旅の空から
南アフリカ2005年
★南アフリカ大使館
★外務省サイト「南アフリカ」
アパルトヘイト後(1994年以降)の南アフリカ お勉強もしないまま私は単純に遠い国のお話で野蛮なアパルトヘイトと思っていたが、政策失効後は人々の生活も変化した。たくさんの人々が希望を持って移動をして街へやってくる。しかし、夢を実現するまでにはまだまだ遠く、そのために自分の手を悪の犯罪に染めなくていけない人も多い。白人専用だった病院や大学などへ当然だが黒人が入って来る。すると、白人がどんどん出て行く。日本人は「特別白人と」呼ばれていたが、アパルトヘイト時代も深い付き合いをしており、貿易ではかなりの利益を上げていた。国連や各国からも非難を受けた時があったようだ。そんな時に台湾もワインなど交易を続けていたが、今は中国が国交を回復したので、南アは台湾より大国中国と親密な関係らしい。HIVやエイズでは公式発表では10人に一人と、世界でも最も患者数が多い国の一つと報告されている。どこまでの調査なのか・・・実際はもっと多いと思われる。政治的なことから一般市民の生活までまだまだ問題は山積み。こんな現実も知って旅に出たい。 |
2005年09月24日(土)晴れ、 30℃
ダーバン〜ヨハネスブルグ〜香港〜成田空港
ダーバンのホテルを出て、30時間で日本の自宅へ帰って来た。
9/26帰宅後の夜中の掲示板への書き込みより
>日本の午後1時過ぎに香港に到着。香港の空港に着く時にかなり揺れました。後でわかったのですが、台風18号が来ていたようです。香港を経つ便が台風の行くのを待っていたようで、3時間後に搭乗してからの機内待機時間が長かった・・。そして、日本も台風17号が来ていたので、世界中からのフライトも様子見ていたのでしょうか?一気に私達の到着時間と重なったようです。そのため入管前が大混雑していました。いつもなら列があって長くなっているだけなのに、今夜はもうぐちゃぐちゃであの狭い場所に1000人くらいいたかもしれません。仕切る人もいないので、あちこちで不満の声が上がり、人々はパニック状態。夜も遅くなるので怒鳴っている人も多く・・・怖い雰囲気でしたよ。そして、閉まっていたブースに新たに係官が入ったら途端に人の波がそちらへ動き・・・暑いし、息の出来ない満員電車状態(>_<)ほんと潰されそうだったわ(/_;)そのうち大きな人たちの中にいた私は病気が出そうになったので、逆行してまた後ろへ抜けました。それが21時半過ぎ。もちろんお客様とは離れ離れ・・・携帯で電話して、「荷物に事故がなかったらそのままお帰り下さい」と言ってしまいました。あ〜電話の出来る?!携帯電話があって良かった。少し休んで様子を見て、ちゃんと列が出来て、皆が落ち着いた頃に並んで入国しました。もう帰るのも諦めて、成田のホテルに泊まる覚悟までしていました。それが22時過ぎ。しか〜し、あの営業マンさんから携帯に電話が入り「台風の後だし、帰れないかもしれないからと思って迎えに来たよ」って、信じられない・・・。荷物はとっくに出ていて、最後の3個のうちの1個でぐるぐる回っていました。税関は不思議と空いていてすんなり・・・外では先生一人と営業さんが待っていてくれました。自宅に帰ったのが24時半でした。ありがとうございました。いい営業さんだわ〜!
朝6時15分頃 お部屋より | 朝陽で染まるインド洋 | サーファー・パラダイス |
2005年09月23日(金)晴れ、 30℃
ダーバン〜シャカランド〜ダーバン
今日は私の作ったシャカランド、ショッピング、夜のディナー付きのツアーに8名様がご参加下さった。ダーバンから北へ165kmに位置するシャカランドへはホテルから途中トイレストップを入れ約2時間半強。8時過ぎ(毎回遅刻者はいる・・・今朝も8時の集合時間になってからセーフティボックスを開けてもらいにフロントへ行く先生など・・・毎回の遅刻で驚かないが・・・)発車したミニバスはきらきら輝くインド洋を右に見ながらスピートを出して進む。色とりどりの野生の花がきれいに咲き誇り、本当にいい季節に来たと実感。すぐに海と逆の方にグリーンの畑が広がって来た。そのうち見渡す限り同じ風景となり「あれは砂糖キビ?」と白人英語ガイドのスティーブンへ聞く。彼は砂糖キビを大量にヨーロッパへ輸出していることや、栽培収穫のためにインド人やマレーシア人労働者をイギリス人が1860年代に連れ来たことなども話しれくれた。「ダーバンの港にはシュガーターミナルがある」と言っていたが、翌日その前を通って確認出来た。シャカランドはTVドラマで世界に放映された?有名な?「シャカ・ズールー」のロケ用に作られた村。今では大切なダーバンからの観光の目玉となっており、テーマパークのような所だった。ICCからもたくさん世界中の先生方が来ていた。村では専門のガイドさんと一緒に、約2時間説明などしながら巡回してくれ、ズールー族の文化、生活、儀式などを知ることが出来る。小屋の中などのも見学でき、歌ありダンスありで、結構楽しめた。特に最後のハイライトのパワー漲るダンスに全員が圧倒されている様子だった。小屋の中で寄って来た目の愛くるしい可愛い女の子が私にくっついて離れなかった。9歳と言っていたが、7歳くらいにしか見えない。学校に通っているのか、いつもはどんな生活なのかしらなどと思ったが興味本位で聞いてもどうしようもないので聞くのはやめた。ランチ後はダーバンへ戻り、インディアン・マーケットでショッピング。ほとんどが17時〜18時には閉店するので早めに行った方がいい。もちろん、値切るのは常識。皆で最後まで値切って値切って値切り倒して、インド人店主はお店を閉める直前に新聞紙にも巻かず、ビニール袋にも入れずに「もう、持ってけぇ〜」とそのまま商品を売ってくれ、大盛り上がり。一旦ホテルへ戻り、19時予約のレストランへ出かけた。ダーバンの町の中心ビルの32階にある回転イタリアン・レストランの「ローマ・リヴォルヴィング・レストラン」 とても評判が良く人気があり席数も少ないので、予約が必要。服装は正装の人あり、カジュアルあり。満席で3時間もかかったが、レストランからの眺めも素晴らしく、お食事も美味しくいただけたので満足。皆さんは最後の晩餐なので思い出話で盛り上がり、時間が経つのも忘れていたようだ。ただ、私だけは下で待っているインド人ドライバーのマーヴィンさんのことが気になって仕方なかった。今夜はチップを多めにお渡しした。回転レストランからの風景はこちらにありますが、ICC国際会議場からの眺めもご覧下さい。 |
ダーバンに戻って ヴィクトリア・マーケットへ (インディアン・マーケット) |
きりんさんの小皿 たくさんまとめて 買うと安くなる |
マーケットの外 怖そうで出られなかった |
ローマ・リヴォルディング・ レストランからの景色も 夜景は最高に素敵! 再びワニ肉を食す |
2005年09月22日(木)曇り、 22℃
ダーバン
今日も曇っていて肌寒い。まだまだ夏は遠い。ゆうべバスの時間の変更依頼があった。すぐに連絡したら、「No Problem」と言っていたのに、7時45分になっても50分になっても来ない。「連絡がうまく取れなかったかもしれませんから、シャトルバスの方が早く来たらそれに乗って下さい」と言ってフロントへ走る。電話してもらうとドライバーさんが代わったようで時間変更までは伝わらなかったと言う返事。話をしていたら、シャトルバスが来て、皆さん行ってしまった。もうすぐ8時だったので、きっと遅刻したと思う。いつもは自分の目で見るまでは確実なことは言わないのに・・・ガッカリ!思わず電話では「わからないことを簡単にNo Problemと言わない方がいいわよ。ゆうべだって、わからないって言ってくれたら待たずにシャトルバスで行ってもらったのに・・・」と言ってしまった。こんなことは言ってもなかなか日本人でなかったら理解してくれないかもしれないと思いながらフロントの電話できつい声になっていた。あ〜自己嫌悪!すべては予測できなかった自分が悪い!次のシャトルバスでICC会場へ行ったが、もちろん先生方はもう会場内へ入り誰もいらっしゃらなかった。2階のカフェで明日のオプショナルの件などでメールのチェックをした。LANの入りがかなり悪く、近くにいらした世界中の先生方も、PC同士のLAN状態を確認しあったりしている。昨日、先生に「会場内はチェックがもう甘くなっているから入れるわよ」と言われていたので、様子を見て、係員さんがよそ見している時に入ってしまった。博覧会や見本市などでも、プレス関係の日、関係業者の日、最後は一般の人への公開の日などとかあるが今回はないようだ。もうすぐ東京で開催の旅行博もモーターショーも後半は一般公開日。しかし、今年のパリの下着の見本市は流石に男女のモデルさんが下着姿で会場を歩き回っていたので、公開日はなかったことを思い出す。ポスターを貼ってそこで質問があれば受けると言っていらした先生と会えるかと思ってポスター・エリアへ行った。しかし、たくさんの色彩豊かなポスターが並ぶ会場にはいらっしゃらなかった。その後、会議中の小ホール以外の大ホールで各関係業者のブースを見学。ダノンで小さなヨーグルトを発見して、飲んでみた。アプリコットの味で美味しかったが、すぐ担当者が「いかがですか〜?」ってやって来て成分の説明を始めた。わけわからない専門用語だったが、適当に相槌を打ちながらのみ終わったらすぐに出てしまった。出来れば他の飲むヨーグルトも味わいたかったのに残念。横にはクノールのブースがあった。スープの説明をしている係員の横から手を出して2種類のスープをいただく。隣はネスカフェのコーナー・・・一番大きなブースで中央にあった。珈琲が飲み放題となっていた。会場を出た所にもネッスルのカフェが設置され何でも無料サービスしていた。アイスクリームとガス入りオレンジ・ミネラル・ウォーターをいただいいてみた。これがなかなか美味しくて気に入った。まだスーパーマーケットでは見たことがない。VOLBICのオレンジやレモン味のミネラル・ウォーターは販売されているが結構高価。これも販売されたらお高くなりそう。こんな楽しくまさに美味しいお仕事で遠い南アフリカまで来れたことに感謝したい。夜は8時過ぎに1階の「だるま」へ行ってみた。カウンターにたまたま後から合流の先生方3名様がいらした。そして、無理やり隣の席をすすめられ、美味しいちらし寿司をご馳走になってしまった(~o~)v ここは南アフリカで一番美味しい和食屋さんと聞くがロイヤル・ホテルや、ヒルトン宿泊者もわざわざタクシーでここまで来ては食べてお帰りになるほど。昨日のインド料理もそうだが、このホテルって泊まっているとあまりよくわらなけど結構評判のいいホテルらしい。どの部屋からも海が正面に見えるし、ビーチは近いし、スタッフはたくさんでとても気持ちいいサービスを受けられる。英国航空や南アフリカンや他の航空会社のクルーも宿泊していた。今日の話だとまた日本人が街中で被害にあったようだ。男性の教授が両腕を捕まれて、腕時計を盗られたと聞いた。きっといい時計をしていたに違いない。夜のお出迎えは22時半の約束だった。パーティ会場になっているヒルトンの正面玄関の前のDECへはまた簡単に何のチェックも受けずに侵入することが出来た。会場ではちょうど「ライオンは寝ている♪」と言う懐かしい音楽が演奏され、たくさんの人々が踊っていた。私も体でリズムを取りながら内部を眺めてみる。数百人の方々のパーティでこれだけでも10000円以上の会費が必要だったと聞く。今回は普段より何倍も費用がかかったと皆さん。その分しっかり楽しまれているようにも思えるが、どうなのかしら?「あ〜踊りたりなかったぁ〜」と約束のお時間にちゃんとお戻り下さった先生方、今日もお疲れ様でした。シャトルバスは22時半から24時まで会場とホテルを巡回するので、我々が一番早く会場を22時半には後にしたようだ。明日はバスで郊外へ3時間ほど走ってシャカランドへ行く。晴れますように! |
ICC会場の中 | ポスター展示場 栄養成分の分析? |
メモを取る人が多い |
スナックタイムの サンドイッチとお茶の サービスが始まった |
大きなダノンのブース この3倍はあるコーナー ヨーグルトがいっぱいあった |
ネッスルのカフェコーナー もちろんすべて無料で珈琲、 アイス、ジュースなどが並ぶ |
ネッスル・カフェでチョコ・ アイスとお水をいただく もらい放題の冷蔵庫 冷凍庫が置いてある オレンジ味・ガス入り・ ミネラル・ウォーターが美味 |
持ち帰ったクノールのスープ 2種類 ケロッグのシリアル、 キャンディ昨日いただいた 栄養たっぷりのドリンクが 入ったカップ 新製品の 発表の場でもある |
ホテルの前のマリン・ パレードのノース・ビーチ 昨日も今日も大勢の人が 服のままで海に入るのを見た 海のない国の人たちか? ビーチに行けなくて悲しい |
2005年09月21日(水)曇り、 25℃
ダーバン
今朝は5時半にモーニングコールが来て驚いた。誰かの間違い電話だったのかもしれない。窓から外を見るとまだ薄暗い。もう一度ベッドへ入るが、6時には完全に起きてしまった。窓からまた灰色の海を見る。そして、下の公園へ目を移すとたくさんの人が集まっていた。今日はダノン主催でビーチ・ウォークがある日だった。先生の皆さまもホテルの正面で開催されるので全員ご参加と聞いていたが、私も行けば良かったと少々後悔。見るとポリスのバイクが3台ついている。主催者も側のガ-ドもしっかりしているだろう。そんな時でないと手の届きそうだけど非常に危険と言われているビーチには行けない。7時45分のお迎えが来たが、皆さん「今日は遅く適当に行きますからいいです」とチャーター・ロランスファー・バスを返すことになった。ドライバーさんに「ロイヤル・ホテルへ行ってほしい」と頼み、私一人が乗り込む。こんな機会がないと市内も見ることが出来ない。そして一度はダーバンで由緒ある一番の高級ホテルと言われるロイヤル・ホテルへ行ってみたかった。市庁舎の前に建つホテルはそう古そうでも無く、近代的な感じはまったくなく・・・中途半端なスタイルで建っていた。ロビーも特徴なく、カフェが少々お洒落なパリ風だっただけ。珈琲が1杯約1000円強だったのでお茶も出来ず、すぐにICC行きのシャトルバスに乗り学会会場のICCへ行った。2階のカフェでLANに繋ぎメールのチェック。昨日よりは多くの人がこのカフェでPCを開いていた。何回かLANのことなど聞かれたが、そのうち昨日も一緒にいたイスラエルの女性のドクターがやって来た。メールの交換も同じテーブルでやってみた「出したわよ〜」「あ〜、来ましたよ〜、返信しますね〜」と笑う私達。お国ではきっとお偉いさんに違いない。将来会うチャンスがやって来るのかどうか・・・。夜は19時にお迎えに行き、すんなり今日のお仕事は終わった。 |
今日は晴れるかな? | 市庁舎 1910年建立 モダン・ルネッサンス様式 |
旧市庁舎 19日ここでナイフで 脅された日本人夫婦がいた 近くにいたポリスが上空へ向け 発砲した事件現場 |
大きな街ダーバン 高いビルもたくさんある |
ロイヤル・ホテルの裏口 ICC行きのシャトルバスが出る |
ロイヤル・ホテルのロビーの 花はプロティアはなかった |
ICC隣接ヒルトン・ホテルの キング・プロティア |
夜真っ暗な中お迎えに行く シャトルバスが待機している |
2005年09月20日(火)曇り、 22℃
ダーバン
朝は7時45分に専用バスで会場へ行き、ちゃっかりオープニングセレモニーの大ホールへ入場してしまった。中央に席を取り、ダンスが見えるようにしたが、撮影の人たちでまったく見えない。そのうち気がつくと大画面で映してくれていた。開催の宣言が行われる前に出て、2階のカフェでメールのチェック。電源のプラグがこの会場は変形B3だったので、繋げない。どうしようと考え込んでいたら、後から座って来たイスラエル女性がバッテリーが切れるまで使っていいわよと言って繋いで下さった。10時頃になり、隣のヒルトンへ移動した。SHOPを覗いたり、2階にビジネスセンターがあったので、堂々と入り(ここでこそこそしたり、躊躇すると声をかけられる羽目になる)、日本語に変換してメールやUPした「旅の空から」などを読んでみたり過ごす。お昼前にホテルへ戻り、1階のインド料理屋さんでカレーをいただいた。唐辛子が1つの印のあるチキン・カレーを選んだ。ナンをそのまま食べても美味しく、カレーのルーもまったく癖がなくてまろやかで大満足のランチだった。紅茶をオーダーしてチップも入れて、1500円。一応高級インド料理屋さんだからこのお値段は仕方ない。サービスも早くて良かったのでおすすめ!金曜日のオプショナルがICC会場やホテルのトラベル・コーナーより同じくらいなら、単独でツアーを作りたいと現地手配旅行会社へメールした。料金が来るのが楽しみ。今夜はUSHAKA WATER WORLDにてパーティが開催されていたので、ご参加の3名様をお出迎えに行った。真っ暗な中で見たUSHAKAは中々面白そうでお買い物も出来そうだった。100%この中は安全よと言われたので、チャンスがあればお昼に来てもいいかなとふと思った。
大会場でオープニング・ セレモニー開催 |
開催前の館内 前方ではズールー族の ダンスが始まっていた |
ステージには学会の 役員が並ぶ |
ズールー族がダンスを 披露しているのが大 スクリーンに映し出された |
ホテルのドア・ボーイ兼 ポーターさん いたりいなかったり |
ロビーのプロティア 南アフリカはこの花 が欠かせないようだ |
ホテル内1階のインド 料理「ジュエル・オブ・ インディア」でチキン・ カレーを食べた。ナンもカ レーも美味しかった。 |
ダーバンでも有名レストラン 夜はミュージシャンの演奏も ある 高級インド料理屋さん |
右は学会のパーティ会場と なったUSHAKAマリーン・ ランド 大規模な 水族館で有名で世界でも 10本の指に入る 迫力満点のイルカ・ショーも 見ものらしい ショッピングセンターがある ここは安全のようだ |
ダーバンは世界でも9番目 の港町 6〜9月の冬は観光客も 少ないのでホテルも 空いているらしい |
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これがUSHAKAの看板 内部は安全だと聞く |
ショッピングセンター部分 無料でここは入場可能 |
2005年09月19日(月)晴れ、 28℃
ダーバン
今日から学会が始まる・・・と言っても今日の午前中は受付だけ。世界中から関係者が来るので昨日の午後、今日の午前中に受付をする。それでも各ホールではすでに見学が出来るようになっている。一緒にジンバブエから回った6名の先生方は真面目に10時にはバスを出してほしいと言われ、お送りしたらあっという間にICC内部へ消えて行かれた。昨日合流の3名様は朝からホテルの街売りのダーバン半日市内観光へご参加とのんびりムード。ICCのロービーまでは入ることの出来る私だが、ここに1日いても仕方ないので、ICC内のトラベル・コーナーで今日のオプションを聞く。暇そうな?成田から一緒に来た先生を見つけ、一緒に午後から270ランド(約5000円)で「千の谷ツアー」があるので申し込んだ。13時半出発で17時前にはICCへ戻って来る。毎日オプションへ行っていたら、大変なので、最後に皆さんが行く「終日シャカランドのズールー族見学ツアー」は行きたいと思っている。支店のツアーは少人数なのでかなり高め。ICCのOPは安いので皆さんこちらにご参加予定。学会はもともと英語・・・ほとんどの先生方が英語はお得意。何をするにもご自分でなさるので私はとても楽。T/Cは不要だったかもしれない。しかし、先日のように荷物の破損、LOST BGG、BGG内の盗難などはすぐにはどうしたらいいのかわからないだろう。今、隣接するヒルトン・ホテルにいる。これからここでランチして、午後のオプションに備える! |
7時過ぎのインド洋の朝陽 窓から真正面に見える |
ホテルの下 朝の様子 5階からの眺め |
ホテルの外観 英国航空のクルーも宿泊 |
1階の有名な「だるま」 南アフリカで一番美味しいと噂 |
プロティアは860種類ある 日本では1本700円〜1000円 ほどで販売している |
4枚のピンクの花びらが 可愛いらしい |
ジャンボ・プロティア 30cmほど 日本では 2000円くらいで販売 |
ICCの外に咲く黄色い花 変わった花びらの花が多い |
学会会場ICCと隣接ヒルトン・ ホテル シャトルバスが6方 面の数ヶ所のホテルを15分 毎無料で巡回する。疲れたら HTLへ戻ることも可能。 |
会場正面とサイのオブジェ バスは開催中のスケジュール に合わせて運行されるので、 パーティのある日は夜中まで 運行と便利 そうでなかったら夜は危険な 街ダーバン |
今回の学会は4年前のウィー ン大会の時より4倍は高かい らしい。2月までの早割りで10 万円。それ以降15万円とか。 T/Cはロビー部分までは入場 可能。無料のワイヤレスLAN のパスワードをもらえた(~o~)v |
隣の徒歩1分のヒルトンロビ ーでお茶する LANが入るが 高いので、後でCCでUP予定 たくさんの関係者が胸にカー ドをぶら下げている 日本人も多い |
1000の丘と谷 どうってことないかも?! |
ロブ・ロイ・ハウス・ホテル こちらの中庭からの眺望が 素晴らしい |
満開のジャカランタ、9〜 11月、街に山に咲き乱れる ブラジルが原産地 |
春の訪れを知らせる紫の ジャカランタ花は 日本の桜のイメージ?! |
青い花が多い 可愛らしい花 |
左の花をUP 花びらが2重になっている |
白と青色の花が 一緒に咲いている |
これも青い・・・日本は アオの花って少ないかも |
石を投げないで! | 動かない大きなワニ | こちらは口を開けて、体温 調整をしている |
初めて見たワニの手の平 ちょっとひいた! |
ズールー族見学の入口 売店と奥には小屋がある |
チェス版の駒もアフリカン♪ で楽しい |
大きな亀がのっそのっそ 歩いていた |
アフリカの蛇の小屋 コブラもいた |
千の谷をバックに ズールー族の求婚 |
写真をお願いしたら、 にんやりこのポーズ・・・ |
ズールー族のダンス | 小屋の中で太鼓を叩く |
ズールー族の小屋の中では 女性と男性を分けてお話が ある。お嫁さんは何人でもいい 牛11頭を持ってお嫁に来る お嫁さんがたくさんいると牛も たくさんいるわけで潤う 南アフリカには葉のない 赤い花の木、黄色い花の木、 そして紫の木のジャカランタが あるが、どれもはっきりした 鮮やかな色 |
2005年09月18日(日)晴れ、 25℃
ダーバン(十五夜さん)
今日はケープタウンから直行便で会議の開催されるダーバンへ飛んだ。港町で有名なダーバンの空港の小さいのに驚く。荷物がまだターンテーブルから出て来ていなかった。ずっと気になっいたことがあった。LOST&FOUNDへ行き、「あの〜、きりんが来ていませんか?」「それはきりんの赤ちゃん(ベイビィー)?」とニンヤリ笑う係りのお姉さん。「せんせぇ〜い、キリンさんが届いていますよ〜」に皆さんが笑顔で「わぁ〜良かったぁ〜」と大拍手!首も折れずに再会が出来て大喜びの先生。外ではドライバーのマーヴィンさんと会い、もう一人30分後に日本から直接いらっしゃる先生をお待ちした。すぐに会えご挨拶後、学会会場のICCへ行く。14時からの受付開始なのでまだ当然受付のカウンターは閉まっていた。2階のカフェでランチしてのんびり過ごし、受付後にホテルへチェックインしたのが15時前。目の前のビーチでサンデー・マーケットをしていた。皆さんも喜んでバスから見ていらしたが「絶対、ビーチへ行かないようにお願いします。マーケットも出来れば行かない方がいいと思いますが、行くならバッグは持たずにお願いします。個人行動はダメです」強い口調で言う私に圧倒されて「そんなに治安悪いの?」「はい、外務省では最大限の注意が必要と言われていますので、お伝えしておきますね」・・・これで何があっても私はちゃ〜んと注意したわよ・・・とT/C逃げ作戦。翌日には事件があって皆さん私の言うことに納得されることになる。夜は夕方2日遅れでジンバブエだけに行ってからご到着の3名の先生方と合流し、10名様全員でと初顔合わせとなった。個性豊かな先生方ばかりで、もう明日からお遊びの計画がたくさんあったり・・・真面目に毎日朝8時から行くと言う先生もいらしたり・・・きっと旅費の出所や金額で変わるのかもとも思ったり・・・。これから私はここから会場の朝と夜の往復のみの送迎がお仕事となる。治安が悪いのでホテルに缶詰と正直言って少々ガッカリしている。 ダーバンのICC(国際会議センター)からの360℃パノラマ風景 |
ダーバンの十五夜 正面のビーチ公園とお月さん |
きれいなお月さん うさぎが見えそう?! |
ダーバン空港 意外と小さくて驚く |
荷物エリアには国際栄養 学会専用デスクがあり1週間 のスケジュール表を配布中 |
ホテルの部屋から見えた ウィークエンド・マーケット |
マグニフィカ・プロティア |
2005年09月17日(土)晴れ、 20℃
ケープタウン
6時半に目が覚めた。窓の外を見るとビルの影から明るい光が差している。今日も晴れそうだ。テーブルマウンテンは変わりやすいお天気で、強風もケーブルカーの運休の原因となる。朝食後、ホテルのロビーからテラスへ出るとカフェとプールがある。優雅にここでお茶したいがケープタウンは今日1日しかない。8時前にBenさんがお迎えに来て下さった。「皆さん、いつもどこでも遅刻しますから、それを読んで集合時間を言って下さい。特にShopがあると時間を忘れますよ」ホテルの出発も10分も遅れた。最初にケープタウンの象徴テーブルマウンテンへ上ることにした。この山はトップをナイフで横にカットしたかのように平らになっているのでそう呼ばれている。まだ頂上は霧で見えていなかったが、到着する頃にはすっきり晴れていた。ケーブルカーはスイス製。頂上駅に到着する時にはちょうど1周するように床が回転する仕組み。窓からはケープタウンの洗練された町並みが見え、大西洋の海岸線もきれいに見えていた。真っ青な空と海、白い波。手前にライオンズ・ヘッドが見え、湾内には1999年に世界遺産に指定されたロベン島が見える。ここはマンデラさんが留置されたいたこともある黒人専用の刑務所があった島。わいわいおしゃべりしながら上ったテーブルマウンテン。すぐに私達を歓迎してくれたのは象の仲間と言うハイラックスたち。まだ肌寒い朝、肩を寄せ合い日向ぼっこをしていた。見下ろすと高級住宅地のあるキャンプス・ベイがすぐそこに見えていた。海も底が見えるほど透き通っている。山頂は下より6℃は低いそうで、私はフリースのジャケットを着ていたが、手が冷たくなっていた。服装に気を付けたい場所の一つ。やっと春が来て,昨年世界遺産に指定された植物が青い芽を出し、花も早いものは咲いていた。遊歩道は2コースあるが長い方を歩く。柵も何もないので自己責任で歩道をはみ出て写真を撮ったり下を覗き込んだり・・・。「もう死んでもいいわぁ〜」って叫んだヨルダンへも一緒に行ったKさんを思い出す。下山してから集合までにまたshopへ行かれて、10分は遅刻の皆さん。Benさんに「ね〜言ったでしょ?」と私。この調子だと最後にはきっと1時間は変わってくるだろう。皆さんで楽しんでいただいているので夕食までの終日観光だからどこかで時間調整が出来そう。キャンプス・ベイへ行くと立ち並ぶ億単位の高級住宅にため息が漏れた。今が値段的にはピークとのこと。「誰が住んでいるのですか?にBenさん「お金持ち!」質問も質問だが、答えも答えで笑った!船でロイカー島へオットセイを船から見に行った。船に近づいて来るオットセイもいて中々楽しい。昆布と一緒にゆらゆら浮かんでいる姿は流木のよう。ランチはシーフードレストランでロブスターがメイン。卵、魚介類、チキンのダメな先生がいらしていて、毎回食事には気を使う。個人旅行ではないのだから、本来は変えられないが皆さんお仲間だから毎回変更した。Benさんのお嬢様がアルバイトされていたが、二人の会話は英語だったので、私も英語で話していたら、お客様には日本語でおしゃべりしていた。日本語教育もしっかりされているようだった。食後は嬉しいペンギンたちとの再会が待っていた。その前にミューゼンバーク・ビーチ手前でドライバーさんが「鯨が見えた」と言ってくれ、ボーイズ・ドライブで車を止めてくれた。見ていると5頭ほどが遊んでいた。そこからすぐ近くのサイモンズタウンのビーチでも3頭が遊んでいた。時々顔や尻尾を出してくれ、見学者を喜ばせてくれた。ペンギンのいるボルダース・ビーチに到着した。以前はなかった建物で入場券を買うことに驚く。それでもルンルンしながらビーチ方向へ下りて行くと、人口の木造りの歩道橋があった。まさか・・・まさか・・・と歩道橋を進むと、ペンギン・ビーチには下りられないことになっていた。大ショック!今回の一番の楽しみだったペンギンとの写真撮影が出来なくなった。7年前には叔母は寝転んで一緒に写真を撮っている。今考えると夢のような出来事だ。それでも目の前をヨチヨチ歩くペンギンはかわいい。海も透き通っていてきれいで波が来るとよろけたりする姿も可愛らしかった。そんな中で目立っていたのが、突付いたり、叩いたりして攻撃している1匹の強気のペンギンと弱弱しいペンギン。他はほとんどじっとしているので激しい攻撃を受けて逃げる追っかける2匹のペンギンにどうしても目が行ってしまった。どの世界も強弱上下って生まれてくるのだなと考えさせられた。それからOUT LOOK POINTへ行き、電車で約5分で上って、駅からも5分ほど急な坂を上り詰める。灯台のあるTOPからは360℃の素晴らしい展望が広がっていた。東京まで14724mと書いてある看板前で記念撮影。振り向くと喜望峰が見えていた。真っ青な空と海。早咲きのお花が春の訪れを告げていた。バスで動物の保護区を抜けていよいよ喜望峰だ。またここへ戻ってくるとは思ってもいなかった。7年前にここで手を広げて「もう仕事はやめてもいいぃ〜っ」って叫んだ喜望峰。海岸の岩に力強くぶつかる白い波をバックに先生方も記念撮影。ここで見る夕陽は素晴らしいかもしれないなどと思いながらもケープタウンへ帰り、そのまま夕食に行く。途中で8頭しかいないと言われているシマウマを3頭見ることが出来てラッキーだった。鯨も結局10頭くらいは見た。一生分をまとめて見たかもしれない。道路もよく整備されているが1時間半弱かかって戻って来たケープタウン。食事は街で一番お洒落なウォーターフロントでのイタリアンだった。この辺りではかなり人気のレストランで満席のため忙しそうだったが1時間で終わった。シグナル・ヒルに車が上って行く間にどんどん広がる街の灯り。「うわぁ〜〜〜っ」と、車内は大騒ぎ。車を止めて見た広大な夜景のきれいなことと言ったらもう言葉では表現出来ないほどだ。あの時もこんなにきれいだったかしら・・・うっとり眺めていてふと思い出し「南十字星は見えますか?」実はジンバブエでもガイドのサムさんに尋ねたが知らないと言われガッカリしていた。Benさんは夜景とは逆の方向を指差してくれて、またパニック状態。「うわぁ〜、南十字星が見えるのね〜」 |
テーブル・マウンテン 海抜1087m |
喜望峰、フォ〜〜♪ 大陸最南西端 |
朝7時頃 朝焼けがきれい | ホテルのプールとカフェ | ホテルのフロント・ロビー プロティアのお花がきれい |
ケーブルカーで回転しながら テーブル・マウンテンへ上る |
本当にテーブルのように 真っ平らなTop |
ライオンズ・ヘッド | ハイラックス 象の仲間?! と聞きビックリする |
キャンプス・ベイ きれいな海岸と住宅地 |
昨年、ユネスコの世界自然遺産に指定された植物たち 頂上にはワイルド・フラワーがいっぱい |
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キャンプス・ベイの景色に 時間を忘れそうになる 撮影モードを間違えて こんな色に・・・ |
ドイカー島のオットセイと 手前はたくさんの昆布が 波に揺れている |
プカプカ中のオットセイ 手を振ってくれた?! 船底のガラスから 海低を見ることが出来る |
ハウト港の路上SHOP 皆さんお買い物大好きで 何時間あっても終わらない |
サーファーがたくさん見えた ミューゼンバーグ・ビーチ ボーイズ・ドライブからの眺め |
土曜日のためリッチな 人たちは優雅にヨット遊び 他にもたくさん浮かんでいた |
クジラもたくさん見えた この時期だけ鯨を 見ることが出来るらしい |
可愛らしい淡いピンクの花 道路端にたくさん咲いていた |
人気のシーフード・レストラン | どこもお野菜が新鮮! | ロブスター1尾と魚のフライ | ペンギン・ケーキ 「どこがぁ〜」と大笑い |
ボルダーズ・ビーチへは 入場料支払い後、以前と違い 木の歩道から見る |
きれいなビーチにもたくさん 5000羽保護 以前は 一緒に写真を撮った |
アフリカン・ペンギン 卵は2個産み。42日間 夫婦交代で抱く |
人間のたくさんいる歩道を 見上げていたペンギン 平均30〜40cmで小さい |
ルック・アウト・ポイント 灯台から360度の素晴らしい 展望が広がる |
TOKYOまで14724km 灯台の裏側にある標識 |
ケーブルカーで上り、駅より ケープポイントをを望む |
夕陽もきれいでしょうね〜 喜望峰方向 |
春になってお花がいっせいに咲き出していたワイルド・フラワーたち | |||
バスコ・ダ・ガマ インド航路発見の記念碑 |
喜望峰の写真スポット | WATER FRONTの ショッピング・モール |
WATER FRONTの 夜景 20時半頃 |
最西南端証明書 とワイルド・アニマルの切手 |
ケープタウンの夜景は 広範囲できれいなため、 ガイドのBENさんは 「世界一」とご自慢。 |
2005年09月16日(金)晴れ、 20℃
ヴィクトリアの滝(ジンバブエ)〜ケープタウン
小さなヴィクトリア・フォールズ国際空港でチェックイン。出国カードはグループで1枚でいいと言いながら、カウンターの方が親切に書いて下さった!よく見ると我々が最後のお客だったわけで、乗り遅れると困ると思ってのことだったかもしれない。国際線で飛ぶのに、グループは通常は2時間前なのに、1時間を切ってのチェックイン。税関で1mくらいの大きなキリンを先ほどの露店で購入の方が「これはカウンターで預けなさい」と言われてしまい、また戻って行った。首が折れたらカワイソウと思ったが仕方がない。カウンターでいただいた時に気が付いていたのだが、やはり乗ってみたら全員ビジネスクラスだった。遅くチェックインしたので、残った席を我々にくれたのか、チケットを手配会社のスタッフへ預けて行ったので、そうなったのか・・・。出発前に機内で検疫官が殺虫剤をガンガン撒き散らし、気分が悪くなりそうだった。その後は広くて快適な空の旅となった。「ビジネスクラスはいいわね〜」大はしゃぎの先生方。美味しいサンドイッチがサービスされ、1時間半で大都会のヨハネスブル空港に到着した。入国カードは日本から来た時にいただいていたので、早めに記入用意していただいていた。イミグレーションを抜けるとすぐに荷物エリア。先にどのターンテーブルから出て来るかを確認して皆さんから見えるところでお待ちした。そして、お手洗い利用をすすめて、お荷物を預かった。スーツケースが出て来てからお手洗いへ行く方がいるけど、時間がもったいない。本来ならば到着前に機内でトイレは利用していてほしいが、中々行こうとされない。入国審査場が込んでいたら、そのまま並んでしまうのだから、先に済ませてほしいと思う。時々、到着の前にお席を回るチャンスがあれば、到着案内とトイレ利用のことをお話する。いつもどうしてそこまで言わなかくてはならないのか。言わなくては先が見えない。でも、普段でも何かを始める前にトイレへ行くでしょ?それはトイレの近い貴方だけ・・・自問自答。ここで荷物が出て来ない方があった。それはあのキリンさんだ。最後に預けたので漏れたのだろうか。LOST&FOUNDへ報告へ行き、ケープタウンではなくて、ダーバンの空港へ届けてくれるようにお願いしてみた。一度はこのヨハネスブルグ空港でピックアップを考えたが、ケープタウンからのダーバン行きは直行便で寄らない。最後の国際線ではダーバンからヨハネスブルグ行きが遅れたら、時間がなくてこのLOST&FOUNDへ寄れないかもしれない・・・ダーバンへ送ってもらうのが一番いい方法と判断。二人で税関を抜けて皆さんと合流した。日本人のアシスタントさんが出迎えてくれた。帰国の時も国際線と国内線が別ビルのためにお出迎えして下さる。帰国時は関空組みと別行動になるので安心だ。ご挨拶などしていたら、税関を抜ける前にいつものように「荷物に破損や鍵が壊されていませんか?」って言って「ないで〜す」と出て行ったはずなのに、ここに来て「あの〜、鍵が壊されているんです」「あら〜・・・、中身が盗まれていないか今すぐここで開いてご確認を」・・・嫌な予感はまた当たり「行きに香港で買ったブルガリの時計とグッチのお財布、香水がありません・・・」と残った箱だけを3個見せられた。乗り継ぎの時間を気にして時計を見る・・・まだ大丈夫と係員へ言って再度その先生と中へ入る。国際線でもうすでに入国して税関まで出て来たがLOST&FOUNDは中にしかないと言う。先生へ「どうして貴重品は入れないようにと言ったのに入れたのですか?」と言いたかったがぐっと我慢した。後でわかったが、現金も入れたとか・・・何を思って入れたのかわからない。何度も荷物も出て来ないことがあるとか、中身の盗難のことなども話していたのに・・・。まさかと思っていらしたのだろう。毎回、言ったことを守って下さったらこんなことにはならないのにお話の仕方に問題があるのかも?と自己嫌悪に陥る。レポート作成してもらい、警察用の書き込み用紙をいただき、再度税関を抜けた。大急ぎでその荷物を預けて、国内線のビルへと急ぐ。すでに搭乗券は出ていたので、セキュリテー・チェックを受けて、内部へ。機内で仕事をしようと資料を広げて何故にこの飛行機は狭いのかと思ったが、さきほどはビジネスクラスだったことを思い出し笑った。大好きなケープタウンへ到着した。お迎えのガイドさんは日本人のBenさん。7年前も同じ方だった。頭には白い物が増えていたが、変わらない優しい笑顔でお迎えして下さった。ミニバスに乗って、ホテルを目指す。空港を出て、テーブルマウンテンの方向へ車が回ると目の前にはきれいな夕焼けが空をオレンジ色に染めていた。「わぁ〜、見て見て見てぇ〜」車内は大パニックに。雲があり雄大でどこまでも艶やかな夕陽は久々に見たような気がする。興奮状態の中で誰もBenさんの話は聞いてはいなかった。毎月10000人と言う膨大な数字の人口増加が続いているようだ。15年前は250万人だった人口は今は450万人とか・・・アパルトヘイトの関係で黒人が自由に動けるようになったので、仕事を求めて街へ出て来るようだ。街に明かりが灯り、空は藍色にと変化を続けている。2年前にオープンした南アフリカで最大の国際会議場の前に建つ近代的でいて落ち着いた雰囲気のあるホテルだった。ロビーには生の国花であるプロティアが活けてあった。お部屋は7階で港の方を向いていた。7年前に泊まった時は同じ5星だったが、窓から花火が上がっていたのを思い出した。エレヴェーターからはテーブルマウンテンがよく見えていたっけ。今夜は少し照明を落としてあり、優雅でお洒落なレストランで夕食だった。メインはお野菜の挟み込んだ物をいただいた。皆さんは有名な南アフリカのワインを飲みながらサファリのことを思い出して笑っている。やはりカバ事件がメインだった。 |
ライオンズ・ヘッドが 真っ赤な空に浮かび上がる 18時50分頃 |
バスの中より撮影 何とも言えない空の色 |
テーブルマウンテンと ライオンズ・ヘッド 全部バスの中より撮影 |
南アフリカの国花 「プロティア」 ホテルのロビー・ホールに たくさん生けられていた。 1976年制定 |
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