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旅の空から
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シリア
エジプト・シリア・ヨルダンの旅:2005年5月21日〜30日
★旅の空から「エジプト編2005年」へ
★旅の空から「ヨルダン編2005年」へ

2005年05月25日(水)晴れ、33℃
ダマスカス〜ボスラ〜アンマン

ウマイヤド・モスク

7時に起きた。MM階(中階表示)で食事して、荷物を8時に出し、8時50分に「今日はウマゴヤを見るんだよ」などと言って笑いながら出発。今日も皆まだまだ元気。明日から過酷なスケジュールが待っている。まずはシリア国内からの出土品が数々展示されている国立博物館見学へ行った。ここは世界最古のウガリットのアルファベットが刻まれている小さな粘土板で有名。シナゴーク(ユダヤ人の教会)の壁画も素晴らしかった。焼き物はキャラバン隊が持ち込んだ物らしい。その後は、大きなアーケードのスークを抜け、アゼム宮殿へ行った。現在は民族博物館となっているお屋敷だ。人懐っこいネコがいて遊んでいたら噛まれた!すぐ近くの世界最古のモクス建築のウマイヤド・モスクでは女性はまたねずみ色の服を着せられた。中の広場では何故か横になっている男性がいたり、「バキューン」と両手で真似た銃で狙い撃ちしてくる男の子がいたり・・・。モクス内部ではけんちゃんに「お祈りの方法を教えてもらったらいいわよ」と言って中央の仕切りの中へ押し入れた。靴を持って入いり、そのまま横に置いたので、先にいた子供に叱られてしまったのが可笑しかった。そして、全員が見つめる中、子供達にお祈りの仕方を教わってくれた。お尻が上がっていないのは大地に口を付けていないからと・・・けんちゃんはまだまだ修行不足だ。モスクからすぐ前のスークでフリータイムとなった。美味しいとアイスクリーム屋さんを紹介されたが、怖くて誰も食べなかった。水売りのお兄さんが3人出ていた。器用にコップを洗って見せてくれたが、これまた怖くて水なんて買えない。モロッコのメディナでも水売りを見た。撮影するのは有料だったっけ。13時からのランチは旧市街の東門近くのパティオのあるレストラン「ニュートン」だった。300年前のキャラバン・サライだった所。大きなパンがいつもカットされて出されるがここは大きなままで置いてあった。一人1枚配る熊ちゃんが、「ハイけんちゃんには穴があいているやつ」と渡す。すぐに私が「顔出して!」と言ってはもう撮影準備している。皆で大笑い。14時20分にダマスカスから出発して、平原地帯のオリーブやぶどう畑の中を走る。15時45分にボスラに到着。家々がが立派でパラポナ・アンテナが多いのは裕福な証拠?現在の街は遺跡の上に建てられているので、掘るとたくさんの遺跡が発掘される街。世界遺産でもある旧市街のローマ劇場へ行く。中東では最大のローマ劇場。急な階段を上って撮影はしたが、降りるのが怖くて、遠回り。「いいの・・・先に行って」と言ったが、いつも優しい熊ちゃんとShioriちゃんが一緒に下りてくれた。けんちゃんはとっとと一人で降りて撮影に一生懸命だった(^m^)15時30分にはボスラを離れて約8km20分で国境だった。シリア国内では世界遺産を4ヶ所見られてかなり喜んでいる。バス車内でシリア出国カードが配布された。ガイドさんとは出国前にお別れし、ヨルダンへ入国。両替所とShopがあった。流石にビールなど置いてない。シリアやエジプトよりはお酒に対しては厳しい国のようだ。一応、5ドル両替した。どこも観光地はドルでOKなので、両替して残るよりはいいと思った。お手洗のチップくらいで何も買い物はないし、十分だろう。!この後はヨルダン編へ続きます。
オンボロバス腐ってもベンツ! 国立博物館 桑の実ジュース・・・ ダマスカスのスークは広い
スークの靴屋さん 香水SHOP カラフルなゼリー スパイス
ムフッ、うひゃひゃひゃ〜♪ ローマ時代の凱旋門 アゼム宮殿:1749年 パン売りのおじさん
ウマイヤド・モスク 715年
世界最古のモスク
巡礼者が後を絶たない 広いモスク内部 聖ヨハネのお墓?!
女性は肌も髪毛も見えない
ようにねずみ男状態で
モスクへ。Shioriちゃんと
モスク内で子供に「バキュ〜ン」
と突然撃たれる。そこで
倒れたら受けたかな〜?!
ファティマの手  アラブ街で
よく見るドア・ノッカー
指輪をしている
スークの水売りのおにぃさん
手捌きの器用さに感心
今日のランチ・レストラン
旧市街の東門近くの
300年前からの建物
「ハイけんちゃん(~o~)を
出して!」 けんちゃんから
この楽しいノリを取った
ら何も残らない?!ブブッ
前菜はいつも同じで
変わらないがだんだん
慣れて来る。
左のパンにつけて食べる
メインはBBQ
皆さん、ほとんど残す
睡眠不足とハードスケジュ
ールでお疲れ?!
ダマスカスで一番人気の
アイスクリーム屋さん
ピスタッチオ味がおすすめ
とかスカーフした女性も
たくさんいた
ボスラの世界遺産
シタデル・ローマ劇場は

中東最大のローマ劇場
37列席で5000人収容
中央ステージはトルコ風
どこも同じような造りと
なっている
コリント様式の柱と
青空がきれい!

106年にローマの属州の
州都となったボスラの街





2005年05月24日(火)晴れ、27℃
パルミラ〜ダマスカス


憧れのパルミラ遺跡

今日は6時半に起きた。7時オープンと聞いていた4階のレストランへ7時20分に行くと、まったくブッフェ・ラインに何も置いてない。ウェイターさんに「あれ?7時オープンでしょ?」と聞くと「8時だ」と言う。他の方々も集まって来たが用意されていない物を食べようがない。T/Cさんへレストランの電話からその旨を報告して、朝の散歩へ行くことにしてロビーへ降りた。念のためにとフロントへ「朝食が用意されていないけど、8時からだったの?」と一言言ったら、電話で問い合わせてくれ「もう用意が出来たよ」と言う。またT/Cさんへ報告の電話をしてみたが、不在。4階へ上ったが、T/Cさんはいなかった。簡単に用意が出来るほどの物しかなかった。しかし、4階からの眺めは素晴らしく、遺跡が見渡せ感激!パルミラはシルクロードの中継地点としても繁栄したオアシス都市。遺跡の前にはナツメヤシなどのグリーンも見える。そのうちT/Cさんもいらした・・・朝食時間変更の電話などで忙しかったのだと思う。8時50分出発のパルミラの観光は遠くの「墓場の谷」から始まった。街を仕切っていた貴族エルベーラ家の墓は103年に造られたが、今でも内部見学出来るくらい大きく丈夫だ。奈良大の発見とか?内部撮影可能。階段を上るとTOPに出るが、手すりも何もないので足元に気を付けたい。その後は3兄弟のお墓へ行った。同じ貴族の3兄弟のお墓だが、地下にあった。内部は撮影禁止。10時に一度トイレ・ストップしてから、いよいよゼノビア女王の夢とともに忘れられた古代都市パルミラ見学が始まった。まずはガイドブックや世界遺産の写真で見る記念門で記念撮影。中央のアーチは運搬の動物用、左右の小さいアーチが人間用だった。この大きなアーチにあの列柱を入れて撮影してみたかった夢が実現。確認出来るのはデジカメならではかもしれないが、熊ちゃんとShioriちゃんも撮影した。、眩し過ぎて液晶画面も真っ暗。ちゃんと撮れたかどうか不安。嬉しくって写真バシバシ。説明より写真撮っていたかも・・・もちろんどちらも集中したいが、説明は本を読んだりすればどうにかなる。写真は今しか撮れないのだ。お客様で説明より写真撮る方があるが気持ちがよ〜くわかった。ラクダ引きがそばから離れない・・・どんどん安くなっていった。広場で叔母のお友達のKさんと「乗ろうか」と一人1ドルで乗せてもらい写真を撮ってもらった。ハッと気が付いたことがある。ミステリー・ツアー・クイズの6問目の「何に乗る?」の誰でも回答するようなラクダには乗らないつもりだった。結局、後日シナイ山でもラクダに乗ることになるのだが、そちらは馬だと思っていた。暑い中、遺跡巡りはベル神殿も入れて2時間続いた。別に入場料の必要なベル神殿はローマ軍も攻撃をためらったと言われるほど壮大な神殿だったようだ。210mx205mのほぼ正方形をしていた。400本近い円柱があった。途中、遺跡の中のホテルで休憩し、最後は撮影禁止の考古学博物館見学で終わった。ランチは街のレストランで宴会料理の「マンサフ」だった。何が出るのだろうと期待していると、出て来たのは羊の頭部の乗った大皿だった。写真を撮った後、サービスしてくれた。Shioriちゃんがウェイターさんに「けんちゃん、皮大好きだから・・・」 私が「けんちゃんに頭をあげて下さい」 けんちゃん「僕、日本へ帰りまっす!」には大笑い!ランチ後はダマスカスへ移動。途中で砂漠の中の「バグダット・カフェ」へ立ち寄り休憩した。ベドウィンの小屋が裏にあったが、きれいなおうちもあった。後でちょっと先に行かれたTOMさんより「あれはホテル」とメールを下さった。ありがとう!聖書で育った(キリスト教徒ではないが、6年間ミッション・スクールだった)から「ベドウィン」と聞くともう聖なる民って気がしてならないのは私だけだろうか・・・。聖書の中で出て来る人たちが、未だにあの頃と同じような生活を続けているのが信じられないが、ちゃんと目の前にいるわけで・・・摩訶不思議。そちらを出発してから喜多郎の「シルクロード」のカセットをかけてもらった。T/Cさんが持って来ているかもと思ったが1度も車内で「語り」もなく、カセットテープをかける様子もないので、他の人にわからないように帽子に入れて「これ喜多郎のシルクロードですが、かけますか?」と持って行った。そうしたら、「ミンメイさんのお持ちのシルクロードのカセットをかけます」と2度も私の名前を言ってかけて下さった。彼女は「喜多郎」を知らなかったのかもしれない。バスの中ではただ砂漠を走るだけなので、風景にも飽きて、PCを開き、皆のデジカメの写真をスライド・ショーしたりして見て遊んだ。途中で2ヶ所、イラクへの道路があり、標識を撮影。その標識を見て、フト、我々は世界中が一時も目を離さない中東へ今来てしまっていると実感。17時30分にホテルへ到着した。4星だからきっとPCも繋げるはず・・・と思っていたら、またオペレーター経由での外線と聞き、大ショック!シリアはどこもアクセス不能と知る。T/Cさんに「今夜は全員が外食しますので、食事はキャンセルします」と報告。少しお洒落して近くの5星ホテルのシャーム・パレスへ行った。シリアの5星ってこんなん?って感じではあったが、全員が英語を話してくれた。中華へ行く予定が20時からだったので、急遽19時からオープンしていたイタリアンへ行く。「アラビックなイタリアンかもしれないね〜」「中華だってそうだったかもしれないわ〜」勝手にそんな予想していたが、出て来た物はすべてがちゃんとしたイタリアンでそれだけでも感激!イタリア語も話せるウェイターさんだったし・・・「こりゃ〜本物だぁ〜」久々に美味しいパスタやピッザなど食べて皆ニコニコ大満足で帰ろうとホテルを出た。フト街の明かりを見て「ダマスカスは夜景がきれい」とガイドブックに書かれていたのを思い出す。「TOPに回転レストランがあるって言っていたし、夜景見に行こうよ」「ソウルの時のようにお茶だけで拒否されてもいいじゃんちょっとでも見えたら・・・」エレヴェーターで15階のTOPへ行き、ドアが開いた瞬間、目の前にあったレストランからはダマスカスの夜景が広がっていた。「わぁ〜、きれい!」マネージャーらしき人が来た。「私達は下のイタリアンで食事が終わったので、ここでちょっと珈琲を飲みたいのだけど・・・」やんわり出来るだけの笑顔でセクシーに言ってみた。「いいよ・・・いつまでも・・・」大成功(^0^)v「日本人のグループが食事しているから離れた所へ案内するよ」ぎょっ!「Japanese?!」見ると今日のお昼一緒だったグループのようだった。きっとこのホテルに宿泊している人たち・・・ツアーの10万円の差はこんなところだろう。レストランは1時間で1回転していた。裏の丘の夜景が特にきれいだったが、写真はなかなか・・・。「君は24時までいてもいいんだよ」と耳打ちするマネージャーに「あはは〜さいならぁ〜(^_^)/~」と22時15分には帰って行った。皆の珈琲はKさんのご馳走だった。感謝!
ホテルの4階のレストランから
見える古代都市パルミラ

パルミラで一番勢力のあった
エラベール家のお墓
内部見学可 TOPにも登れる
天井画は今でも色が
残っている

内部は撮影可能
柱には段々に遺体室が
あったのが
わかる
エラベール家のお墓のTOPで
両手を広げて嬉しさを表現?!
真っ青な空がきれい!
ミステリーツアークイズで一番
多かった回答「ラクダ」に乗る
絶対乗らないつもりだったのに
すっかり忘れて乗ってしまった
憧れのパルミラ神殿の
遺跡にて列柱を抱く

375本あった柱が
現在は150本残る
遺跡が賑わっていた頃を
想像しながら歩く
メインストリート
けんちゃんは一眼レフの
カメラで撮影中 
3兄弟のお墓の横
3兄弟のお墓入口は地下に
ある 内部は撮影禁止
パルミラ遺跡の正面入口
アーチの中に列柱を入れて
撮影したかった夢が実現!
柱の途中の出っ張りには
彫刻像が立っていたらしい

 幅11m 全長1.3km
ローマ劇場跡
13段の観客席

48mx10.5m
ステージの建物はトルコ風
の円柱がある

前部には演奏席がある
繁栄していた古代都市が
想像できる
妖しげブルースカーフの美女
後方には夕陽を見た丘の
アラブの城塞が見える
怪しげアラビアン・
ジャパニーズ・クマ
四面柱 テトラビュロン
1本の柱だけが本物で
エジプト産の赤色花崗岩
パールジャミン神殿 2世紀
半完成だが、6世紀には
キリスト教の教会となった
神殿前の柱 雨と豊穣の
神を祭っていた
ベル神殿 ベル神殿内部でもこの広さ 遺跡に咲く白い花 熊ちゃんアラブ人になる
遺跡や乾燥地帯で見る
薄紫の花
ベル神殿本殿正面
後に要塞化された
神殿内部
屋根は木造だったので
朽ちてない
本殿の天井の彫刻
これ以上暑いのは無理っ!
と サンバイザー深めに
かぶるShioriちゃん 
本殿の後方の柱が
きれいに残っている
400本はあったと言われる
コリント様式の列柱
ランチ・レストランの
近くにいた可愛らしい兄弟
左はミンメイの7UP、
右はけんちゃんのCOLA
3色の瓶のビール(中は同じ)
と前菜とスープ
宴会料理のマンサフ
右上の羊の頭と目がわかる?
レストランから見えた
パルミラ遺跡とナツメヤシ
墓地の谷も見えたので
ズームアップ
途中で立ち寄った砂漠の
中のバグダッド・カフェ

中にはSHOPもあった
Cafe裏のヴェドウィンの
ホテル?
きっと涼しいのだろう
右へ152kmでイラク国境
バスの中より撮影







2005年05月23日(月)晴れ、33℃
アレッポ〜パルミラ

旅行2日目の今日はホテルを余裕の9時出発なのに、何故か5時半に目が覚めてしまった。PCもアクセス不能だしすることなくて、2度寝して7時15分起床。ゆうべ遅くにした洗濯物が乾いているのはかなり乾燥している証拠。7時40分に3星レストラン(決してミシュランではない)の朝食会場へ行ってみる。けんちゃんがいて「食べる物ないっすよ〜」私はパンとゆで卵を食べた。熊ちゃんも「食べる物がないのでゆで卵を4個も食べたよ」と言っていたし、叔母達は部屋で持参のお粥を食べていた。私は元々食事にはまったく期待していないので、驚かない。ツアー費もお安いので期待する方がおかしいと思う。9時に紀元前2世紀頃からパルミラ衰退後の隊商都市として栄えたアレッポの街の観光に出発。まずは9時オープンのアレッポ考古学博物館(撮影禁止)見学へ行った。東大の教授の発掘物で紀元前8600年の子供のミイラも展示されていた。他に貴重なアルファベットの基礎となったウガリットの粘土板の一つもある。テル・ハラフ、マリ、ハマ、エブラ、パルミラなど多くの発掘物があり興味をそそる。トイレを10シリア・ポンド(約21円)で借りてから、アレッポ象徴のお城へ移動。まだ朝の10時半なのにかなり暑くなって来た。10年以上前に初めてエジプトへ行った時に$1で買ったペパーミント・グリーンのスカーフを巻いて歩く。周囲2.5kmで破壊と再建を繰り返した歴史を持つお城は大きく頑丈に出来ていた。お城から街を眺めてから大モスクへ移動。女性は暑い中、全員フードの付いたグレーの服を着せられねずみ男状態。けんちゃんの「僕も着た〜い」には笑った。聖ヨハネの父のザカリアの首を収めたお棺があったのには驚き!その後は近くのスークと呼ばれるオリエント一巨大な迷路となった市場へ行った。迷子にならないようにガイドさんとT/Cさんの間で動く私達。アレッポ名物のオリーブ石鹸を買わなかったのは私だけだった。前のギリシャのツアーでお客様から買っていただいた物もあるし、重いので買わなかった。そのお店の正面のスカーフ屋さんをからかって遊び、スカーフを半値に値切り倒してから叔母達へ紹介。お買い物代好きなおば達は案の定買っていたっけ。その後、随分たってからShioriちゃんから見せてもらったオリーブの洗顔石鹸が可愛いハートやペイズリー型もあったと知った。量り売りだったようで、少々後悔。13時半前からランチして、14時半にはパルミラへ向かって出発した。
ピスタッチオ畑の中を走り、ジプシーのテント小屋など見ながら走り、途中、トイレ・ストップ(10ポンド:約21円)に立ち寄った。そこにあったShopで唐辛子のポテト・チップス(50ポンド:約100円・・・今気が付いたがシリアの物価を考えるとめちゃくちゃ高いじゃん(ー_ー)!!嫌いなアラブ・スパイスが入っており、私は食べられないので、Shioriちゃんに笑納?!してもらう。その後は軍事関係の施設があちこちにあり、撮影禁止の砂漠の中を走った。右手にアラブの要塞を見た時、心臓がドキドキした。もうすぐ憧れのパルミラ遺跡が見えるかもしれない。要塞のある丘を左から回りこむとふっと見えて来た列柱たち・・・思わずバスのなかで立ち上がって「わ〜、パルミラが見えたぁ〜」と歓声と共に両手を上げた私。車内でT/Cさんから「夕陽を見に行きたい方にオプションがあります!」にけんちゃんとにんやりVサイン。熊ちゃんもShioriちゃんも「行くっ!」夕陽は車手配しても行くつもりだったので嬉しいサービス。18時40分到着のホテルは遺跡入口に近い所にある3星だった。ロビーはアラビア風でとてもきれい。BARにPCも3台あった。オプションには我々6人が参加と思っていたら、ロビーで「夕陽へすぐに行きますよ〜」の現地ガイドさんの声に「私も行きます」と男性の方も急遽ご参加で7人でフロントへ手荷物預けて飛び出した。アラブの城塞は見た目よりは簡単にTOPまで上り詰められた。パルミラの遺跡が夕陽に映えてオレンジ色になっていた。感動で胸が詰まる思いだった。遺跡の写真を撮っているとバッテリーが切れて撮影不可能となりガックリ!「ぎゃ〜っ、夕陽が撮れな〜いっ!」「チャージしなかったの〜?」「だって、いつも3日くらいは大丈夫だもん・・・あ〜っ、いつもって仕事しながらでこんなにバシャバシャ撮ってなかったんだわ〜(>_<)」その時けんちゃんが一眼レフのカメラを持って来ていたので、「ミンメイさん、これで撮っていいですよ」とデジカメを貸してくれた。ありがとう!皆で夕陽が出るのを待ち、思う存分写真を撮り捲った。お城の下で絵葉書を「1ドル、10ポンド」と言って販売していた。私はそのからくりがすぐにわかり「1ドル!1ドル!」と言って嫌がる中1ドルを無理やり渡してget。けんちゃんは2ドルで買っていた。10ポンドは2ドル・・・1ドルは安いと思い込ませ、ポンドで払ってほしかったようだ。ホテルへ戻ったのが19時40分。すぐに5人はレストランへ向かったが、私は部屋で朝いただいたバナナとカップ麺食とした。食後に熊ちゃん達からお誘いがあり、若者?4人で夜の散策に出かけた。お土産屋さんが並んでいたので冷かして歩いたが、「ちょっと待って」と日本語で声をかけられ驚く。日本語での看板もあったり、インターネット・カフェもあった。パルミラのライトアップが見えたので近づくが、遺跡までは遠いので諦めて帰ることにした。水を買った・・・1ドルは高いと思いながらも仕方ない。ホテルで1時間1ドルは安いとPCを借りて、掲示板など見た。XPなので、日本語でそのまま読めるように設定は簡単だが、書き込みはローマ字となる。おば達と同室の私は気になって帰ったが、けんちゃんが掲示板に我々が元気だと報告の書き込みをしてくれた。ありがとう!PCでサイトに画像だけを貼り付け、23時半にベッドへ入った。
3星のホテルだった
学生ツアーのよう
レストランはシリアの3星?!
お味・内容は?
アレッポ考古学博物館正面
紀元前9世紀の像のコピー
博物館入口の彫刻
ライオン?
博物館のお庭の花 黄色い花も咲いていた バラが先日のギリシャの
ゼウス神殿のバラと同じ
アレッポ城入口
深さ20m、幅30mの溝
正面より 内部への入口 お城から見える旧市街 聖ヨセフの父親の墓?
城内には
モスクも2ヶ所ある
現地の英語ガイドさんと
通訳するT/CのDさん
大モスク:女性は全員フード
の付いた服を着る(無料)
きれいに残るモスク
ジャーミア・アッカビール
大モスク715年
元々はキリスト教の教会で
鐘楼だった45mのミナレット
スーク(市場)にはいろんな
SHOPが並ぶこれは
ナッツ屋さん
狭い路地を行く
姫りんご売り
パン売りを追い越す
運搬屋さん
男性が頭に巻いている
熊ちゃんもけんちゃんも購入
アレッポはオリーブ石鹸で有名
これは中を見せるために
カットした見本品1個2ドル
これもベンツ これはHONDA
本日のランチは
有名レストラン
パティオもステキ レストラン内部 今日のコーラは左
ビールは右
前菜に必ず出る小皿 チーズコロッケのよう
これは美味しかった
17世紀の宿泊施設 バスセンターの近くの
大きなモスクがあった
パルミラ到着後、
すぐにアラブの要塞にて
夕陽を眺めるオプションに
参加
7人で一人$12
要塞内部
我々6人と他にお一人だけ
の参加 他の方々はお疲れ
で不参加とはもったいない
アラブの城塞から眺めた
夢にまで見たパルミラの遺跡
あまりにも偉大で素晴らしく
声が上がるくらい感動的!
墓場の谷が下に見えた
翌日ここから見学が
スタートする

砂漠の中の墓場
顔が見えないけど(から?)
意外と!かっちょエェ〜♪
アラブ巻きのけんちゃん
夕陽はいつも感動的
アラブの城塞のTOPより
この夕陽前に私のデジカメ
のバッテリーが終了
パルミラの夕陽
言葉は不要
けんちゃんのデジカメを
借り、夕陽を撮影する
あ〜、今日も無事に
終わった・・・
シュックラン♪
神に感謝
3星ホテル
すぐ右横には八百屋さんの
屋台があった
外観と違い素敵なロビー
アラビックなシッティング・
ルームもあった
ホテル近くのショップで
日本語で「ちょっと待って」と
あちこちで呼び止められた
食後の散歩から帰って来て
ホテルのCafe Barにある
PCで掲示板に書き込み中






2005年05月22日(日)晴れ、27℃
カイロ〜アレッポ


アレッポ空港に到着した時熊ちゃん撮影
カイロで午前中はピラミッドとスフィンクスの見学をし、ランチ後にカイロ国立博物館へツタンカーメンとミイラを見学に行った。
19時カイロ空港からシリア北部で第2の都市アレッポへと移動して来た。いよいよ未知の世界へ夢を追って動き出す日が来た。空港を19時45分に出て、大きな広場で賑やかな通りに面した3星ホテルには20時10分に到着。夕食はビーフがメインと聞くが、キャンセルして若者?4人で近くで有名な「バロン・ホテル」へ行ってみた。移動の機内で読んだガイドブックにそのホテルの記載があった。アラビアのロレンス、トルコの初代大統領アタチュルク、リンドバーグ、他の皇族も多数なども宿泊しているようだ。元々ホテルのレストランで食事する気のない私が3人に声をかけてみた。ホテルから徒歩7〜8分の所にあったが、けんちゃんが「ここじゃないですか〜?」って言ってくれなかったら通り過ぎそうなくらい古ぼけた建物だった。内部はBARがちょっと雰囲気があって西洋人がお酒を飲んでいた。我々は食事したい旨伝えて、レストランへ入った。どうも様子がおかしい。営業しているのかどうかもアヤシイ。メニューもないと言う・・・フロントへ行き訊ねて見ると、古そうな紙切れメニューを手帳から出し、こんな物があるよ(作れるよ?)と言う。何故かしつこくサラダを勧められたが、お腹を壊すのが怖いので「ノーサラダ!」とこちらも何度も繰り返し言ったのに、我々だけのレストランのテーブルの上には一番最初に「ハイ、サラダ!」とド〜ンと置かれて驚く(゜o゜) 他にメインを2種類頼んでみた。チキンは美味しかった・・・。一人9ドルなり!翌朝、T/Cさんからあのホテルはアガサ・クリスティーが「オリエント急行殺人事件」を書いた部屋があると言われ、「イェ〜イ(^・^)v」と、皆大いに喜んだ!
案の定、ホテルはPCが繋げなかった・・・外線もオペレーターを通すことになっているとは驚き!叔母達と空港で買ってもらったり、旅行グッズ屋さんから買って来てもらった和食(おにぎり、五目御飯、お味噌汁、カップ麺など)の数のチェックをした。全部で余裕で3回は食べられる数があってホッとして、23時半にベッドへ入った。
アレッポ空港
シリア・ヴィサは空港で
取得可。無料は嬉しい!
トイレは入国後にある
ので機内で済ますこと
年代物ベンツ
ここまで使ってもらえたら
本望?!

その後たくさんの
レトロベンツを見る
バロン・ホテル
アガサクリスティーが「オリ
エント急行殺人事件」を書いた
部屋、アラビアのロレンス
なども宿泊したホテル
食器にもバロンホテルと
名前入り

たくさんの有名人がこの
お皿で食事をしたのだろうか
ホプス(パン)とチキン、
焼きトマト

これは美味しかった
マトンのミンチ
マトンだからちょっと・・・
タヒーナ、ホンモス
この先、ずっとこれは
出て来た
コーラと言ったらj左の
瓶が出て来た。右は
ビールのSTELLA 
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