旅の空から
ラインライン

ペルー世界の時間
★2006年のペルーの旅日記はこちら

1.面積 128万5,215km2  日本の約3.4倍
2.人口 2,566.2万人(2000年ペルー国立統計院)
3.首都 リマ        4.宗教   カトリック教(89%)
5人種 先住民インディオ47%、混血40%、欧州系12%、東洋系1%
6言語 スペイン語(他にケチュア語、アイマラ語)
7略史
1821年 スペインから独立
1968〜80年 軍事政権      1980〜85年 ベラウンデ政権
1985〜90年 ガルシア政権   1990年  フジモリ政権
1995年 フジモリ第二期政権
2000年 フジモリ第三期政権、同政権退陣、パニアグア政権
2001年 トレド政権

2003年03月19〜21日(水〜金)晴れ、28℃
ナスカ
〜帰国

今日は朝からそわそわ・・・乗る飛行機もどんな物かかわらない。リマの空港で、定期便の間を縫って、ナスカ行きの飛行機やセスナ機が離発着するのだから、時間もあってないようなもの。とりあえず、ナスカの地上絵観光を取り仕切る会社からの指定時間だけを頼りに空港へ行った。空港税は一人5ドル。今日は8人乗り2機に分乗することになった。すでに日本人グループが先のセスナで出発したが、時間はやはり指定の時間よりずれ込んでいた。我々もジッと待つしかない。やがて呼ばれて、8人乗りのセスナ機へ乗り込む。暑い。蒸し風呂状態の中、また定期便の出発を待ちいつでも飛べるように待機する。ドキドキのセスナ初体験の方々にあのNZのことはすっかり忘れ「大丈夫ですよ」と声をかける。やがて、飛び立ち、海からのきれいな海岸線を飛ぶ。そのうち内陸へ少し揺れながら入って行く。砂漠が広がる中にイカの街が見え、セスナはその中の小さな空港へと降りて行った。南国の島のような掘っ立て小屋の管制塔がいい味を出している。先のお二人と合流して休憩。待合室のドリンクは無料サービス。奥には小動物園がある。そこにはコンドルの「PEPE」がいて、歓迎の羽を広げてくれた。そのうち声がかかり、イカ市内観光にバスで出る。これは地上絵を見に行くのに、順番があり、我々は13時に飛ぶことになっているので、その間のサービス。イカは150000人の街。1563年に建設されたイカ州の州都。リマからは308kmの位置で、格安のツアーだとバスで早朝から出発してここまでやって来ることになる。まずは「イカ考古学博物館」へ行った。ここの見所はミイラと手術の後がはっきりわかる頭蓋骨の収集品。ロンドンのエジプトのミイラより見応えがある。発掘された土器なども地上絵と同じ絵があり、これも不思議。どちらが先なのか・・・地上絵は上からしか見られない。どうやって見て土器のデザインにすることが出来るか・・・凧に人が乗って見た?! その後、砂漠とオアシスを見て、空港へ戻った。そして迎えた13時。また空港税5ドル・・・。12人乗りに乗って、出発する。25分ほどすると、大平原上空でパイロットが日本語で右・左と絵の名前を言ってくれる。左右とも旋回してくれるので、ほとんどの人が地上絵をしっかり見ることになる。まず最初に「右、クジラ!」「え〜、どこ?どこ〜?」「羽の下」「あった〜!」機内はワイワイと突然賑やかになる。デジカメで覗くと真っ白でぜんぜん絵が見えないので、諦めて目に焼き付けることにした。その後、「宇宙人、犬、サル、オウム、コンドル、ハチドリ」など見せてくれた。最後は大喝采。こんなに地上絵を見に行くことが楽しかったとは・・・。中には高所恐怖症の方や、カメラを覗いていて酔った方もあったが、「来て良かった」と言って下さり、胸を撫で下ろした。この地上絵は砂漠を横断する「パンアメリカン・ハイウェイ」建設の時に空から測量していて、発見されたもので、未だに誰が何のために描いたのかはわかっていない。山肌に描かれた「宇宙人」が描いた説もあり、ロマンを誘う。カレンダーだという説もある。動植物は30種、幾何学模様とも思えるのは200本。でたらめにシャッターを押したが、帰国後に「渦巻き、コンドル、手」ははっきり写真に残っていた。私とは逆にお座りのMR.Kさんの手とセスナ機の窓からハチドリが見えるので画像をUP。これで機内からのどのくらいの位置に見えるのかがわかる。楽しいことはアッと言う間に終わるもの。1時間半の遊覧飛行終了後は遅めのランチとなった。空港近くのリゾートホテル内でのブッフェ。全行程を終了したと安堵の気持ちもあり、久しぶりに食欲があった。16時にセスナ機に乗り、リマまで戻る。ホテルで少し時間があったので、シャワーを浴び、着替えてから夕食へ。「フジ」大きな日本食屋さんで大使館の方々もよくいらっしゃるとのこと。純和風の内装に、ここがペルーだと言うことを忘れてしまいそう。酢の物、天ぷら、お寿司などをいただいた。ご主人が私にそっと「始まったよ・・・」 これは米英軍のイラクへの攻撃のこと。心配はしていてもどうすることも出来ない。会社からのSTOPがかからない限り、進むしかないのだ。21時半に出て、空港へ向う。毎回、空港への道路混雑に1時間はかかる。22時半に個人チェックイン。荷物のチェックが厳しいのは戦争が始まったからではない、いつものこと。ここで出国税が28ドルは高過ぎ!このツアーのペルー内空港税の合計は一人63ドルだった。飛行機に乗るたびの出費でかなりいたい。そして、01:05分予定が1時間の遅れで02時に満席で出発。気が付いたら、もうアメリカの上空を飛んでいた。8時間のフライトで2回の食事もせずに爆睡したようだ。時差ー3時間で朝の7:50に到着のロスアンジェルス空港で何か動きがあるかと思ったが、平常通りの空港の様子に少しホッとする。成田行きの後に出発の大阪直行便のお二人とお別れした。成田行きの飛行機は定時ぴったりの11時40分に出発してくれた。戦争が始まったばかりで何も様子がわからないのもあり、早く日本へ帰りたいと思った。長いと感じたホテル5泊機内3泊の9日間のペルー周遊の旅、あのクスコの風邪での体調不良のことなど忘れるくらい楽しかった。成田からの帰りに見た夕陽がきれいで、サンディエゴの夕陽を思い出した。また無事に帰国できたことに感謝。
8人乗りのセスナでリマよりイカへ向う 機内は蒸し風呂状態 イカ空港の管制塔の掘っ立て小屋
イカ博物館
ナスカから発見された鏡
土器にははっきり模様が見える 大きな壷のカラフルなデザイン
素焼きの壷 砂漠の様子を見に行った 砂漠の中のオアシスの街ワカチナ
我々の乗った
12人乗りのセスナ機
真下の影を追う セスナ機からの眺め
地上絵の「 ハチドリ
拡大図あり
山には「宇宙人」 」拡大図あり
昼食をとった
リゾート・ホテル
イカ空港の模型を撮る 模型の「サル」


2003年03月18日(火)晴れ時々小雨、10℃
プーノ3800m

シュスタニ遺跡4000m
の墳墓チュルパ
墳墓が点在するが当時は
100〜200はあったと推測される
上部が崩壊して花の咲く
チュルパウマヨ湖に囲まれている墓場
初めて見た遺跡に咲く
オレンジ色の花
ピューマの頭にある
渦巻きは磁石も狂わす
シュスタニ博物館、
遺跡の入場で入館可



2003年03月17日(月)晴れ時々小雨、10℃
クスコ
3400m〜ラ・ラヤ峠4335m〜プーノ3800m

ガイドのディヴィッドさんと
途中の街オロペサの大きなパン
アルパカは首が長く
耳が立っている
リャマは耳が下がっている
食用として飼われている
ねずみより大きく、モルモットより小さめの可愛いクウィ
ララヤ峠4335m
このコースの最高地点
近くに6200mの山も見えた
峠にいた黒いリャマと女性撮影料は1ソル(約35円)
どこも同じようなセーターと鮮やかな色の壁掛けを販売している 途中の街フリアカ150000人に
40000台の人力タクシー
花の咲く平原で食べたおにぎり弁当は最高に美味しかった
トトラ(葦)とチチカカ湖標高3812m
琵琶湖の12倍の広さ、見えているのは内湖
ウロス島は葦で出来た浮島。下が腐っていくので新しい葦をどんどん重ねていく 家は休む場所。歩くとフカフカしているが水の上にいることは忘れる
このサンタ・マリア島は10家族がいた。
ウロス島は40個ほどあり、2000人が暮らす。
キッチンはすべて外にある。あげパンを作っていた。飲料水、お風呂、トイレもすべてチチカカ湖で。 1ヶ月かかって作るトトラ・ボートは1年でダメになる。フジモリさんが4回訪れて今ではウロス島に学校も建っている



2003年03月16日(日)晴れ時々小雨、15℃
マチュピチュ2200m 拡大図 

今日は4時半に起き、5時半にバスで出発。6時のマチュピチュ行きの列車に乗るために駅に向う。私も含めて(悟られないようにしていた)何人かの方がかなり体調悪いけれど、頑張って同行されたのは嬉しい。朝もやの中を出発した列車はまず3400mのクスコを抜け出るために何度もスイッチバックしながら山を一旦上る。その後、徐々に2280mまで下って行く。途中の2駅でも観光客を乗せ、最終的には満席となった。トレッキングで何日もかけてマチュピチュへ入る人たちもいるとのこと。全席指定の青い列車には朝食のサービスが付いている。きれいなお姉さんがコカ茶を運び、サンドウィッチやコーヒーなどの飲み物を持って来てくれる。雨季の山や草原には花々が咲き乱れ、私たちの目を楽しませてくれる。マチュピチュまで行きは約3時間半。駅から3分ほど歩いて川を渡った所に乗合バスがたくさん待っている。分散しないように気を付けてご案内。約25分後には遺跡の入り口に到着。トイレ0.5ソル(約15円)荷物預け1個4ソル(約1ドル)
いよいよ世界遺産マチュピチュへ入場する。まずは高台へ上り、あのよく目にする全体を見学に行くのだが、これがまた大変。普段の運動不足がたたって一番遅い。T/Cだから最後の人に付いて行くのは当たり前。しかし、その方よりずっと遅いのだ。朝からあまり具合は良くなかった方々も元気になっていく。15分くらい上り詰めた所で、雲のかかる幻想的なマチュピチュが目の前に広がっていた。皆で大歓声を上げる。我先にと興奮して写真を撮る。クスコから体調悪く、緊急輸送されてリマへ戻る方や、クスコのホテルで叔母のように休んでいて、マチュピチュを見ずして帰国される方も珍しくない。今回は全員でここまで来れたことに感謝したい。それもガイドさんのアドヴァイスもかなり効いている。「絶対、マチュピチュへ行けば元気になります!」 あの自信有り気な言い方に叔母もこのガイドさんに当たっていたらと思うと可愛そうになる。それから約2時間半、ガイドさんの思い入れもあり随分サービスしていろいろと案内をしていただいた。石段の上り下りは腰にも響き、結構辛かったが、皆さんの楽しそうなお顔が本当に嬉しかった。空中都市マチュピチュは未だに何のために造り、いつどういう理由で住人がいなくなったのかも解明されていない、不思議の山岳街である。6枚の拡大画像をUP。
レストハウスでブッフェの昼食後、再度乗合バスにて下の駅へ。そこで30分のフリータイム。出店がたくさん有り、皆で冷やかして歩く。ケーナを買って「コンドルは飛んで行く」を吹いてみたかったが、どこで吹くか考えると今の私にはそんな場所はないと思って諦めた。右写真の左がケーナ、右はタルカ。左写真はサンポニアと言う楽器。
15時半発の列車には同じお姉さんがいた。そう言えば、マチュピチュで私服で歩いていた・・・と思い出す。写真を一緒に撮って1ドルとアルバイトをしていた。制服を着ていると無料。帰りの車内は静かで皆どの観光客も眠っていた。朝6時、6時15分、6時半の列車しかないので、皆早起きをしているのだ。クスコへ入るとガイドさんが声をかけてくれた。「夜景がきれいですよ」ふと見ると、今までこんなきれいな街の夜景を見ただろうかと思うほど、広い範囲で街の明かりがキラキラ輝いていた。中央にカセドラルのライト・アップも見えた。皆総立ちで見つめる。スイッチバックを繰り返し、クスコ駅に到着した。夜はホテルのブッフェだったので、私は翌日のことも考え、軽く部屋で生うどんとして休んだ。
列車内:全席指定 途中の駅での物売り とうもろこしを売る
おばちゃん
最初に上った所は
外れの墓地
マチュピチュの全景

拡大図あり
見事な段々畑
拡大画像
最高地にある
インティワタナ
当時の出入口は
ここだけだった。
大塔:太陽の神殿
神聖な広場にある主神殿 岩の切り出し前の
様子
3つの窓の神殿



2003年03月15日(土)晴れ、15℃
クスコ3400m

今日は朝が早い出発なので緊張で何度も目が覚めたが、最終的には3時50分に起きた。ホテルを5時に出て、7時10分の飛行機でクスコへ向った。空港税が一人5ドルは高い。クスコへの飛行中、左には雪のアンデス山脈が繋がり、眩しかった。ヨーロッパはせいぜい4800mクラスの山だが、こちらは6400mある。空港へ着くと、バゲーージ・エリアでインディオが音楽を演奏してくれていた。バスへ乗り込み、ふと思い出し「3400mのクスコですが、大丈夫でしょうか?私はそのことをすっかり忘れておりましたけど・・・」に「そうだ、忘れてた〜」と元気な声に爆笑。ホテルへ一旦チェックインして、お部屋でお休みいただいた。
午後、ホテルの外にいた観光用リャマとインカ女性を1ソル(約35円)で皆で代わる代わる撮影後、クスコの観光が始まった。まだ皆さんかなりお元気。観光が終わる頃には半分以上の方が不調を訴えていらしたので、ホテルのロビーで酸素吸入した。私もあまり調子が良く経験もしたくて、吸ってみた・・・どうも変化を感じられない。そんなものかと解散して部屋へ入る。夜は民族舞踊と音楽の夕べに出かける。その頃私は最悪の体調だった。やっとの思いで出かけたが、立っていられなくて、レストランのソファーで横にならせて頂いた。皆さんもかなりお疲れで、約1時間後ホテルへさっさと帰ることになった。明日はマチュピチュへ行けるのだろうか・・・不安に思いながら、私はベッドへそのまま雪崩れ込んだ。
左の写真はクスコの中心地のアルマス広場で、子供達が私たちに物品販売していたので注意する「観光ポリス」さん。
上はホテルのロビーの様子
右上の写真のコリカンチャ「太陽の神殿」の中庭を思わせる造りとなっていて、素敵な雰囲気が嬉しい。

右は「12角の石」と言われる。12角ありますか?
コリカンチャの石は剃刀も通さないと言われるくらい隙間なく積み重ねられている。ここに当時は黄金が貼り付けてあった。それを1533年に入って来たピサロ達スペイン人が騙し持ち出したと言われる。
1658年建立
大聖堂カテドラル
アルマス広場 ラ・コンバーニア聖堂
プカプカラ遺跡とリャマ タンボマチャイ遺跡に
流れる水
ケンコーの穴


2003年03月14日(金)晴れ、22℃
成田〜ニューヨーク〜リマ
マヨール広場 1535年、ペルーで最古の
カテドラル
アルマス広場から見た
リマ市役所
旧日本大使館:このドアから
パーティ招待者が入って
行き、占拠事件となった。
現在の日本大使館
ブ厚い扉とガードマン
警備は完璧?!
天野先生と奥様
天野博物館にてチャンカイ
文化を見る。予約制、無料
恋人達の公園
バルセロナのガウディの
グエル公園のよう
ペルー名物:セビーチェ
酢和えのシーフード
日本人の口にとても合う。
コカの葉、じゃがいも、
豆、ペッパー、
ジュース用の紫とうもろこし

ホーム(TOP)へ




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送