旅の空から
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2003年03月06&07日(木・金) 晴天 23〜2℃
マイアミ〜ニューヨーク〜成田(アメリカ:ニューヨーク州)

朝4時に起きて、5時のシャトルバスに乗り、マイアミ空港へ向った。バスの出発に合わせて欠食児さんがお見送りに来て下さった。昨日3人でプレゼントした青いTシャツがサイズもちょうど良く、お似合いでホッとする。空港ではUAとAAの私とに別れた。私はチェックイン後、ラウンジへ行き、旅のメモを読み返してみた。毎日のドライブの長さに欠食児さんの大変さを痛感。飛行機内ではファースト・クラスで最前列だった。マイアミに来る時に、LAXでリコンファームでリクエストしておいた。しかし、ゆったりした気持ちいいイスで爆睡して何も憶えていない。気がついたら雪のニューヨークに到着寸前で、マンハッタンの街ももう見えないくらい低い位置にいた。乗り継ぎに一旦外へ出て、雪の中をシャトルバスでターミナル1番へ。たった3時間でこうも温度の違うところへ来てしまうなんて。到着ロビーへ着いた。13日にはここへペルーのお客様と乗り継ぎでやって来る。そのために少し流れの下見をした。その後出発ロビーへ上り、搭乗券を換えると言われたので、カウンターへ。厳しいセキュリテー・チェックを終えて、ラウンジへ向った。窓際のフリーのPCが1個空いていた。ラッキー!それで少しは時間も有効に過ごせる。「掲示板」へ報告へ。飛行機は定時を少し遅れて出発。すぐ横にはAFのコンコルド機があったので、雪ではっきり見えないけれど、写真を撮ってみた。そのうち飛行機が止まり、「これから脱氷作業と防氷作業をします」とアナウンスが流れた。ちょうど翼の近くの席だったので、写真を撮りながら眺めて飽きない。オレンジ色の液体を吹きかけきれいに氷を取り除き、その後吹きかけたグリーンの液体が防氷だろう。結局1時間以上の遅れで飛んだが、今日は飛行時間が短く、定時より30分早い到着となった。しかし、成田空港混雑のために結局30分は上空で旋回していて、定時の到着に。マイアミで預けた荷物がすぐに出て来た。宅配をお願いして、pepeさんとの待ち合わせ場所へ急いだ。「人相悪くて入国が遅れたのでしょう」と掲示板の仕返しのお言葉。しかし、無事に帰国できて安心しした。pepeさんとお茶して、またLAとFLの話で盛り上がり、再会を約束して、お別れした。楽しいことは早く終わるものだとしみじみ感じた旅だった。欠食児さんは今日お帰りになる。エヴァーグレース国立公園へは行けたのかしらと少々心配。USAの国立公園ファンの彼はここへ一番行きたっかったはずだから。初対面の方が3名いらしたのに、愉快な旅が出来て、本当に楽しい海外OFF会だった。
ニューヨークJFK空港の
ターミナル1
ラウンジから見えた韓国の飛行機と向こうに日本の飛行機。手前には雪。 窓から見えた翼部分
雪が固まっている
コンコルドの後方へ回り込む AFのコンコルドの羽部分 先端部分だが、大雪で搭乗もSTOP?
雪の降る中翼部分の脱氷作業 オレンジの液体を吹きかけ脱氷する 私の席の窓。機体にもこのように吹きかけられ、次に防氷作業が行われた。

2003年03月05日(水) 晴天 30℃
,マイアミ(アメリカ:フロリダ州)

今日はエヴァーグレースへの道で事故渋滞していたので、諦めて、ココナッツ・グローブへ行った。マイアミで最も古い街である。近くにはガジュマルの大木が並ぶ高級住宅街があった。女性群は初めてのショッピング・タイムとなり、みんなGAPへ入り、ディスカウントのお土産をゲットして帰った。

2003年03月04日(火) 晴天 31℃
マイアミ〜キーウエスト(アメリカ:フロリダ州)

今日は早起きしてキーウエストへ向った。すでに朝から23℃で、湿気もある。国道1号線で直行すると250km先終点がキーウエスト。マイアミから世界遺産エヴァー・グレース国立公園沿いを走り、島々の42の橋を渡る。憧れのセブン・マイル・ブリッジ。そして英米文学をお勉強した?!私には夢のミングウェイの家がある島キーウエスト。彼は1928年に2番目の奥様ポーリンと避寒のために来たのが始まり。その後、この地が気に入り、8年間過ごし、「武器よさらば」「誰がために鐘が鳴る」「海流の中の島々」などを書いた。
キーウエストへ到着前に食事を済ませ、まずはサザンモスト・ポイントへ行ってみた。意外に小さかった。ハイ・シーズン中の島内には観光客がたくさん。車もなかなか止められずに苦労した。何故か今日はバイク族が多く、あちこちでブンブン走り回っていた。ここでもバイクと一緒に強面の人たちが記念撮影をしていた。その後はヘミングウェイの家へ。9〜17時、大人は$10、小人は$6。入館すると横の駐車場が無料となる。日本語の各部屋の説明書きのコピーをいただいて回った。広くて大きな家にはたくさんの海外からの置物などがあった。猫達がのんびり昼寝をしていた。ここは猫天国で、56匹いると聞く。近くのカフェで有名な「キーライム・パイ」を少しいただいて、マイアミに戻ることにした。途中、ちょうどseven mile bridghを走っていると夕陽が沈んだ。沈み切った後の空もきれいだった。拡大で裏ページ有り。夕食は中華でpepeさんにご馳走になった。注文の食事はどれも美味しくおすすめのレストラン。残り物は「ドギーバッグ」に詰めてくれる。住所:91200 Overseas Highway Tavernier、FL 33070 TEL:(305)852−8508 キーウエストからはマイアミに向って左のマクドナルドの先を入ると奥がTavernier Town Shopping Centerで、その一部になる。隣は大きなスーパーマケットなどもあり、買出しもしたいところ。
7マイルブリッジは6.79マイルで
10.86kmの長さ
右は1935年にハリケーンで壊れた橋で有料。途中の島まで通行可能。 長くて先が見えないSeven Mile Bridge
マラソン島にある
感激の3人は興奮状態
左からpepeさん、ミンメイ、efyさん
欠食児さんが示すのは旧7マイルブリッジの中央線と有料入口 きれいな海はメキシコ湾側。
さんご礁で色が変わる。
ブーゲンビリアの咲き誇る街 コンク・ツアー・トレイン オールド・タウン・トローリー
正面を入ると右にチケットオフィスがある。ガイドツアーもある。 横から眺めた家の様子。猫が50匹いると言われている。 猫の水飲み
樽はスペインのオリーブ樽。下は酔っ払って持って来た男子トイレ
ベッド・ルームこれはシングルベッドを合わせてキングサイズにしたもの。戸棚にはピカソからのプレゼントの猫の置物がある。 別棟の2階にある
広いヘミングウェイの書斎
キーウエストでは
最初のプール
サザン・モスト・ポイント
USAの最南端の碑

キューバまで90マイル(144km)地点
国道1号線の出発点 そして国道1号線の
最終地点
キーウエストの夕陽
沈んだ後の拡大画像あり
助手席側のサイド・ミラー
に映る夕陽
ドライバー側のサイド・ミラー
に映る夕陽


2003年03月03日(月) 晴天 30℃
マイアミ(アメリカ:フロリダ州)
LAからの移動日。UAとAAとに分かれて、出発。5時間のフライトだが、時差が3時間あるので、機内で8時間も進んでいる計算。丸々移動の日だったことになる。到着前に下に見えた世界遺産のエヴァー・グレース国立公園の広大な沼地。まっすぐに伸びる運河と道路。平坦な沼地で何もないのが、いいようだ。ワニがいるそうで、5日のエアボードが楽しみ。空港のハーツのカウンターで待ち合わせしていた。車を借りて、ノース・マイアミへ向う。ホテルの最上階のペントハウスが格安で予約出来たのはefyさんのお陰、感謝。夜景もきれい!2ベッド・ルーム、広いリビング・ルームにキングサイズのソファー・ベッド、フル・キッチン(普通の家庭のキッチンと同じ広さでお鍋、食器、コーヒーメーカー、電子レンジ、オーブンなど完備)、洗濯機、乾燥機、アイロン、オーディオ、TV2台、大きな冷蔵庫、ウォーキングクローゼット、2バスルーム。ここで1週間滞在したら、ホテルの下にあるジャグジーやプールにも行く余裕はあっただろう。下のレストランはホテルのすぐ近くに見つけたミンメイお気に入りのレストラン「トニー・ローマ」LAで行けたらいいなと話をしていたばかりで、発見の瞬間、他の3参加者に有無も言わさず、夕食はここと決定。夜にチェックインしたのでわかならかったが、朝起きてこの眺めを見て、またまた皆で大歓声。本当にこのお値段でいいの、efyさん?6時半からオープンする朝食もしっかりアメリカン。夕食も軽食だが17時〜19時半にサービス有り。我々は両日とも間に合わず、夕食内容は見ていない。
ホテル近くのトニー・ローマは
ミンメイのリクエスト
大好きなスペア・リブ
画像が暗くて美味しそうに
見えず残念!
これが絶品のオニオン・リング


2003年03月02日(日) 晴天 23℃
パサディナ(HTさんと孔雀に会い、孔雀OFF会)

今日は朝ゆっくり起きてHTさん宅を目指した。時間があれば、ハリウッドへ行く予定だったが、却下。全員がLA体験済みなので、無理はしないことにした。高級住宅地で有名なパサディナ方向へ走る。手前の街で高速を降りて、スーパーマーケットへ入った。そこからHTさんへ電話してみる。結構、緊張・・・。欠食児さんは待つ間に「7個99セント」のまるちゃんラーメンをたくさん購入して満足そうだった。HTさんがいらした。イメージ通りのやさしそうな方で年齢も想像どおりだった。それからHTさん宅で車を1台にして、まずは孔雀を見に行った。近くの公園から逃げ出した孔雀が野生化してこの街を自由に闊歩していると言う。しかし、捕獲すると罰金$1000の孔雀天国。出発してすぐ孔雀の団体が見えたので、記念撮影。その後は高級住宅街をドライブ・・・ため息が漏れる。HTさん宅ではご家族の方々もいらして賑やかだった。我々4人入り、全員で10名と膨れたが、お部屋が狭く感じないのはかなり広いせいだろう。絵本とpepeさん提供のシャドー・ボックスのプレゼントをお渡しした。外のテラスにセットされたBBQの食材を見てビックリ!画像ではどのくらいの大きさかわかり辛いが、かなりの物をご用意していただいた。HTさんは先週大学の学会でモントレーの方へ出張されていた。このOFF会のため、ご帰宅後はきっと忙しかったに違いない。大感謝!食事もきれいな奥様手作りのカルフォルニア巻きやサーモン寿司、ウナギ飯、サラダと並んでいた。カルフォルニア・ワインなどの各種の飲み物も。話もそこそこに大きなテーブルに並べられたお皿を立ち上がって、あれこれと手を付けて行く欠食児さんに、皆またまた唖然。やはり昨日のお昼に感じた食欲は幻ではなかったようだ。BBQのお肉は海外で今までにない柔らかさと美味しさだった。陽が落ちて寒くなった。見上げた空には星が輝いていた。皆でお片付け後はpepeさんのフラメンコ披露会となった。伴奏者はHTさん。そして、対抗するはHTさんの長女Yちゃん。ピアノ演奏とHTさん伴奏の「白鳥の湖」をご披露。最高の盛り上がりとなった。その後デザートをいただいた。奥様手作りのプリンと、LAではどこのスーパー・マーケットでも販売しているらしいが、初めて見た「ゴディバ」のアイスクリーム。遅くならないようにと考えてはいたが、20時45分となったので、お別れした。突然の見ず知らずの参加者との孔雀オフ会の開催に心より感謝致します。
HT邸近くにいた孔雀達 野生の孔雀、捕獲
$1000罰金
左より、efyさん、
ミンメイ、pepeさん
大きなロブスター!
他に牛肉、鶏肉、海老など豪華なBBQに皆ビックリ!
アボガドの入った
カルフォルニア巻きはミンメイのお気に入り
ロブスター・サラダ
10人のメンバー(子供2名含)がいたのに欠食児さんは一人であっという間に1尾ぺろり


2003年03月01日(土) 晴天 23℃
ティファナメキシコ:旅の繋がりでこちらにもUP)

今日はサンディエゴのホテルの裏にある鉄道で国境の町まで行き、徒歩でメキシコへ入国してみた。トラムは15分おきに出ている。往復4.5ドル。ホームで先に券を購入しておく。45分で到着。出入国には何の手続きもない。アメリカはどこの空港でも同じように出る人は拒まない。ティファナに来るのは久しぶりで、徒歩で渡るのは初めてだった。そこには少し古めかしくスペインを思わせる街がある。とても安全とは言えない雰囲気もあり、それでいて何だか懐かしい感じも受ける。ドラッグ・ストアーがたくさんあった。ビタミン剤などきっと安いのだろう。食事はメキシカンにした。どこへ行っても夜はディスコになる2階のレストランで、お世辞にもきれいとか素敵などと言う言葉は出ない。3件目に諦めて決定したレストラン。お味はそれなり。好きなファジタを注文した。これはLAのマクドナルドでもある物で、よくホームスティの仕事の時に先生と食べた思い出の物。味は焼肉の材料をそのまま皮で包んで食べると言う無難な物。香辛料もないので日本人には誰でも食べられる。他に注文した物も美味しかった。量が多くてかなり余った。もうとても食べられないと思っていたら、欠食児さんが食べる食べる・・・3大美女は唖然として眺めていた。それも無理してではなくペロリと平らげてしまった。逞しい!スーパーマーケットに立ち寄った。ドルの$表示だったので、嫌に物が高くて驚いた。しかし、ここはメキシコ。レジの人に表示はドルかどうか確認に行く。「ペソ」との回答に「じゃ、安い!」と皆大騒ぎでお買い物をする。メキシコから帰る時には、アメリカの入国審査場に200mもの行列があり1時間15分かかったのは、週末のせいもあるだろう。行列の途中、横のレンタ・サイクルのお店を何気なく見ていた。こんな子供用の小さな自転車を何故レンタルしているんだろうと誰もが思っていた。その謎が解けたのは、我々の横をスイスイ自転車を押して「自転車・レーン」を通って行くのを見た瞬間だった。「あ〜、そうだったんだ!やられた〜!」 約5分もあれば、アメリカへ入国出来るようになっている。この頭のいい商売に脱帽。値段によっては我々もこれで良かったのにがっかり。ホテルから車を出して、LAへ戻った。夜食は持ち込みのカップ生うどんとした。
歩道から見えるメキシコへの
入国審査場
ティファナの中心レヴォリュー
ション通りのシンボルのアーチ
国境石碑と欠食児さんの影
艶やかなソンボレロ マラカスもメキシコらしい インディアン・ダンスの
パフォーマンス
牛のシュニツェル トンピョウニョ・フィレ ロス・モルカョス

2003年02月28日(金) 晴天 20℃
サンディエゴ(アメリカ:カルフォルニア州)

1月31日に掲示板で何となく盛り上がり、2月3日にはHTさん宅でのLAオフ会参加者決定と早い展開に誰もが驚いていた。今日の成田空港第一ターミナルのコスモ・プラザ集合は14時だった。私は先にチェックインを済ませ、pepeさんと第2ターミナルで食事をした。その後第1ターミナルへ移動して、ドキドキしながら、efyさん、欠食児さんを待った。初対面だから何もわからない。13時45分くらいに欠食j児さんがいらした。174cmと聞いていたがあの掲示板のアイコンのように足が長く細い方だった。efyさんがすぐその後いらした。お下げ髪ではなくショート・ヘアーのやさしそうな方だった。ご挨拶をして、すぐにUAのチェックインへ。私は飛行機が違うので、そこで一旦お別れして、第2ターミナルへ戻り、出国した。ラウンジへ行ったが、PCが使われていて、チャンスはなさそうだったので、いつものyahoo cafeへ移動。出発の挨拶をした。今回はミンメイUの調子悪いため置いて行くことにした。efyさんの初海外PC体験に少し協力して、時間があれば使わせていただく予定。機内ではマイレージのビジネスクラスの席なので最後方だった。それでも、ゆったりですぐに眠りに落ちた。気が付いたら、ドリンク・サービスが始まっていた。快適な空の旅だった。
LAXロスアンジェルス空港での待ち合わせはなく、彼らが1時間到着が早いのでハーツレンタカーの事務所となっていた。私の方が飛行機の成田出発の遅れた分も有り、トータル1時間30分遅い。機内から急いで出て、入国審査場、荷物のピックアップ後、税関を抜け、外へ。目の前にハーツのシャトル・バスが止まっている。わ〜・・・と悲鳴なのか叫びなのか・・・あげて、道路を横断する・・・飛び乗った瞬間時計を見たら、飛行機が到着して25分後だった。成田空港だってこんなに早く出たことはない。ビジネスクラスなのに、成田では荷物にファーストクラスのタッグをつけていただいたり、自分なりの努力?!のこの結果にニンマリ。なのに、ハーツに到着すると誰もいない。不思議に思って、カウンターでUAのフライトの到着を聞く。遅れたわけではない。レンタカーはまだ借りていないとの返事。う〜ん、何があったのか・・・人相悪い3人だから入国で引っかかったか、と心配していたら、10分後に欠食児さんが飛び込んで来た。「あっ、やっぱりミンメイさんが早かった」後からお二人が「あら〜、良かったぁ〜」とやって来た。再会できホッとした。入国審査場に1時間以上並んだとブツブツ。レンタカーを借りて、まずはマリーナ・デル・レイへ出発。お昼を食べながら、サンディエゴまでの道など確認した。pepeさんのご親戚のお宅にも立ち寄った。久々の再会にpepeさん嬉しそう。ニューポートと言う閑静な住宅街だった。素敵なお宅で、お庭にリスが出てきて私たちを喜ばせた。約1時間後、我々はサンディエゴ・ハイウェイを走っていた。夕陽が落ちそうな頃にレスト・プレイスへ到着。寒かったが約15分間待って、きれいな夕陽を眺めた。サンディエゴのホテルを決めていなかったので、適当に街を流して決めた。その前にトイレに行きたくて、女性群は大変だった。「笑わせないで」、とか、「これ以上走れない」とか(^O^) 
海に沈む夕陽:17時40分頃
拡大します
寒い中ジッと落ちるのを
4人で静かに眺めている
旅の安全を
お祈りしていたら沈んだ

2001年03月08日(木) 晴天 18℃
ユニバーサル・スタジオ(アメリカ:ロスアンジェルス)

10回以上行ったけどいつも楽しい。映画で見て知っていると感激もひとしお。
本物の映画セットが見られるスタジオ巡りのトラムは右側に乗ることをおすすめ。途中いろんな体験をする。ゴジラが出てきたり、大地震や大洪水になったり、虫が顔にくっついたり、ジョーズが突然襲い掛かったり・・・。
トラム・スタジオ・ツアー、バック・トゥー・ザ・フューチャー、ジュラシック・パーク、バック・ドラフト、ターミネ-ター2、ウォーター・ワールドなど抑えておくといい。時間があれば、E.T.であの自転車に乗って月へ向かって飛んでみよう。E.T.が最後に名前を呼んでくれるので、入り口で忘れず自分の名前を言ってコンピューターにINPUTしてもらおう。
正面入り口前の地球儀待ち合わせはここが一番。この前は団体用のバス駐車場。右方向はシティー・ウォーク。 自家用車の駐車場、タクシー乗り場近くの噴水。この前に正面入り口がある。
「バック・トー・ザ・フユチャ-」の撮影に使われた本物の車が置かれている。後方は人気のエンターティメント乗り場入り口。 シティ・ウオークはたくさんのSHOPやレストランがある。お寿司屋さんもあった。その一番奥には写真の「ハードロック・カフェ」もある。

サンタモニカ(アメリカ・カルフォルニア)

住宅視察でアメリカ西海岸へ来ている。
土地付きで2000万円〜3億円の住宅を見た。海外のインテリア雑誌の中に出てくるような素敵な家ばかり。日本のように、向きよりVIEW重視で、海が見える、夜景がきれい・・・などの好条件が高価。
今、部屋からはサンタモニカ・ビーチとオーシャン・パシフィックが見える。サンタモニカは治安も悪くないので、リトル東京などへ宿泊するよりおすすめ。サードストリート・プロムナードなどでは夜遅くまでSHOPもオープンしている。美味しいレストランも多い。少し離れたメイン・ストリートにはシュワルツ・ネッガーの経営するレストラン「シャッツィ・オン・メイン」もある。
左は夕陽の落ちる午後17:30頃



2001年01月19日(金) 3℃
ソルトレイクシティ(アメリカ)

モルモン教の総本山
ソルトレイクシティは人口17.5万人のユタ州の州都。
2002年冬季オリンピック開催地としても有名。
3日目の今日やっと1時間のフリータイムをいただいた。
残念ながら、500人の方々と一緒のため、時間がなく写真も撮れない。
初日の17日は時差マイナス16時間(1日が40時間あった!)で
睡眠時間2時間、昨日は5時間。少々疲れ気味。


2000年12月24日(日)自宅にて
昨日ニューヨークから13時間半のフライトで帰宅。
クリスマス・イヴというのに、明日田舎へ帰るため大変なことになっている。
年賀状の印刷、お掃除、お洗濯、お買物・・・・旅便りが日記になっている?
大好評の下のクリスマスツリーの画像をお送りしますので、ご希望の方はメールを下さい。
もう少し大き目の画像はかなりいけてますよ。
お遊びでアルバム作成してみました。下記からジャンプします。(6/16)
http://www.photoaccess.co.jp/share/guest.jsp?ID=A788029525&cb=PA


2000年12月21日(木)晴れ最低-7℃最高ー1℃
ニューヨークNO.5

ロックフェラーセンターのクリスマスツリー

2000年12月20日(水)晴れ最低-4℃最高-1℃
ニューヨークNO.4

ハーレムのアポロ・シアターへ行った。今日はたまたまアマチュアの3ヶ月間のチャンピオンを決める日だった。日本人の男の子が出場。最後の4人に残ったので、来週の年間チャンピオン・シップに出る権利を得た。まだ声変わり前の彼は、ホイットニー・ヒューストンの「Always Love You」を熱唱して大喝采を浴びていた。
アポロ・シアター内部。ジャクソン・ブラウンやマイケル・ジャクソンがジャクソンズ時代に歌っていた。他にも有名人がここで歌っていた。 アツシ・フナキ(13歳)3ヶ月間のチャンピオンシップに残った。帽子をかぶっている。シアターの前で皆に囲まれていた。頑張ってほしい。



ニューヨークNO.3

「フりック・コレクション」美術館へ久々に行った。ヘンリー・クレー・フリック氏(1849〜1919)の収集品を、氏の邸宅をそのまま美術館に変えて公開してるもの。彼は19世紀に鉄鋼業で巨万の富を得た実業家だった。今回で3回めの訪問だが、その度に印象が変わる。今回は今までにない驚きと発見をした。「エッ!」と言ったまま開いた口が本当にふさがらず、係員が固まっている私に声をかけてくれたほど。驚いたのは大好きなフェルメールの絵がこんな小さな美術館に3点もあったこと。何年か前にオランダでフェルメール展があった時、世界中の人が集まった。私はチケットが取れなくて泣いた一人。それ以来以前にも増してフェルメールへの思い入れは深くなっていた。他にも巨匠の絵画がいっぱい詰まっている。「すごい、すごい」とメモ取りながら回った。どこの美術館でもメモを取りながら回っているが、結構注意される・・・ペン先で絵画を傷つけられると困るからか。しかし、ここは何も言われなかったので、メモったペインターの名前をいれてみることにした。
入場料:$7、住所:5番、71丁目の角の洋館、45分もあれば回れるのが気に入っている。
パンフレット:$1.00、オーディオ・ガイド:無料(日本語有り)クローク右奥、チケット売場も右奥。下記は館内を左周りした順番の画家名。
フィリッポ・リッピ、メム・リンク、ファン・アイク、ブリューゲル、エル・グレコ2点、ブーシェ(多い)、フラゴナールの部屋、ゲインス・バラ、コンスタブル・ターナー、イタリアはテッツアーノ、ベリーニ、モネ、マネ2点、ルノアール、アングル、コロー、ワトー、ドガ、ファンダイク、ヴェロネーゼ2点、ハルス、レンブラント3点、ラ・トュール、フェルメール3点、ベラスケス、ゴヤ、ミレー、ダヴィデ、ホイッスラールドン、ピカソ、と個人のコレクションでは幅広く偏りがない。


2000年12月19日(火)晴れのち曇り最高3℃最低-5℃
ニューヨークNO.2

今日も耳が痛いくらい寒い一日だった。道端の水溜りの氷が昼間でも溶けなかった。
夜はミュージカルへ。「オペラ座の怪人」・・・1度は見なくてはと思っていたから、気合を入れて行ったが、疲れと時差ぼけとで時々意識を失っていたようだ。館内は寒かった・・・使い捨てカイロがここでも活躍。コート着たままで見ている人が多い。薄手のドレスなどは風邪をひくので気を付けよう。最近は正装している人の方が少ない。ジーンズ、スニーカーでなければ、何でもOK。
明日は必ずロックフェラーのクリスマス・ツリーのイルミネーションを見に行こうと決心。
有名なロックフェラーのクリスマス・ツリー。夜は身動きできないほどの人が集まる。 夜のタイムズ・スクエア。昨年の大晦日のカウント・ダウンも世界中へ放送された。



2000年12月18日(月)晴れ最高3℃最低ー5℃
ニューヨークNO.1

昨日飛行時間11時間半で飛んで来たニューヨーク。ほとんど眠れなかった。日本と時差が14時間あるので昨日一日が38時間もあった計算になる。大変眠く、だるい状態だったが時差ボケにならないように、夜はいつもの時間に休んだ。
今日は午後からリンカーン・センターの内部見学へ行った。11もの由緒あるパフォーミング・アーツの施設がある。その中でも、メトロポリタン・オペラ・ハウスやジュアード音楽学院などは、世界的にも有名で知る人も多い。
リンカーン・センターの最大の建物はやはり「メトロポリタン・オペラ・ハウス」。赤いカーペット、螺旋階段、そしてオーストリアの水晶で出来たシャンデリアに飾られ、1996年9月16日オープンした。アメリカン・バレー・シアター、キーロフ・バレー、ロンドン・フェスティバル・バレーなども度々迎えている。建築家はハリソン&アブラモビッツ社のウオレス・K・メリル氏。建築費用は$46、900、000ドル、座席数は3788、立見席200である。
下の写真の中央が正面玄関。シャガールの絵が左右に2点ある。裏話の実話・・・、シャガールはこれらをまったく逆に飾るように指示したが、間違って飾られ、ずいぶん気分を害したようだ。こんな素晴らしいそして巨大なシャガールの絵を入場しなくても、外から見ることができるなんて、あとはスイスのチュ-リッヒの教会のステンドグラスくらいかも・・・。ただ昼間の太陽の日差しが強い時はカーテンを引いて、作品を守るので見えなくなる。朝方か夕方、お天気の悪い日におすすめ。ウロード・ウェイとコロンバス・アヴェニューの西、アムステルダム・アヴェニュー東と62.63丁目の巨大な敷地に各劇場合計13666の席がある。
正面左の
シャガールの
絵(赤い絵)
メトロポリタン・オペラ・ハウス
の正面
正面右の
シャガールの
絵(淡い絵)
ジョン・レノンゆかりの地巡りをした。
ダコタ・ハウスは正面から中庭に大きなクリスマスツリーが見えた。ここの最上階で彼は暮らしていた。そこからはすぐ下にセントラル・パークが広がっている。
ダコタ・ハウス。最上階がジョンレノンのペント・ハウス。左の黄色のタクシーの先が正面玄関。彼は20年前の12月8日、ここで打たれ亡くなった。 ダコタ・ハウスの横断歩道を渡ったすぐ前のセントラル・パークには、記念のストロべリー・フィールドの看板がある。 ストロべリー・フィルドの先に「IMAGINE」の記念盤があり、お花や写真が置かれていた。

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