旅の空から
ラインライン

ポルトガル

一般事情 (ポルトガル政府観光局のページより)
1.面積 91,985km2(日本の約4分の1)  2.人口 約1,032万人(2000年)
3.首都 リスボン市(大リスボンの人口は約188万人) 4.人種 ポルトガル人 5.言語 ポルトガル語
6.宗教 カトリック教徒が圧倒的多数
7.国祭日 6月10日(ポルトガルの日、大詩人カモンイス逝去の日)
1143年 アフォンソ I世の即位(ポルトガル建国の年とされる)
1580年 スペインのポルトガル支配 .1640年 独立回復(王政復古)
1910年 第一共和制(−1926年)
1926年 第二共和制(−1974年)(サラザール首相就任は1932年)
1974年 4月25日 革命、サラザール政権崩壊 1976年第三共和制

2003年01月02日(木)薄曇り時々雨、17℃
ケルース〜リスボン

宿泊しているピンクの
ボウサーダ国営高級ホテル
ケルース宮殿入口
10:00〜 3ユーロ
天皇陛下もお泊りになった
迎賓館
以前日本でも流行った
エッグ・タルトの老舗ベレン
世界遺産ジェロニモス修道院
空には電車用の電線が写った
バスコ・ダ・ガマのお墓
世界遺産ベレンの塔 南蛮屏風(国立博物館内) エッフェルさんの作った
エレベーター

2003年01月01日(水)薄曇り時々雨、17℃
ナザレ〜オビドス〜シントラ〜ロカ岬〜ケルース

カウントダウンで0となった瞬間、海に向かい花火が炸裂。それから朝の4時まで海辺のコンサートは終わらずに、賑やかだった。どこからこの若い人々は集まって来たのだろう。これがここ2年くらいのナザレの年越しのようだ。ラッキーと考える人、こんなはずではなかったと考える人、さまざま.・・・。私はもちろん、ラッキー派。
今朝はこのお祭り騒ぎの睡眠不足のままナザレを出発。40分で城壁で囲まれた可愛らしいオビドスの街へ入った。中心までは駐車場から徒歩10分。その後、解散自由散策にした。元旦は全部閉まると思っていたSHOPも少し開いている。気になっていた公衆トイレも開いていた。城壁に上り、街を眺めてみた。ガイドさんに「あそこからの眺めはいい」と聞き、上ってみる。絵葉書やパンフレットのような風景が目の前に広がっていた。前回来た時も雨だったと思い出す。次回は快晴の夏、ブーゲンビリアのきれいな時に来たい。世界遺産シントラの近くでの食事中、小雨が降って来た。今日は海外でピンと来ないが一応元旦。成田空港からお客様にお年玉感覚で購入して来たお酒を「おとそ」変わりにサービス。「空港って結構高いんだよね」と、どなたかが叫んで下さった。何だか予期しないお言葉で嬉しかった。シントラでもSHOPが少しオープンしていた。ロカ岬までの道は濃霧でまったく前が見えない状態だった。そんな中、ふっと前方に現れたロカ岬。たくさんの車も来ていて、SHOPも開いていた。気がかりなトイレも大丈夫とわかってホッとする。大西洋の荒波が岸壁に打ち付けている中、ヨーロッパ大陸最西端の地記念碑と赤い灯台を撮影。夕方、今夜から2泊する国営高級ホテルのボウサーダへ入った。ピンクの可愛い建物は、ケルース宮殿の一部。天皇陛下もお泊りの迎賓館もすぐそこにあった。ここでは日本を離れる時からの問題だったのがお部屋割り。結局、公正にくじ引きにした。広さは充分だが、窓の大きさが違う。入ってみると、そうどこも変わらず安心した。これを知っていれば、そうそう悩み続けなくても良かったと思う。ずいぶん脅かされて来たので、気分はナーバスだったのが、悔しいくらいだ。夕食は広い敷地内の道路を渡った所にある、有名なお台所レストラン。257年前の宮殿にあった厨房を55年前にレストランに改造。リスボンからもリッチな方々がわざわざ食事に来るところらしい。厨房だったとのことで、グリル用の大きな煙突もあるり、なかなかユニークなレストランだった。夏など予約が難しいと聞いた。
明日はリスボン観光と午後はフリータイム。夜はファドを聞きながらの夕食となる。お天気が良くなりますように!
この5枚は
オビドスの街の画像。

下の3枚はロカ岬。
ヨーロッパ大陸の最西端岬。
今日は岬の観光局は閉まっていたが、ガイドさんがすでに最西端到達証明書を作成していてくれた。

2002年12月31日(火)薄曇り、17℃
コインブラ〜ファティマ〜バターリャ〜ナザレ

今日はまずは大学の街、コインブラ見学。その後に、奇跡が起きたと言われる聖地ファティマ。昼食はこの地方の名物料理のコジィド・ア・ポルトゲーザ(ポルトガル風のポトフ:写真右)。午後は世界遺産バターリャ修道院に立ち寄り、漁村が街となったナザレへ入って来た。今夜のカウントダウンに若者が大勢詰め掛けている。夏とこの時期だけはたくさんの人となる。それ意外は静かな街なのだが、今夜はどんなことになるのか。「一晩中眠れませんので・・・」と、お話は初日からしてある。ホテルの前の広場には、すでに巨大なスピーカーの付いたトラックがステージを組んでいた。たくさんの人が行き来する海辺を歩くと、花火の用意がしてあり、もっと大きなトラックのステージもあった。やはり今夜は大騒ぎとなりそう。夕食は年末特別メニューではなく、いつものコースで、メインはイワシの塩焼き。日本からお箸とお醤油を買って持って来た。全員お箸を使われ、お醤油もほとんどの方がかけて召し上がり、「美味しい」と好評。カウントダウンまではまだまだ時間もあるので、解散。花火を見たい人は海岸へは徒歩2分と近いので心配はない。
旧コインブラ大学正面と鐘楼
コインブラ市の人口9万人
24500人は大学生
カテドラル
1140年〜1175年初代
ポルトガル国王のアフォンソ・
エンリケ王の命により建築された。
イスラムの影響も見られる大聖堂。
サンタ・クルス修道院
1131年、初代ポルトガル国王のアフォンソ・エンリケ王の命により建築された。内部の壁画はアズレージョの青タイルが美しい。アルフォンソと息子のサンショ王の墓がある
写真の左側白いのは市庁舎。
手前のガラスの部屋がマリア様の現れた奇跡の場所。広場は540mx160mで、毎年5月13日と、10月13日(最後に現れた)は40万人も信者が集まり、広場いっぱいとなる。 ガラスの部屋の内部:右奥の小屋(実際はヒイラギ)に1951年5月13日に3人の羊飼いの子供達の前にマリア様が現れた。
年間400万人が訪れる。
バジリカ1953年建築。
鐘楼は64m
ろうそくを燃やし、お祈りを捧げる。長いのは1〜2mほど。 ルチア、サンフランシスコ、ジャシンタの3人のモニュメント バジリカ内部
ナザレの街と海岸 海辺の干し魚の風景 フィッシャーマンズ・
セーター

2002年12月30日(月)曇り、17℃
ギラマンエス〜ポルト〜アヴェイロ

今日は朝6時過ぎに大きな雷の音で目覚めた。そして、土砂降りとなった。スーツケースをバスへ入れるのに、濡れてしまうなど、他にも考えることがあって、もう眠れない。しかし、今日1日何とか雨には降られずに観光が出来た。バスで約1時間強ポルトへ戻り、ワイン工場の見学と試飲をしていただいた。工場のオーナーはほとんどがイギリス人。1870年のボトルも見せていただいた。それから街中でフリータイム。そして有名な「たこの炊き込みご飯」の昼食となった。想像できる物で日本人には懐かしい味がし、好評だった。毎回どこでも出てくる前菜のコロッケも口に合う。ポルトガルの食事は特殊な物はなく、味も強くなくていい。その後はまた約1時間走り、塩やウナギの養殖の盛んなアヴェイロへ。アズレージョ(タイル)のきれいな「アヴェイロ駅」へも立ち寄った。一度見たかった駅は想像以上にきれいで驚いた。2年後(予定は未定)には新駅舎が出来て、この駅はそのまま博物館となるようだ。しかし、以前に見て感動したポルトの駅のように、構内の壁一面にたくさんのタイルはなかった。あれ以上かと思い込んでいたので、少々がっかり。それでも、街はポルトガルのヴェニスと言われるように、運河の街で、フェニキア人の船型の「モリセイロス船」など見るものは多かった。ここの名物はもう一つある。モナカに似たお菓子で「オブスモルス」。中のアンは玉子の黄みと砂糖とのこと。ワイン樽の形やお魚、貝殻などの形が可愛らしい。冬だと1ヶ月は保存が利く。夕方約1時間走り、大学都市で世界遺産の街コインブラへ入った。
タイルのきれいなアヴェイロ駅 ホームで列車を待つ人々 駅のプラットホーム
ホームにあったのアズレージョ 運河に浮かぶモリセイロス船 名物のオブスモルス


2002年12月29日(日)
ポルトギマランエス(画像だけUP)

世界遺産:ポルトの旧市街 サン・フランシスコ教会から 日本から入って来たつばき
世界遺産:ギマランエスの
街中のボウサーダにて、
鱈がメインのランチ・タイム
オリヴェイラ広場 ブラガンサ公爵館内


2000年11月25日(土)曇り時々雨
リスボンからオビドスとナザレへ行った。
オビドス(ポルトガル)

街に着くと城壁の外部の16世紀の水道橋に驚く。 完璧に3キロも残っている。村は紀元前308年にケルト人達が創立。1世紀ローマ人の侵略後、ゴート人、ムーア人が次々に占領。
1148年1月11日ドン・アフォンソ・エンリケス(ポルトガル初代国王)が村をムーア人から奪い取ることになる
つの城門がある12世紀の城壁が見事に残る
18世紀のアズレージョ(タイル)の門近く。
雑貨屋さんも多いが本格的なワイン屋さんもある。ポートワインが多い。 名物ジンジャー。
リキュール。

ナザレ(ポルトガル)
街の入り口から高いビルがあって驚くが、漁村であってリゾート観光地でもある。鹿を追っていて、危うく崖から落ちそうになった騎士を助けた奇跡に感謝して建てられたエルミダ・ダ・メモリア礼拝堂があるのが、崖の上の街シティオ。昔ながらの7枚のぺチコートに、膝丈のスカートをはいた女性が元気で頼もしい街。砂浜には漁師の捕った魚を女性がさばき、日に干していた。その上を数十羽のカモメが飛んでいた。
ロープウエイで登ることが出来るシティオ。教会は中央広場に建つ。観光客は礼拝中は遠慮した方がいい。 シティオ名物のナッツ売りのおばちゃん。いつもカメラを向けるとこのポーズ。写真を撮ったらナッツを買いましょう。 海岸沿いの雑貨屋さん。タイルがかわいらしい。他に素焼きの置物、壁掛け、フィッシャーマン(漁師)・セーターもある ナザレの海岸に建つシーフードレストラン、サン・ミゲール。眺めは最高! サン・ミゲールのバローロ(すずき)の炭火焼きはとても美味しい。

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