今日も長距離を走る日。何度も目が覚めた。ガリラヤ湖がオレンジ色に染まり、遠くの山が輝きだした。ガリラヤ湖の朝陽を絶対見たかった。だんだん明るくなるが朝陽は見えない。窓は開かないと思い込み、窓越しに朝焼けを撮影。後で窓が開くのがわかった。たぶん、上の画像は窓を開けたら、陽が昇るのを見ることが出来たかもしれない。
食事して、8時半に出発。今日は是非行きたかった旧約聖書の写本が発見された「クムラン」の見学も入っている。今日も朝から興奮状態の私。
長距離のバス車内での過ごし方を考えていたが、Sどんが休みなくずっと話をしてくれた。イスラエル、パレスティナ、聖書、宗教問題など、まったく退屈しない!けんちゃんも朝から音楽を聞く体制だったが、「ちょっとぉ〜、音楽聴いている場合じゃないよ・・・」とイヤホンを外し、Sどんの話に聞き入っていた。この無駄にしないバス移動中の話にかなり得した気分!私も周遊のコースでの車内の過し方として、もっと勉強をしなくてはと反省する。ツアー中、数十時間に及ぶ、Sどんの貴重なお話に感心するやら驚くやら・・・楽しくって仕方なかった。この旅行会社に決めた理由の一つに、日本人ガイドさんがスルーと言う部分。昨年のシリア・ヨルダンでは移動中はガイド同行ではなかった。T/Cさんは2度目と言われていたが、何故だか理由はわからないが、バス車内でほとんど何も話してくれなかった。
ツアーに初参加の人たちはそんなものかと思っていただろう。アンケートには大変なツアーだったし、大満足に○はしたが、その部分だけはかなり不満ではあった。
Sどんは16歳でご両親がエルサレムにいたから、遊びに来てハマったようだ。キブツに入り共同生活も経験。19歳でガイドとして働き、22歳でモロッコ系ユダヤ人と結婚。24歳でユダヤ教に改宗。迫害の知恵で誰もが聖書は暗記していると言う。一人でも生き残ったら口伝えでも書き残すことも出来る。常に危機意識はあり、食事は食べられるだけ食べる習慣があるそうだ。だから、ホテルもブッフェが多いと聞き、納得!
イスラエルに興味のあった私は、ヨーロッパの若者が夏休みに1ヶ月ほどキブツに入り作業を手伝うと言うシステムをずいぶん前から知っていた。ただ、生まれた時からその中で生活している人たちがいるとは知らなかった。1920年にロシア系のユダヤ人が始め、学校から病院まで何でもある共同体で、国内に250ヶ所はあるようだ。宿泊と食事が無料のボランティア作業する農園だと思っていた。大家族の集団農園で、すべてが平等。男女とも18歳で軍隊に入るために初めて外に出ることになる。そこで初めて自分でお金も使う。世の中のことがわかり、今では60%がキブツを離れていくのが大きな問題となっている。ここにボランティアで短期間入ると世界中にお友達が出来るのが一番の収穫だろう!Sどんも19歳で3ヶ月間入ったと聞いた。
11時10分にベティ・シャン(安息の家)に着いた。まったくここのことは予習していなかったので、想像を絶する広大な遺跡街で驚いた。遺跡は下の画像で説明。容赦ないギラギラした太陽を浴び、1時間以上説明を聞く。解散後、元気なけんちゃんは小高い丘ヘルへ上って行った。30℃以上になった屋根のない遺跡にて、私は戻りながら撮影をする・・・モザイクもたくさんあった。浴場跡もポンペイと同じ。いつも昔の人は偉かった?!と単純に思う。12時30分に皆さん疲れと暑さでぐったりして出発。13時頃にエリコの街の近くを通過・・・けんちゃんはさすがに疲れが出たようで、気持ち良さそうに眠っていた。起こしてあげた方が喜ぶかもしれないと思ったが、街が見えているわけでもないので、やめた。少し進むと、パレスチナ自治区とはっきりわかる鉄条柵が見えてきて、悲しいけどやっと世界が注目するイスラエルに来ている気になった。エリコには観光でふっと立ち寄ることは出来ないようだ。検問の兵隊さんが手を振っていたのはちょっと緊張が解けて嬉しかった。旧約聖書の話が実話とわかる発見がされ、城壁を持つ世界最古の街エリコは紀元前7800年の街。イエスが悪魔と戦ったテル・エリコ(丘)があると言われている場所でもある。左のグリーン地帯のヨルダン川の向こうはヨルダンで、2重の鉄線には電流が走り
、間に地雷も埋めてあり、24時間パトロールが続く。
14時にクムランに到着した。混雑したレストランでランチを取る。早く死海写本の発見現場を見たかったが、まずは博物館内で映像と展示物を見学。その後、どきどきしながらここで生活していたクムラン教団の住居跡へ入って行った。暑い直射日光を浴びながら詳しく当時の生活ぶりを説明してくれるSどん。影で見ている方も気の毒になってくる。紀元前2世紀頃、砂漠と変わらないような乾燥した大地で生活していたクムラン教団(ユダヤ教)。死海写本の発見された洞窟が見えた!感激してすぐに記念撮影。羊が迷ったので探しに言った羊飼いの少年がたくさんの壷を発見・・・と聞いた。冷静に考えると「あんな所へ羊が迷って行くかな〜?」 しかし、昔の土地の様子はきっと今とは違うと思う。ローマ市内も2000年前とは何メートルも土地の高さが違うのだから・・・。Sどんが死海の奥の山を「あれがモーゼ終焉の地ダボ山です」と指差す。昨年行ったあの地の逆から見ることが出来るとは、感激!左の十字架画像はその時の物。
見学が終わって少々フリータイムとなった。お土産屋さんに泥パックや死海化粧品などが並んでいて興味をそそる。けんちゃんが「デジカメをどこかに置き忘れてきた」と落ち込んでいた。一緒に思い出してみる。
「博物館前のいすに腰掛けていたからあそこ?」と言っていたら、T/Cさんが「これですか?」と持って来たのに大喜び。カメラより撮影した思い出が大切。あって本当に良かったねぇ〜、けんちゃん♪帰国してもこのことが「最近で一番嬉しいことだった」と言っていた。私たちはバスの中、レストランなど最後に見て出るので、よく忘れ物を発見する。すぐに皆さんの前で報告すると、そのお客様は忘れて来たことすらわかっていないからだろうか、「あらっ、私のぉ〜」と言われてお礼を言われて終わる。こんなに喜ばれた経験がない。
16時35分出発して、ダヴィデの滝とエン・ゲディのキブツなどの展望をし、死海のホテルまでの途中の砂漠でマッサダをバックに「イナバウアー」をして、きれいなえび反りにならずに失敗。恥ずかしい思いをしてホテルへ到着したのが18時10分。昨年のあの浮遊体験を今年も楽しみにしていた私たちは、すぐにホテルの屋内にある死海プールへと急いだ。韓国の方々がたくさん来ていた。プールにはひっくり返らないように?手すりが付けられていた。それを掴み憧れの普通の下向き泳ぎを体験・・・案の定、変に浮き上がったので、立ち上がろうとしてもがいて溺れそうになった。今日もブッフェの夕食キャンセルして部屋食とした。1日は終わった。ふ〜っ!今日「旅ノート」に書いた興味を引く話や見学地の説明は17ページ分となった。ありがとうSどん!