リトアニア
2004年04月30(f土)晴れ、15℃
カウナス〜十字架の丘〜リガ(ラトヴィア)
カウナスの旧市庁舎 | 聖パウロ&ペトロ教会 | メインは魚料理 | アマリリスとガーベラ |
十字架の丘 | 丘に登る・・・ | 私の十字架 | キリスト像の前に置いた |
2005年04月29日(金)晴れ、15℃
ヴィルニュス(画像だけUP(^^ゞ)
ヴィリュニス大聖堂内 | 手が3つある祭壇 | 旧市庁舎前 | 杉原チ畝氏の記念碑 |
聖ぺトロ&パウロ教会 | 帆船のシャンデリア | パイプオルガンも白い | 2000体の漆喰の彫刻 |
トラカイの村 | トラカイ城内部撮影は有料 | ロールキャベツ | |
お花屋さんのチューリップ | 夕食はこのホテル内にて | 雰囲気のいいレストラン | ツッペリーナ(お肉入りお団子) |
2003年08月07日(木)晴れ、27℃
カウナス〜十字架の丘
今日は8時に出発して、1時間半後にはカウナスの「杉原博物館」に到着していた。当時のリトアニアの首都カウナスの高級住宅地にあった旧日本領事館。この柵の前に1940年7月末からナチスに迫害されたユダヤ人が、日本の通過ビザを求めて、ポーランドやオランダから押し寄せて来た。日本への3回の打電の回答は「NO!」だったが、杉原千畝氏は独断でビザを発行することにした。このままではこのユダヤ人達が強制収容所へ送られ、虐殺されるのがわかってから。それから毎日昼食もせずに書き続けたビザで助かった人は6000人と言われている。奥様の杉原幸子さん著作「6000人の命のビザ」によると、2092番までは記録に残したが、それ以降はいちいち書き写すのも時間の無駄と書いていないので、どれだけのビザを発行したのか、はっきりしていない。博物館の日本語の15分間のヴィデオの映像によると発行は大人のみとし、子供は親と一緒なら何とかなるだろうと考えたようだ。ロシアの手が伸びて来たリトアニアから退去命令が来た。領事館からホテルへ家族で移動しても書き続け、カウナス駅から列車に乗ってもまだ書き続けていた。最後に「許してください。皆さん、私はもうこれ以上書くことは出来ません。皆さんのご無事を祈っています」と残った人に対して言葉をかけ、ベルリンへと向かった。それからプラハ、ドイツ、ルーマニアへ人事異動し、最後はシベリアで抑留生活をし、10年後に日本へ帰った。そんな彼に対して、外務省は「君のポストはない」と依願退職させる。その後、ロシア語が出来、ロシアに精通していたので、貿易会社のモスクワ事務所で働き、最後は鎌倉の自宅で86歳で亡くなっている。ビザをもらったユダヤ人のその後は、シベリア鉄道でウラジオストックまで行き、「ハルビン丸」で敦賀まで渡った。そして、神戸や横浜から渡米した。神戸からは40ドル。横浜からは50ドルだった。生き延びた彼らはお礼が言いたくて、外務省に訊ねた「センポ・スギハラは今どこにいますか?」しかし、彼の本名は「杉原千畝:スギハラチウネ」なので、外務省も「見当たらない」と返事を繰り返していた。チウネは読みにくいのでセンポと名乗っていた。ユダヤ人たちはそれが本名だと思い込んでいたようだ。日本では半世紀も経った1991年に、当時の河野洋平外相が初めて遺族に対し謝罪し、名誉回復した。カウナスに残ったユダヤ人たちはほとんどが収容所へ送られて、そこで命を絶っている。 博物館内は当時のままに残された遺品があり、特にペン先を見たら「これで・・・」と胸が熱くなった。家族もあり、自分たちも捕まるかもしれない中で、彼は人道的な決断をした。愛と勇気で、多くの命を救った杉原千畝氏。博物館内には多くのユダヤ人からの手紙も公開されている。涙を流しながら皆で見たビデオ。こんな感動は今までにあっただろうか。 カウナスの市内を見学してから昼食へ。その後は2時間少し走り、「十字架の丘」へ。駐車場にある屋台から十字架を買い、丘へ入って行き、一番高い部分のキリスト像の前に置いて、「旅の安全」をお祈りした。 |
杉原千畝氏 | カウナスの杉原博物館 | 杉原氏のデスク | 電話と折り鶴 |
タイプライター | 出版物 | カウナス城 | イエズス教会 |
カウナス大聖堂 | ポンペイ・レストラン | コルヂュナイ ラビオリのよう |
メインは魚のフライ |
十字架の丘 | TOPから逆の下を見下ろす | すべてが十字架 | 塊っている十字架 |
2003年08月06日(水)晴れのち雨、23℃
ヴィリニュス(世界遺産)
昨日は受付にて、スーツケースの鍵の部分を中心に、ガムテープでグルグル巻きにさせていただいた。お電話でそのようなお話をしてはいたが、目を丸くされて「そこまで?」と驚かれた。「これで100%ではありませんが、面倒だから諦める可能性はありますよね」と私。このフライトではヴィリニュスまでスーツケースを流せるのだが、危険なため、モスクワで一旦ピックアップとした。乗り継ぎまでの時間が6時間がある。いたずらする時間を与えない方がいい。モスクワ空港でロシア入国にいつものように長い列があり、40分かかった。それでもこの時期にしては早い方だろう。こんなに時間がかかって入国して来ても、ターンテーブルに荷物はまだ流れていない。そんな時間の中で空港職員から鍵を壊され、中を荒らされたり、抜き取られる事件は後を絶たない。結局、荷物は全部無事に出て来た。時間があったので、空港内のホテルで休憩。お茶を飲んだり、再入国のために両替をしていただいた。時間がきて、ターミナルへ移動し、小型飛行機でこのリトアニアの首都ヴィリニュスへ入って来た。機内から夕陽が見えたが、その後の空の色がどんどん濃くなっていく様子は本当にきれいだった。空港ではパスポートを見ただけで、入国カードもなく、スムーズに入国完了。ロシアと違って、我々はVISAも不要。バルトの3国は来年5月1日より、EU加盟が決定している。ユーロになるにはまだ4年はかかるようだが、気軽に来れるので、これから日本人観光客も増えるだろう。ただし、ロシアだけは避けて入国したい。 今日の観光は英語を話すガイドさんがいらしたので、通訳もしながら回った。ヴィリニュスは1994年にユネスコの世界遺産に指定されたバロックの街。しかし、初めて訪れた街で旅程の管理もし、お客様の動きも見ながらと、疲れてしまった。朝からお天気がとても良く、歩き回るにはちょうどいい温度だったが、昼食時に雨が降って来た。午後のトラカイ城では降らず、またホテルへ入ってすぐに土砂降りとなった。ラッキーだったのかもしれない。 |
旧市庁舎 | 3つの十字架の丘 | 聖ヨハネ教会の鐘楼 市内で一番高く63m |
丘から眺めた 聖ヨハネ教会 |
大聖堂広場 | ゲディミナス大公の像 | 大聖堂の正面 内部は工事中で見学不可 |
鐘楼53m |
リトアニアの守護聖人 聖カジミエル教会 |
教会内部 1604年建造 |
聖アンナ教会 ナポレオンがフランスへ 持って帰りたいと言った教会 |
教会内部 |
ゲディミナスの塔 | 右の礼拝堂にある 聖母のイコン |
礼拝堂のある門 | 10個の門の中で残った 夜明けの門はルネッサンス様式 |
昼食のメイン ツェペリナィとミート・ロール |
夕食のメイン トナカイの肉 |
湖に浮かぶトラカイ城 市内から約30分(絵葉書) |
クリミアから傭兵として 来たカラメイ風の家 |
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