イスラエルに魅せられて

前日2日目翌日

2006年05月04日(木)晴れ、30℃
テルアヴィブ〜世界遺産アッコー

24時間眠らない街テルアビブと地中海

結局、45分と言う割と短い時間で厳しい別室の入国審査場からの開放となったけんちゃん。10時25分頃に3人で税関を抜けて出て行くと、皆さんがガイドさんと一緒に喜んで迎えて下さってホッとする。気持ちの中では人事ではないT/Cさんのことも考えての「列車移動発言」だった。本当に何時間もかかっていたら、最初からツアーの雰囲気も悪くなり、T/Cさんの評価は下がる。それを引き上げるT/Cさんの努力は相当なものとなる。最後なら皆さんも気心知れているから、「まぁまぁ〜」と我慢できることもある。しかし、嫌味の一つ二つは覚悟したが、まったくなくて人の良さそうな方々ばかり。その後も楽しく旅を満喫!
新車のバスをを持って来てくれた優しそうなドライバーのディビット(ダヴィデ)さん。どこも周遊の旅は運転手さん次第と良くわかっている。その後ずっと孤独な仕事の運転手さんに「ダヴィちゃん」と呼んでいたら皆さんに毎回笑われた。車内では最後方のドア近くの席にそれぞれ陣取った。T/Cさんが席割りの発表をしてくれた。グループを3つに分けて、毎朝順番に先に好きな席を取ると言うのだ。いい案かもと感心するが、人数が多いとどうなるのだろう?!
ガイドの西郷さん(鹿児島出身で今はなんちゃってユダヤ教徒、今後は「Sどん」で登場)よりイスラエルの一般情報が流れる。外貨を使う方が税金がかからないし、シケル(5シケルで1ドル程)に両替しなくても大丈夫と言う。外は夾竹桃やジャカランタの花がきれいに咲き誇っていた。
11時15分過ぎに到着したのは、エジプトのトトメス3世も落としたことがある「ヤッフォー(ヘブライ語で美しい)」 当時はナザレ派と言われていた人たちがキリスト教を広めた街。皮なめしのシモンの家を見学に行ったが、Sどんの説明中に私は可愛いブルーのプレートが目に入った。その路地は「射手座通り」と聞き、たくさんの写真を撮る。セント・ピーターズ教会へ行き、ナポレオンの部屋などを見学。そして、真っ青な地中海に扇形に広がる新しい街テルアビブを展望。そこで記念にけんちゃんと初イスラエル・ツー・ショット!ここは1909年にヤッホの250人のユダヤ人が造った街だと言う。国連側はここを首都と主張。テルアビブと聞くと日本赤軍派のことを思い出すくらいで何の予備知識もなかった。けんちゃんは仕事柄よく知っていて、近代的な街は想像通りだったと言っていた。24時間眠らない街だそうな。「エルサレムは祈る街、テルアビブは遊ぶ街、ハイファは働く街」と、Sどん。
バスで移動中にイスラエルの産業、平均的な家族構成、教育や徴兵制度、他にもいろいろと教えてくれた。デジカメプリント技術は世界一らしい。intel4の開発も、ハイレグの水着も(^m^)
カエサル・シーザーの名前から「カイザリア」と呼ばれる街に12時45分に到着。きれいな地中海をバックに立つローマ時代の遺跡を見学。ここの大発見はキリストに仕方なく死刑宣告した総督ピラトの名前が刻まれた石碑が見つかったことだ。これでその話の証拠になると言う。色とりどりの野花の咲く土地には、競技場や半円形劇場などもあった。港の遺跡は実際ここをペトロとパウロが歩いたと言われ、感動して降りて歩いてみる。足元の石を撫でながら、心はローマに飛んでいた。仕事柄、200回以上は行っているイタリアのローマにあるヴァチカン市国のサン・ピエトロ寺院のお墓に眠るペテロ(イタリア語ではピエトロ)だ。「ねぇ〜ねぇ〜あのペトロが、ここを歩いたのよ!」大声で叫びたくなった!この後もそんな心の叫びが最後まで続く旅となった。この辺がヨーロッパ未体験のけんちゃんと行っても感動を分かち合えないかもと心配?した点。しかし、本も読み、しっかりとお勉強して来たようで、話はわかってくれていたのはうれしかった。だから、来たかったのかも知れないし・・・。
イスラエル初のランチはお花咲き乱れるホテル内のレストランだった。お魚のフライもチキンも日本人の口に合うお味で安心した。落ち着いた頃に自己紹介があった。言葉少ないが皆さんもうすでに世界中を見て回っているようだ。
バスは高級住宅地を縫いながら進む。地中海そばの9kmもある水道橋で写真ストップした。イスラエル唯一のゴルフ場もあった。ユーカリの木、オレンジ、ブドウ畑が広がる。
17時前にアッコーに到着。いろんな民族に支配されて来た地中海の良港は地下要塞のある街だった。病院のような役割もあり、十字軍の騎士団の慈善団体の本部だった。青い海に傾いて来た太陽の光がきらきら輝く海岸に女学生がたくさんいたっけ。オスマントルコ時代の灯台のあるアッコ・マリーナで、今日の観光はすべて終わった。
海岸沿いのツーリスト・ホテルへ入ったのが、18時半。夕食前にけんちゃんは海岸へ散歩へ行ったようだ。レストランへ行く前にアッコー旧市街へ沈む夕陽の撮影に成功。夕食はこれから毎晩ブッフェらしい。普通に食べられそうな物も並ぶ。時間短縮出来るし、好きなものをチョイスできるので、大歓迎!・・そう思ったが結局、シリア・ヨルダンの時のようにその後は夕食には参加しなかった。Shioriちゃんのように野菜の少ないことを指摘するとけんちゃんが、「中田(ヒデ)も野菜をまったく食べないんだよ」って、発言には笑った。同じと思っているの(^m^)「入国がもっと遅くなって、列車やバスでここまで来るのも面白かったかもね・・・」なんて話もしながら楽しいイスラエルでの初ブッフェ夕食となった。
今日は何を見ても新鮮で楽しかった・・・明日からもきっとこんな日々が続くのだろう!ここまで来れたことに感謝!

ミンメイの掲示板へのイスラエルからの初書き込み
(ミステリー・ツアー・クイズ中のために、居場所とけんちゃんと一緒とは書き込めなかった)
「05/05(金) 02:51
夕陽がきれいでした(*^ー^*)  ミンメイV@海の見える所
ふ〜、やっとホテルに入れました・・・お城を出て、もう1日半ぶりです。青空の広がる下、楽しく旅しています。
連れの方が入国時に約45分間拉致されました・・・いつ出て来るかわからないので、もう離団覚悟で、先に行ってもらおうとした時に、開放されホッと一安心。
街の看板がまったく読めません(ーー;)やはり離団していたら、今夜合流出来たかどうか・・・」

ヤッフォ(聖書ではヨッパ)
皮なめしシモンの家
キリスト教を海外へ広める
きっかけになった家
ペテロがカイザリアの百卒長
コウリオを改宗させた家
空港で子供たちにもらった
国旗を手に。
すぐ前は射手座通り

ガイドさんも私も
同じ射手座♪
射手座通りの8番地
矢を持つ可愛いプレート
射手座通りから
聖ペテロ教会へ続く道
ナポレオンの看板が
目立つのはナポレオン軍が
いたから
・・・
聖ペテロ(ピーター)教会
イエス一番弟子のペテロが
タビタ(女性)を復活させた所
内部は割りとシンプル
ナポレオンの部屋もある
アンドロメダの岩
誘ってくれた
うひゃひゃけんちゃんと
テルアヴィブの街人口35万人
ユダヤ人が建設した街
地中海にはサーファーも・・・
カイザリア
シーザーの名前をつけた街
キリストを十字架に架けた
ピラトスの名前が出てきた
これで聖書の話が実話
となった証拠の石碑の
レプリカ
ローマ時代の
競技場跡
神殿の跡地に立つ ローマ時代の半円形劇場跡
高さ35m、長さ170m
パウロとペテロが歩いた
昔のカイザリア港町
ランチのメインはお魚のフライ チキンも美味しかった イスラエルは世界一お花の品種が多いらしい
カイザリアの水道橋
上が飲料用、下が灌漑用
地中海に沿って伸びる
水道橋
アッコー、紀元前20世紀の街
聖ヨハネ騎士団の砦
ハン・エル・ウムダン
18世紀末隊商宿
世界遺産2001年指定
アッコー旧市街
夕陽をホテルの廊下より撮影
夕食は毎晩ブッフェらしい ミンメイのお皿
お肉と赤いのは大好きな
ラディッシュ


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