず村には21時半過ぎに帰って来た。指導者の方が撮影した「カエルの手のから揚げ」をお送りいただた。すぐにUPしたが、、あまりにもリアルで評判が悪いのでカットすることにした。わざわざお送りいただいたのに、すみません!
ねぎぼうず村の正面
階段の白いのはサンディ、右は自転車
後方からのねぎぼうず村 お昼寝用?!の小屋が裏庭に
アリ捕獲用の袋がぶら下がっていた
食堂兼催し物会場
リヴィング TVはないが
オーディオはある
いつも誰もいないすっきり事務所
FAX送受信可能 PCもスムーズに
繋がったが速度は極端に遅いが
2年前よりははるかに進歩




2004年03月27日(土)晴れ、38℃
ねぎぼうず村〜リス族村

今日は8時半に出発して学生さんたちお楽しみのエレファント・キャンプへ行った。まずは10時からの象さんの水浴びショー見学。次に広場での演技ショーを見る。ボールも蹴るし、ダンスもする象さんたち。小象が今年もたくさんいて愛嬌を振りまく。次は象さんトレッキングへ2名乗りで川を渡り進む。そして、いつもは牛車で帰って来るが、時間短縮のためにそのまま象に乗って帰り、昼食とする。12時10分には川下りのためにイカダに乗った。この時期は乾季で水量が少ない。最後のイカダに6名の所を私が乗って7名となり、イカダの底が時々川底を擦って進んでいった。途中でリス族の子供達がカラフルな帽子などを販売して来る。胸まで水に浸かっているが、他に浅瀬はたくさんあるのに・・・。2年前はのんびり心地いい風を受けて進んだいかだも今年はガリガリと音がしたり、時間もいつもよりはかかってしまって、次の学校訪問時間が気になって仕方なかった。それでも交代でイカダ漕ぎを体験してみたりと楽しかった。ファィチャカーン小学校には14時40分頃に着いた。校長先生は42歳のサーニットさん。先生は12名で生徒は354人。ラフ族の小学校で48人のリス族の子供もいるようだ。100%山岳民族の小学校。8村から来ているが、義務教育で登校しなくてはいけないが来れない子がまだ200人もいる。通っている子達で遠くは10km離れているため、寮がある。その寮は中庭も広くて、同じように遠くて通えない先生も宿泊している。全員で150人と言う。部屋は雑魚寝式だった。おもちゃや運動グッズをプレゼントして、ゲームが始まった。サッカー、バトミントン、バレー、おはじき、だるま落としなど・・・。6月までの夏休み期間で全員の生徒は来れなかったが、立派に交流出来た。そこから車で15分のホームスティ先のリス族の村へ行った。日本から来る時には、2年前に見た小さな村を想像していたが、この村は割りと大きく、過去に最近2回は日本人を受け入れたと聞いた。コーディネートのねぎぼうず村の高橋さんも一緒にスティして下さる。指導者のうち3名様もスティ。まずは村の指導者タンさん(トレッキング・ガイドさんで英語可)よりご案内があり、学生や3人の指導者の方々は各家庭へ引き取られていった。女性は民族衣装の軽装を纏った人もいる。再集合後、暗くなる前にヴィレッジ・ツアーをした。どの家も高床式でこれはタイの田舎の家と同じ。下には動物がいたり、農庫や家畜小屋となっている。子豚、子犬、鶏などが走り回っていた。電気もない村だが・・・車があったり、バイクがある家はかなりリッチな証拠?! 小学校前の建物(校長先生?!)にソーラーシステムを発見。そこだけが電気があるようだ。国境警備のポリスも5人滞在しているようだから、安心?!そして、暗くなりそうだったので、解散して、残りの指導者の3人の方々と私だけが途中で食事してねぎぼうず村へ22時前に帰って来た。電気もない村で、彼らはどんな生活をしているのか・・・、最後のパーティの日が来るのが楽しみだ。
エレファント・キャンプ 象の水浴びショー:10時開始 象に乗った少年達
イカダの川下り(ミンメイ)4〜6人乗り
先頭と最後に船頭さん2人がいる
イカダ下りで物売りをするリス族 ファイチャカーン小学校の寮内の
家畜小屋のブー・フー・ウー?!
ファイチャカーン小学校にて記念撮影 遠距離の生徒寮へ行く リス族の村には子豚、子犬が多い?!
リス族の家と
手前の黒いのは黒ブタと子豚
ホームスティ先のリス族の村 派手な衣装のリス族




2004年03月26日(金)晴れ、38℃
チェンマイ(バン・ロム・サイねぎぼうず村

今日はホテル(テレサ・テンが亡くなったホテル)を朝8時半に出発して、チェンマイ市内観光後、日本人名取美和さん経営のHIV母子感染孤児の施設「バン・ロム・サイ」へ行った。名取さんは日本へ講演会などのためにいらっしゃらなかったが、オオクマさんや他の日本人ボランティアの方々にご案内していただいた。「バン・ロム・サイ」とはタイ語で「ガジュマルの木の下の家」安心して過ごせる家と言う意味。現在27名の子供達が住み、21名は外の学校に通っている。近くの小学校では差別やいじめにあい、追い出されたようだ。まだまだこの病気に関して無知な人は多い。タイでは残念なことに母子感染の子供が150万人ともそれ以上とも言われる。タイ人の60人に一人はエイズウィルスの保持者と言われているようで、一般家庭にまで蔓延している。出稼ぎの多い農村の男性達が感染を知らずに持ち帰り、奥さんに移り、子供は生まれながらに感染者。そして、親はもっと早くに亡くなり孤児となる。平均寿命5歳。1999年11月オープンしたこの施設はほとんどがボランティアで活動をまかなっている。大きな建物は横浜ランオンズ・クラブやアルマーニ・ジャパンからの寄付金で建てられた。奥にあった素敵なデザイナーズ・プールは海を知らない子供でもわかるように、いきなり深いのではなく、遠浅になっているのがいい。「夜がまたとてもきれいです」と社会人5年生で退職してボランティアでやって来た茶髪のD.Wさん。こちらのことはホーム・ページで知ったらしい。そして面接を受けて、やって来た。食・住付きなので、とてもよかったと彼は言う。このプールはジョルジュ・アルマーニ・ジャパンからの援助金で造ったようだが、スクール・プールなどとは違ってお洒落なのは流石にアルマーニ!「それは何ですか?」と2年前もご一緒したご年配でやさしいNさん。アルマーニを知らない人もいたんだわ・・・と、少し反省。余談だが、イタリアへ行くと当たり前のように、ブランド物の話をするが、きっと知らずに来た人も多かっただろう。その後は町のホテルで食事をして、山岳民族博物館へ行った。館内は撮影禁止。象を使うかレン族が一番多くて438450人。集落は1925もある。山岳民族はタイに914755人いる多くの部族が文字をもたないので、このような生活品は親から代々引き継がれているようだ。日本のJICAのポスターもあった。。その後は約90分かけて、いよいよ「ねぎぼうず村」へとやって来た。懐かしいけど、気になる「やもり」たちの存在。こちらの経営者の一人でコーディネーターの高橋さんに「ヤモリを追い出しておいて下さい」とまじめにメールしたが、「ヤモリは村では空気のような存在。あの泣き声も可愛いではないですか」と返事が来た(^_^;) カントーク・ディナー後に近くの高校生4人が踊りを披露してくれた。ギターとボイス・パーカッションで、皆でスピッ○の「チェ○ー」を歌い、お返しとしたのはいいアイディアだった。そして、輪になって踊りが始まり、盛り上がって21時前に終了。今夜が最後の温水でのシャワーとなる学生達。覚悟は出来ているのかしら?この後、私は事務所で電話線を抜き、PCに繋いでみた。2年前とは違い、すんなり1回で繋がり、切れなかった。ただし、かなり速度の遅いのにはイライラ。「旅プラスAtoZ」「旅の空から」の変更したTOPが更新されない。タイのページは出るので、問題はないが、ミステリーツアークイズが出来なくて困った。翌日UPされていたのを確認済み。
ジェィ・ディ・ルアン 39頭の像がいるのは造った時の
王様の年齢数 現在は誰も登れない
ワット・プラ・シン内部
オレンジの袈裟を着た
青年坊さんがお祈りしていた
バン・ロン・サイ
HIV児童感染者施設訪問
ライオンズ・クラブなど
日本からの支援は大きい
運営から患者、施設内での生活、学校、医療、生活、ボランティアなどの話をオオクマさんに約30分していただく。 園内をご案内して下さった4人の日本人若者ボランティアさん達と日本からのツアーの子供達の指導者の安部さん
アルマーニの支援の建物
お寺と同じように、クツは脱いで上がる
ジョルジョ・アルマーニの銅版が
建物の壁に埋めてあった
このお洒落なプールもアルマーニ・ジャパンの支援で完成。海のように遠浅にしてある夜のライトアップが素敵だとか・・・。
赤い夕陽が沈む18時頃 カントーク・ディナー
どれも日本人の口にあって美味しい
4人の高校生が踊りを披露




2004年03月25日(木)晴れ、38℃
チェンマイ

千葉の生徒、学生さんたち18名と指導者6名の24名様と2年前と同じボランティアの仕事でやって来た。今日は成田からチェンマイまで飛んで来て、中華料理の夕食後、近くの「ナイト・バザール」へと繰り出した。心地いい風が吹き、昼間あのバンコクで飛行機を一旦降りた時の蒸暑さを忘れさせてくれる。23時に帰って来て、私は一人でホテル前のマッサージ屋さんへ行った。フットマッサージ1時間170バーツ(約550円)そして、今帰って来た。
明日からねぎぼうず村へ宿泊するが、きっとまたオフィスの電話をお借りしても繋げないだろうと思うので、眠いが数枚の写真をUPしておきたい。子供達は今年は山岳民族の家にホームスティする。昨年のノンブア村では水道のホースでシャワーを浴びたが、今年は川か井戸かな〜。外のトイレへ行くために明日は懐中電灯を買うことになっている。さて、どんな体験をして帰って来るのだろうか。私はずっとねぎぼうず村にお世話になる。また帰国してから他の写真はUP予定。
ナイト・バザール
たくさんの観光客が繰り出している
22時頃  スタバもあった
車を改造したバーがオープンしていた
西洋人が坐りお酒を飲んでいる
明日から行く山岳民族が現金収入
のために自作の物品販売していた
「ホームスティ先のママよ!」と言うと
学生さんたちは「え〜?!」
バザールで気になったランタン
きれいなデザインで木作り
安いものは電球もつけてくれて約700円
時間があればもっと真剣に見たかった


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