旅の空から
ラインライン

イタリア世界の時間

2004年02月10日(火)晴れ、15℃
ミラノ

スフォルツェスコ城
内部の博物館のミケランジェロの
彫刻は修復中
残念ながら、工事幕がある
ドゥモオ正面
ガレリア・ヴィットリオ・
エマニエル2世のドゥモオ側入口
ガレリア:17時30分頃
中央にルィ・ヴィトン、オープン予定
ガレリアのドゥモオ側の
入口右のLa Garalleria は
日本語メニューあり
デパートの右側の細い道を入った所にある Di Gennaro は安くて美味しい日本語メニューあり Di Gennaro 内部
20時には満席になる
席料:1.6ユーロ
フエラーリの車、懐かしい
セナ選手の写真がいっぱい
Di Gennoaroのマルガリータ
ピッザはなんと4ユーロ((約540円)日本のLサイズほどの大きさ
お皿からはみ出ている。
スカンピ(高級手長海老)の
スパゲッティ。美味しい!
9.8ユーロ(約1300円)
シーフード・スパゲッティ
9.8ユーロ(約1300円)
これも美味しい!
ルッコラ・サラダ
4.10ユーロ(約550円)
本当にルッコラだけで笑える


2004年02月09日(月)晴れ、10℃
ヴェニス

今日は出発までフリータイム。手荷物を預けるお手伝いをして、解散。昨日も午後はフリーだったので、迷う人もいないだろう。私はグッケンハイム・コレクションへ出かけた。フランク・ロイド・ライト設計のあのカタツムリのようなニューヨークのグッケンハイム美術館は何度か見学に行っているが、好きなアーティストはあまりない。このベニスのコレクション見学はずっと躊躇していたが、時間もある、ホテルからも割りと近いので行って見ることにした。アカディミア橋を渡り、アカディミア美術館の左手へ進むとすぐだった。入場料:10ユーロ、オーディオガイドも有料である。建物の中は撮影禁止。お庭はOK。火:オフ、10時〜18時オープン。夏季の土曜日:22時まで。
作品は、私の好きなジャコメッティ、モジリアーニ、クレーの他に、モンドリアン、マグリット、ミロ、ピカソ、ダリ、ブラック、カンディンスキー、ボロックなどもあった。各部屋の窓の鉄格子がとても素敵で、ご紹介したかったが残念ながら、内部は撮影禁止。 ※下の2/08(日)のグッケンハイムの画像2点ももこの日の物。

アカディミア橋よりズームUP コレクション入口 81歳で亡くなったペギーの墓



2004年02月08日(日)、霧のち晴れ、8℃
ヴェニス

今日はカーニヴァル2日目。大運河沿いのホテルで50ユーロの朝食を食べ、早めの8時半に観光が始まった。ガイドさんが少ないので、午前中は2回転する。午後はフリーなので、後の方が良かったが朝1番に当たったようだ。マリオさんが上手な日本語で霧の中、サンマルコ広場からドカーレ宮殿内部を案内してくれた。そして、普通はサンマルコ寺院へ行くのだが、今日は日曜日。午前中はミサのため内部見学出来なかった。午後は14時〜16時オープン。そして、ヴェネチアングラス工房へ。お店で一旦解散して、11時半には大運河巡りのボートに乗るために、再集合していただいた。大運河はまだ霧だったので、リアルト橋などもかなり近くにならないと見えなかった。最後はホテルに付けてもらい、解散した。お昼は・・・ホテル周りはかなり高いので、カジュアルレストランのある場所をご案内。高い所はお魚のなど100gでいくらと書いてあるので、よくお会計の時に20000円くらいの請求を見てビックリする人もあるようで、気をつけたい。私は寒いのもあり、切り売りのピッザを買って帰ってお部屋で食べた。2.5ユーロ約350円。
15時はオプショナルのゴンドラの時間だった。15分前に下りて、ロビーで明日のご案内をして、乗り場へご案内。仮装していらした方もあり、拍手があがった。現地の人たちと同じように楽しめる人って素敵!私も目だけを隠すマスクを買ったので、付けて出かけた。視野が狭くて歩きにくいが、カーニヴァルに参加しているようでとても楽しい気分だった。
霧のサンマルコ寺院
AM10時半頃
霧に包まれた鐘楼と
サンマルコ寺院 AM10時半
15時半頃の
すっきり晴れたサンマルコ広場
広場のお土産屋さん
カーニバル用グッズが多い
きれいで思わず声を
かけて写真を撮る
大学生のペインター
アルバイトしている
顔半分で5ユーロ ペイントした可愛い兄弟が
ニッコリ微笑んでくれた
ゴンドラに仮装してご参加の
素敵なカップルに大拍手!
仮装市場を発見!
アカディミア橋の手前の広場
ペギー・グッケン・ハイム美術館
10ユーロ、10〜18時、火オフ
大運河の方から眺める
夏季土曜日22時まで



2004年02月07日(土)、小雨、霧、晴れ、霧、12℃
フィレンツェ〜ラヴェンナ〜ヴェニス

小雨に煙るフィレンツェから中田選手のいるボローニャを経由して、モザイクで有名なラヴェンナへ向った.。山越えの途中で霧が発生して、バスの前方は真っ白となった。それでもモディナ方面の分岐点辺りから霧も晴れて、ラヴェンナに到着すると真っ青な空が広がっていたのは嬉しい。ラヴェンナでは現地イタリア人ガイドさんが同行して、まずはサン・ヴィターレ教会と霊廟見学へ。
食事のメインはちょっとバルサミコを使った少し酸っぱいチキンだった。
食後バスに乗って、水鳥の浮かぶ湿地帯を抜けて走りながら、この「旅の空から」の更新作業をしていた。約30分後に電話が鳴った。何と、まだまだ後だろうと思っていたT/CのYHさんからだった「今、手を振ってすれ違ったのに、寝てたでしょう?」って。ガ〜ン(~_~;) 今朝のうちに今日はこのあたりですれ違うとわかっていたので、電話を入れていたYHさんだった。15時にラヴェンナ着予定を15時にヴェニスを出発と思い込んでいたので、注意していなかった。前回のスペインで知り合ったT/Cさんで、帰国が同日・同便だった。そしてたまたま次に同じイタリアへの仕事が逆コースだが入っていた。スケジュール確認すると今日は道路上ですれ違うことになっていた。
カーニヴァルの始まったヴェニスに着いた。ホテルまで水上タクシーに乗る。スーツケースも別の船で運ばれて行くが、すぐ横を並んで走ってくれていた。部屋割りをして、今日から明日の案内をして、部屋のへ行った。豪華な感じはないが、それでも普通のホテルとの違いが感じられ、思わず料金表(イタリアは必ず部屋のどこかに料金表がある)を見る。500ユーロ・・・68000円に目を丸くする。有名なホテルだが、そこまで高価だったとは。後で、夕食のレストランで見た朝食値段でもっと驚く。アメリカン・ブレックファーストが50ユーロ・・・6800円だ。ここはそんなことで驚くような人は泊まってはいけないのだろう。ミニバーのビールの小ビンが10ユーロで飲めなかった・・・と夕食の時に言われた方があり大笑いした。コーラもミネラル・ウォーターのハーフボトルもも8ユーロ・・・1000円以上する。ここは、あの5星ダニエリよりは高いのかもしれないと思った。夕食の前にご希望の方々とサンマルコ広場へ行った。3分ほどの位置なのに、仮装行列にあたり、それに付いて回る人もあって、大混乱していた。写真を撮りながら、広場へ行くと、大勢の人で埋まっていた。コンサートが開かれるようで、大きなステージが組まれていて、その前でたくさんの人々が待っているようだった。楽しくって、仮面を買いたくなった。フル仮面jは高いので、目だけを隠すマスクにしようと探した。15ユーロでも羽が付いた素敵な物があった。ホテルまでの間にもっと安いのがあるだとうと思っていたら、もうその先には無く、そのまま帰って来てしまって、今はとても後悔している。明日の朝の観光出発時に仮面をしてロビーへ行ったらうけただろうな〜・・・。夕食はチョイスメニュー。フィレンツェからご希望メニューをFAXでお願いしてあったのでスムーズだったが、それでも2時間半弱かかった。明日はたくさんの仮装した人を写真撮りたいと思う。楽しみ!
サン・ヴィターレ教会
548年完成
モザイクは旧約聖書の
内容が題材
床のモザイク 高い天井の部分の
モザイク
ガッラ・プラチディアの霊廟
5世紀半ばの完成
天井のモザイクは星を
イメージしている
正面のお墓の上のモザイク 窓にはアラバスタの石が
使われている
ポポロ広場 広場に建つ聖人 ダンテのお墓 街で会った犬
女性の日に贈るミモザの花 アップも可愛らしい ホテル・ディナーのデザート1 ホテル・ディナーのデザート2



2004年02月04日(水)、晴れ、15℃
ローマ

今回は12名様と一緒にイタリア周遊へやって来た。2名様はフリープランで市内観光や食事なしのコースの方。今回は都市間移動は乗り合い観光バスとなるので、一般の方も他のグループも乗り込んでくる。ミラノで8名様とお別れして、4名様とパリへ行く。
今日は10名様と大型バスで耳太郎オーディオ・ガイド)を持って、ローマ市内観光へ出た。今日のガイドさんはライセンスを持った大ベテランの日本人女性。取得に難しいライセンスを持っていない方なら、現地イタリア人ガイドさんが一緒に乗り込んで来ることになる。
まずはホテルから近いイタリアにありながら違う国バチカン市国のサンピエトロ寺院を見学に行った。駐車場は60分と言う制限時間があるので、移動して説明後、最終の集合場所を確認していただき、内部は自由見学となる。今日は水曜日で本来ならば、法皇様のミサの日。午前中は世界中からの信者さんがこの大きな広場に何万人もでいっぱいとなり、寺院内の見学は出来ない。しかし、冬場は寒いのもあり、別の大きな会場でのミサとなり、今日も入場が出来た。その後はコロッセオへ行き、見学と集合写真を御撮りして少しフリーとする。最後はトレヴィの泉に行き、コインを投げ、昼食となった。ホテルまで徒歩で帰り、解散。午後はご希望の方をスペイン広場までご案内。そして、私はトレヴィの泉の近くのネットプレイスへ行き、少し掲示板のレス入れをしてから、ホテルへ戻った。18時〜19時はロビー待機していると6名の方々がいらした。そのうちの4名様と、近くのレストラン「Grotta Azzura グロッタ・アズーラ」へご案内。ここは中田選手がローマ所属時代によく来ていた所。サインも飾ってある。日本語メニューも置いてあり、スパゲッティ1皿でも恥ずかしくないので、おすすめしている。ピッザもスパゲッティもとても美味しく、喜ばれた。T/Cとしては、ゆうべもホテル着後に6名様をすでにご案内したくらい近くでは気さくに入れて、日本語メニューもあり、問題ないところ。住所:Via Cicerone 62/A、TEL06−323−4586 12:00〜15:00、19:00〜23:30 休み:木曜日、中田選手のいたCicerone Hotelの前なので、このホテルを目指して来るといい。ただし、サービス料は15%!
夜、23時半に電話が鳴った。セーフッティ・ボックスから入れておいた現金の一部がなくなった。「旅の事件簿」へ
GUROTTA AZURA
半地下のためわかり
にくい入口のドア
トラットリアはレストランより
カジュアル
これも目印になる
中田選手のサイン
2000年2月
海老のグリル



2003年11月24日(月)、曇りのち晴れのち曇り、14℃
フィレンツェ〜シエナ(
世界遺産へ

今日は「朝、雨が降っていなかったらシエナへご案内します」と約束してあった。7時に起きて、窓の外、そしてTVで確認。ペルージャあたりは降るようだが、シエナはギリギリ雨は降らなさそう・・・。窓からドウモォの見える5階のレストランで皆さんに会ったので、「ご希望の方は行きますよ」とお話すると2組4名様が「行きたい・・・」と。8時45分にロビー集合して、SITAのバスターミナルへ。昨日午後にはバスターミナルの位置と時間、バス料金を調べておいた。朝は毎時10分に出て、1時間15分で到着する。帰りもほ昼間は現地を毎時10分出発。片道6.5ユーロで往復切符は無いがチケットは帰りの分も入れ2枚買える。9時10分発のバスに乗り、トスカーナの黄葉の終わった山、畑、キャンティ(最高級トスカーナワインDOCG)の故郷を走り抜けて行った。途中で、ちょっとした事件が・・・気になる方は「旅の事件簿」へ。
皆さん、広場に着いたら「わ〜」っと、嬉しい歓声が起こった。「世界一美しい広場」とも言われるカンポ広場。早速、撮影会。その後はドゥモォへ。そして、フリータイムとした。ライセンス持ったガイドさんがいないから、捕まるかもしれないので、要注意の街。日本人のグループも多いから、逆にポリスに告げ口されても困る。「今、マンジャの塔には登れないよ」とローマから移動した時のバス・ガイドさんに言われていたのだが、日本人のおばちゃまに「どこから登るのですか?」と聞かれて「登れないと聞いて来たのですが・・・そうですね〜、念のために聞いてみましょうか・・・」と言って、博物館の方へ聞きに行ったら「登れるよ。そこの左から」って指差すではない!こうなったら、フリータイム中の2組を探さないと・・・焦った。しかし、ラッキーなことにすぐ近くにいらしてて、声をかけて登ることが出来た・・・私以外(;一_一)。途中まで登って・・・狭い暗いで・・・怖くなって降りて来た。あ〜、もう最低!この広場の美しさは本当はこの塔に登らないとわからないのだ!今まで時間がないので、一度も登ったことがなかったので、チャンスだったのに!お昼はカンポ広場のマンジャと言うレストランでシエナ名物?!のおうどんのような太いパスタを食べた。美味しかった。5.5ユーロ。ドウモォの拡大画像
帰りは13時10分のバスでフィレンツェへ。1時間で到着。その後は出発まで一旦解散。おすすめのミケランジェロ広場へタクシーで行った方、ドゥモオへ登った方。
フィレンツェの空港利用は初めてだった。噂の通り、駅のようで小さい。国際線もある。免税の手続きも簡単、チェックイン、ゲートへ。と言っても国際線の2ゲートを含め6番までしかない。雨が降り出していた。そして、ゲートからバスで移動して、目の前の飛行機を見て、絶句!「これは、皆さん、成田で荷物出てこないかも・・・、スーツケース乗せるスペースがなさそうですよね〜」などと、言いながら10段ほどのタラップを登る。入っていきなり、病気が・・・。2、2の席で狭い。16列しかないから64人乗りだ。スチュワードさんに病気のことを言うとすぐに納得してくれた。しかし、満席で空席がないので、ドアの近くに坐れない。約1時間、どうにか考えないように出来るだろうと思い「じゃ〜、キャンディある?」「僕のガムをあげるよ」って、2個。「グラッツェ!」 席のお隣が新婚さんだったので、お話をさせてもらって、落ち着いた。そして、飛んでいる間、何も考えずに目を閉じていた。短い間でもクッキーなどのサービスもあり、気が紛れた。到着と同時にドアへ稲妻のように?!サッと出て行ったのを見ていた新婚さんたち。「すっごい早かったですね〜」 ミラノ・マルペンサ空港で、出国手続きして、少しフリータイムを取ってから、J○L機内へ。カウンターでは「満席です」と言っていたのに、入ると空席が目だっていたので、すぐに空席へ動いていただいた。私はそれから食事を挟み、4時間くらいレポートや精算書作成し、少し横になった。映画も2本見た。
成田空港で入国し、BGGエリアへ行くと、呼び出しが・・・「あ〜、荷物がやはり着いてないでしょ?」「はい、そうなんですよ」って係員さんが申し訳なさそうに・・・。3組の新婚さんには覚悟はしていただいていたが、まさか・・・と思っていらしたことでしょう。
この荷物は昨日アリタリア航空で午前中に成田空港に到着したのを電話で確認してお客様にはお電話した。シエナへ行った若い新婚さんの方が昨日はお誕生日だったので、お祝いの言葉も入れて留守電にメッセージを残した。彼は裸のダヴィデ像のエプロンを買った。私が「フィレンツェには裸のダヴィデ像のエプロンがあるのよ」って、言っていたので、「今度帰ったら鍋パーティがあるので、それを着て迎えます」って。この新婚さんの彼の方はいつもかなりユニーク。必ず奥様が写真撮っていると、横から飛んで入って来る。ほとんどの写真に必ず彼がジャンプしているって・・・楽しい!
シエナのカンポ広場
丸い広場で、中央に泉がある。
周りはカフェやお土産屋が並ぶ
ガイアの泉
1409年〜1419年に造られた
ブブリコ宮殿内で湧いていた
泉をこちらへ移したもの。
ブブリコ宮殿
マンジャノ塔88m
上からの眺めは最高!
すべて階段。5.5ユーロ
宮殿の中庭
市立博物館がある
マンジャの塔にもこちらの入口
のすぐ左の狭い入口から
階段を登るとチケット売り場
ドゥモオ(拡大画像 入口のステンドグラス 内部 床のモザイクも見事



2003年11月23日(日)、曇りのち晴れ、14℃
フィレンツェ


ホテルの屋上からの素晴らしい眺め

ホテルのレストランからの
風景:AM8時
ホテルのレストランを
屋上から
ドゥモゥとジョットの鐘楼
ホテルの屋上より:15時
ドゥモの前には市民マラソンの
応援者がたくさん!
ウフィッツィ美術館より
今日のベッキオ橋
映画で有名になった?!
ドウモゥのクーポラ
ドゥモゥ前の洗礼堂
一度バッグを切られた経験が
ジョットの鐘楼
レストラン:YELLOW
リゾット7.50ユーロ
約1000円
ムール貝のスパゲティ
8.9ユーロ約1200円
これは二人分の量
フルーツサラダ:6.5ユーロ
約800円・・・不評!
ホテル屋上からの
午後15時の眺め



2003年11月22日(土)、晴れ、14℃
ローマ〜アッシジ〜フィレンツェ


アッシジは晴天:サン・フランチェスコ教会

サン・フランチェスコ教会 正面ドアの上の彫刻 A駐車場から上がって
来て最初に見える部分
下界は霧。
遠くには大聖堂が・・・
コムーネ広場 ユネスコ世界遺産のプレート ポポロの塔 A駐車場の前の門
柿の木が多いイタリア 2100年前のミネルヴァ神殿 内部の祭壇 内部のパイプオルガン


2003年10月21日(金)、曇り、19℃
ローマ
(画像のみUP)

スペイン広場のカフェより
スペイン階段が見える
カフェ内部:カプチーノ4.6ユーロ
(約600円)
T/Cさっちゃん



2003年10月11日(土)、晴れ、23℃
ローマ〜ポンペイ・ナポリ

成田空港出発時から風邪を引いていたようで、ずっと調子が悪い。昨日は最悪で、咳は出るし、喉は渇く。咳って、体力も消耗するようで、かなり疲れてしまった。夕べはカンツォーネで盛り上がり、ホテルへ戻ったのが、22時半。皆さんもぐったり。今朝の食事には睡眠不足の顔でいらしたが、気持ちはお元気そう。いつもならオプショナル・ツアーの部分もすべて組み込まれているので、かなりハード・スケジュールとなっている。毎回食事中に、お漬物、味噌汁、ラッキョウ、ニンニク付け、梅干、キューリの浅漬けがまだまだ出て来る。いったいどれだけのものを皆さん持っていらしたのか・・・。
今朝は6時に起き、7時半にはホテルを出発した。ローマから「太陽の道路」を走ってナポリ・ポンペイ方向を目指す。朝からガイドさん付きなので、マイクを持つことが少ない。しかし、ガイドさんがイタリアの楽しい話、歴史など話して下さっているが、バスに揺られて皆さんはぐっすり夢心地。道はスムーズに流れたので、ポンペイの遺跡の見学がゆっくり出来た。それでも日本人グループや客船のグループが入っていて遺跡は人だらけ。いつも付いて来ていた犬が今日は1匹だけ・・・夏の猛暑にやられたのかもしれない。食後はいつものようにカメオ屋さんへ立ち寄ってナポリ湾を見て、ローマへと帰って来た。これから「最後の晩餐」ちょっといいレストランなので、、持ち込みはご遠慮下さいとお話をしたので、大丈夫と思うが・・・。
★下の画像はすべてヴェニス
ヴェニス ヴェニスの月 ヴェニスの月と大型客船 ヴェニスの夕陽



2003年10月07日(火)、晴れ、20℃
ミラノ〜フォックスタウン
(スイス)〜ミラノ

今回のお客様は茨城からいらした25名様。小、中学校の同級生とか。幹事さんは局長で、積み立てで旅行をしていると伺った。それにT/Cが2名(一人はこの旅行の担当営業マンでヴィデオ担当)も付いて行くと言う豪華?!ツアー。しかし、彼は結構ドジな人だった。成田空港では私がチェックインをしている間に、彼がスーツケースに付ける航空会社のタッグを間違ってつけ、全部発券しなおし。再度つける羽目になったが、時間もなく、諦めた航空会社の方が全部付けて下さった。本来はそれも航空会社の仕事とは思うが・・・。ミラノでは、すでに成田空港で撮ったテープが伸びちゃった・・・と。今日はバッテリーが観光地の2ヶ所目で終了。ゆうべちゃんとチャージしたらしいが・・・。この方はヴィデオ撮影で来たのに、まったく仕事になっていないのが、おかしい。これからも何かありそうで目が離せない。
今日は朝食からご自慢のお漬物やら、インスタントの味噌汁が出て来た。これは毎朝あるのだろうか。ホテルによっては嫌がられるが、私個人としてはかなり嬉しい。9時半に出て、スイスのファオックスタウンへお買い物に行った。「最後の晩餐」見学が14時15分と言う中途半端な時間にしか予約が取れていない。昼食も取らなくてはいけない。結局、ファオックスタウンはたったの40分のフリータイムで終わった。11時オープンなので、どうしようもない。アメリカのショッピング・モールくらいあると思っていたが、意外と小さかった。逆にこのくらいだったから、どうでもいいや〜と思われて良かったのかもしれない。やはりブランドも知らない方が片道1〜1.5時間取っていく必要はないと思った。オプショナルで行きたい人だけが行くといい。彼が作ったこのコースだが、こんなことになろうとは思わなかったようで、成田空港では「フォックスタウンへ行くのはやめるように説得をしよう」と言う話になっていた。しかし、「お買い物はしなくてもいいから、スイスなら行ってみたい」との声が多くなって、行くことになった。私としては初めて行ったので、様子がわかって良かった。結局、お買い物をした人もいないので、スイスの免税の手続きもなくホッとしながら、大急ぎでミラノのレストランに飛び込む。1皿目のリゾットとメインのポーク・カツレツを同じお皿で持って来てもらった。何とか間に合った「最後の晩餐」に皆さんは感激。修復工事終了後から今は15分毎にしか入場できない。それも1回25名様まで。その後は時間を気にすることもなく、市内観光が出j来た。街中は半そでTシャツの人,革のコートの人・・・それぞれだったが、朝晩は冷えるので、薄手のコートなどが必要。夕食でも、キューリの朝付け、自家製梅干、みそ、などいろいろと出て来て、わかったのが、重いものは早く出しちゃえってこと。我々の所は仕切りがあったので、良かったがこれは完全に持ち込み行為。ミルクと言いながら、ストローで吸っているのは片手大のパックのお酒だった。う〜ん、ここまでしちゃう・・・。左上フォックスタウン(アウトレット)、右は「最後の晩餐」のある修道院の前で予約の時間まで待つ人々。



2003年06月05日(木)、晴れ、29℃
オルヴィエート

7時には他社のツアーでナポリ・ポンペイ4名様、カプリ島4名様と全員の方がお出かけになった。ゆっくり朝食を取りながら、昨日から考えていた郊外への小旅行を実行に移すことを決意。いつもフィレンツェ〜ローマ間の高速道路からすぐそこに見える小高い丘の上にある城郭の街で、一度はどんな街なのか訪れたいと思っていたオルヴィエート。お昼を食べたら戻って来ようと早めに出た。テルミニ駅で切符を買うのはたぶんイタリアの個人旅行した15年前以来。駅はあれからずいぶん近代的な造りとなっていた。治安は最悪なので出来るだけ近寄りたくない場所。長い行列に並び、自分の番になって、「そのチケットはこのラインじゃないよ」と係員さんに言われてガックリしたことなど思い出す。今日は切符はすぐに購入できた。時間とホームの確認をしてLiptonのIceTeaのレモン味を買い、列車に乗り込む。4席向かい合わせの席を一人で確保・・・と言ってもかなり空席があった。足を前の席に投げ出し、ガイドブックを読んでいるといつものように合図もなくす〜と動き出した。街を抜ける前にもう1ヶ所ストップし、郊外へとスピードを上て走り出した。畑はまだ花をつけていないひまわりが50cmほど伸びている。これは7月には満開となり丘陵地帯は真黄色と変る。土手にはレンギョウにも似たエニシダが咲き乱れていた。各亭で1時間20分後、5つ目の「ORVIETO」で下車。駅構内を抜けるとロータリーには涼しげな噴水があり、丘の上にはバスでいつも見ている街があった。左上の写真は6月4日に移動中に時速100kmのバスの中から撮影で看板が入ってしまった。駅の目の前が登山電車の駅で、上のカーヘン広場まで片道0.8ユーロのチケットを2枚買う。急勾配の中を登って行く電車にはイギリス人がいっぱいだった。登り切るとそこには公園がある。その中に16世紀のサン・パトリッツィオ井戸があり、中に降りて見学が出来るらしい。公園からの眺めて高速道路の位置も確認。なるほどいつもあの辺から見上げながら説明をしているのだわ・・・と。今回のこのチャンスを生かして、次回からはもっと詳しい説明が出来るだろう。駅の正面のカブール通りをぶらぶら歩いて15分くらいで中心の時計塔までたどり着ける。時計塔を見上げながら左へ入ると、街のシンボルの巨大なドゥモォが目の前に現れる。13世紀のロマネスクからゴシックへの移行期に建築が始まり、16世紀に完成した。残念なことに正面が修復中だった。モザイクの色も鮮やかに最高位部分だけは修復も終わっていたので、カバーがなく写真も撮ることが出来た。教会の中は祈り用の椅子のないガラ〜ンとした、フィレンツェのドォモォのようだった。13〜16世紀に造られた教会でロマネスクの柱、ゴシックのステンドグラスも混在していた。右奥のサン・ブィツィオ礼拝堂が有料で公開されていて、「Ticket for the chapel」と看板があったので、並んでいると自分の番で「チケットはインフォメーション・センターで買って来なさい」と言われた。「またか・・・」個人旅行ではこういうことは付き物。ツアーだとこんなことはまずないし、時間のロスもない、地図を広げることもない。インフォメーション・センターはドォモォの正面の建物にあった。6ユーロのチケットを買い、また礼拝堂へのラインに並ぶ。1度に25人の入場制限がある。入ると力強い色でたくさんの人物の壁画があった。これらルカ・シニョレッリが描いた壁画はミケランジェロの「最後の審判」のあの肉体表現への影響を及ぼしたと言われる。よく観察すると、まったくミケランジェロはこれを摸倣したのではないかと思われる点がわかって来た。まずは言われているその筋肉隆々の男性達が同じような描き方。バチカン博物館内システィーナ礼拝堂の「最後の審判」が完成した時に、全裸だった男性はすべてその後教会の命で布を纏うことになる。ここの壁画もまったく同じだった。その布を纏わせた絵もあれば、手をつけて途中で終わったのか、それとも付けた物を再度修復時に外してしまったのか・・・少し肉眼でもわかるほどの衣の後が残っている。とても興味深い。影響を受けた人のことは知らないので、もう一度ミケランジェロに関してお勉強をしてみたくなった。ここの部分だけは撮影禁止。他にも見るべき物はきっとあったに違いない。ガイドさんもいないし、ガイドブックも日本人があまり行かないのでそう詳しくは書いてない。急に思い立って来るのはもったいない結果になったのかもしれないが、チャンスがあればもう一度来てみたいと思った。それからインフォメーションで無料(最近はどこも有料が普通)でもらった地図を見ながら、街の散策をした。時の流れがストップしたかのような街並みは下手なスケッチをしたくなる。ひとり路地を歩くと、窓からおばちゃんが声をかけてくれ、猫が寄って来る。時代をさかのぼるとエトルリア時代からとなるこの辺りの街。ここも同じでエトルリア時代の博物館もあった。1ユーロがローマで150〜160円で両替されている今は節約と思い、入らなかった。絵葉書を買った陶器屋さんのきれいな女の子に「どこか安くて美味しいとラットリア(レストランより格が下)はない?}」と聞き、行ってみたが聞いた相手が若過ぎたようだ。彼女たちはきっと安くて量が多いのが「いいトラットリア」なのかもしれない。いいお勉強になった。確かに安かった。飽きもせずに安かったのでオーダーした生ハムとメロンは最悪だった・・・4.5ユーロでは仕方ないも知れない。生ハムが乾いたように硬かった。スパゲティはペペロンチーノにしたが、ないと言われ、あるものをオーダーしたら、ミートソースが出て来た。やはりお世辞にも美味しいとは言えなかった。街にはきれいなレストラン、トラットリア、ピッゼリアはたくさんあった。1ヶ所だけやけに込んでいるレストランがあり、とても気になる。メインストリートの「CUCINA」 次回はここにしてみようと硬く心に決めた。駅へ戻ると列車が1時間は遅れ気味と言われた。黙って時間だけ確認したらこんな生情報は入って来ない。個人旅行の基本かもしれない。必ず確認をする・・・そうすると意外な情報が得られることもある。帰りは遅れてやって来たIC「国際列車」に乗って帰って来た。各亭ではないので、1時間で到着。余裕を持って動くこともわかってはいたが、今日の列車のことでも再認識させられた。
★オルヴィエートのインフォメーション:ドウモォ広場:昼休みあるが基本的には無休 0763−34−1772
3000年前の井戸見学ツアー:11時、
12時15分(英語)、16時、17時15分(英語)  予約:0763−34−4891
公式サイト: http://www.comune.orvieto.tr.it/
他のサイトで帰国後にチェックのレストラン「il Posso della Cava 」 住所:Cave 28、月曜日お休み 
トラットリア「La Palomba」水曜日お休み
テルミニ駅で携帯電話のチャージをしたかったので、リチャージのカードを買いに地下へ降りたが、クレジット・カードが使えずに断念。携帯電話はチャージしたのが終わっても受信は可能だから問題はない。次回ユーロが少し下がった時に購入したい。そして、そこにあるスーパーマーケットでミルクを買いに入ったが、赤いオレンジジュースがあったので、そちらを買った。掲示板で「ブラッド・オレンジ」として盛り上がっていたので、是非まだご存知でない方へも画像でご紹介したかった。季節的にはもう生ジュースは終わっていたので、レストランでは出て来ない。紙パックの物を買った。トマト・ジュースのような色をしている。知らないと間違って出て来たと勘違いされる方も多い。
ホテルへ帰り、会社で最近PC入力へと変ったツアー・レポートなどを打ち込む。まだ明るい20時半に近くのホテルへ宿泊しているT/C仲間がやって来た。一緒にホテル近くのレストランへ食事へ出かける。皆さんにもお薦めしていたが、すでに1組のポンペイへ行かれた新婚さんがいらしていた。ニコニコ顔でポンペイのオプショナルが楽しかったようだ。そのうち、カプリ島へ行った方々もそれぞれ時差があったがいらして、食事されていた。気になっていたので、「カプリ島は入れましたか?」と伺うと「はい、写真を見て下さい」とデジカメの写真を見せていただいた。船に乗って洞窟入口で順番待ちをしてから、小船で入って行くが、待ち時間もなく、すんなり入れたようだ。かなり焼けて真っ黒に変身していらした。皆さんそれぞれ満喫されたイタリア旅行だったようで、私も本当に嬉しい。後は明日の飛行機がちゃんと飛ぶことを祈っている。アリタリア航空のストライキがこの旅行中に数日間あったが、もう収まってはいる。アリタリアとの共同運行便なので、少々不安は残る。皆さんにはストライキのことはお話済みで心の準備はしていただいているが、どうなるか。
★結局、何事もなく、アリタリアのB767は海を左手に眺めながら、ローマのレオナルド・ダ・ヴィンチ空港を12時半、日本に向け飛び出した。
オルヴィエート駅 駅前の登山電車の駅 上の街を繋ぐ
登山電車の線路
高い崖の様子がよくわかる
ドォモォの正面 ロマネスク部分の柱 入口の右角の彫刻が
素晴らしい
門の柱はねじり造りで
それぞれ
モザイクがはめ込まれている
正面を右後ろから撮影 13世紀の壁画のある部分 内部のステンドグラス エトルリア時代の
物を展示する博物館
市庁舎 その左横には
聖アンドレア教会がある
ドォモォ前のインフメーションセンター
ドォモォ内部のチャペルへの
入場券はここで買う。6ユーロ。
時計塔 ロマネスク様式の
聖アンドレア教会と時計塔
かわいいロマネスクの
キリスト、マリア様、ヨゼフ?
街の南の古い家並み アンティーク・ショップ
も多い
13世紀のヴェッキオ宮殿
今は集会場
陶器でも有名
バケツが陶器!
きれいな陶器屋さん
絵柄は古典から近代まで
この一角がとても
気に入った
公園の大きな松ぼっくり
もっともっと大きいのもある
白ワインも有名 街にはワイン専門店も多い
日本にも輸入されているらしい
3000年前の地下洞窟
のツアー入口
インフォメーションで
予約し、集合もする
真白のネコがまだつぼみ
のアジサイの香りを
嗅いでいた



2003年06月03日(火)、曇りのち晴れ、29℃
フィレンツェ

今朝は5時に目が覚めた。そしてお隣の部屋の方の大きないびきでもう眠れない。曇り空の中8時15分にホテルを出発し、1km以上先のウフィッツィ美術館へアルノ川沿いに歩いた。昨日は夕方一人でホテルまで歩いて15分だったが、今日は9人でゆっくり歩いたため、22分かかった。8時45分の予約だったので、イタリア人のローカルガイドさんと日本語通訳さんが心配してお待ちだった。また今日もウフィッツィ美術館最上階から、ヴェッキオ橋を撮影。きれいでどうしてもカメラを向けてしまう。昨日、橋から撮影したアーチからこの美術館の最上階のガラスの窓がわかるだろうか・・・あそこから毎回飽きもせず撮影している。観光が終わったのが、11時。それからいつものSHOPへ立ち寄り解散。明朝の出発までフリータイムとなる。ご希望の方は11時45分集合でランチとサンマルコ美術館へご案内と提案。今日は昨日列車でピサへ行かれたカップルさんだけが同行された。他の方は昨日も歩き回り市内の様子もわかっていたので、皆さんお買い物へ行かれた。同行の方々はまだYELLOW体験をされていないので、火曜日はお休みだったと思いつつ、美術館も同じ方向なので歩く。残念ながらやはり今日はシャッターが閉まっていた。そこでその先のバス停前のレストランへ入ってみることに。いつもここを必ず歩いて通過するので、気になっていたレストラン。入ると「コンニチハ」と笑顔で迎えてくれたご主人。日本人大好きとのこと。夜のディナーへもよく日本人が入ると聞いた。日本語メニューも今までに見たことがないくらい丁寧な作りで、お薦めもしっかり印が付けられていて、選びやすくなっている。ただし、サービス料は15%と少々高め。値段も「YELLOW」より高め。でもお味は良かった、ここの値段が普通かもしれない。同じ通りでVia Del Proconsolo。ドゥモォの裏の大きな道を右に入ってすぐのバス亭前。食後はご希望がアカデミア美術館だったので、そちらへ。その後、私はその先の前回は入れなかった「サン・マルコ美術館」へ行ってみた。13時30分で入場終了で13時50分完全クローズ。今回は30分前に入館出来た。内部は修道院だったので、散歩しながらでも瞑想したりする中庭もある。そこの壁画もきれいに残っていた。お目当ての2階のフラ・アンジェリコの最高傑作「受胎告知」をじっくり見る。他に2階部分には、修道僧たちの祈りの場だったのだろうと想像させられる、たくさんの小部屋があり、それぞれ壁画がある。。ドメニコ派の修道僧だったアンジェリコの作品もここにたくさんあるので、彼の作品を見るにはここが一番かもしれないと思う。しかし、十字架に貼り付けられた痛ましいキリストのたくさんの絵は、流血が酷く目を覆いたくなった。マリア様の気持ちを考えると辛過ぎる。(私は英語の勉強がしたくて、6年間外国人のシスターのいるミッションスクールだったので、どうしても「マリア」などと呼び捨てには出来なくなっている。校長も「校長様」だった) その後はベッキオ橋を抜けて、ピッティ宮殿へ行き、以前から見たかった「パラティーナ美術館」へ行く予定だったが、疲れてバスに乗りホテルへ帰って来た。ヴェニスもすべて徒歩、ここも昨日から腰が痛くなるくらい歩いている。昨日歩き回った新婚さんたちも最後はぐったりだったと話していた。イタリアはどこも徒歩観光なので、体力が充分なうちに早く訪れる方がいいと思う。
昨日の夕方は思うように回線が繋がらずに、困った。電話で問い合わせても「皆にPCアクセスが出来ないと言われる」とフロントの方の答え。このような状況の中で国際ホテルが回線も「トーン(プッシュホン)」式でなく「パルス(ダイヤル式)」と言うのも珍しい。しかし、今朝5時に目が覚めたその瞬間に、最後の手段を思い出した。2口のモジュラーの器具を差し込み、電話線とPCへの線を一緒に繋いでから、受話器を取り外線「0」を押し、PCの方のモデムの「接続」をクリック・・・タイミングが難しいが何度かTRYしてみたら、繋がった。その後はそのタイミングを覚えているからもう大丈夫。左のようなふるい電話で繋いでいる。何故か先ほど確認したら、電話料金は「0」と言っていた。信じていいのか、どこかのように明日のチェックアウト時に「はい、○○ユーロ」と言われたらショックが大きいので、最低限のことはまとめてからUPしたい。
ツナのカルパッチョは珍しい
ノン・フラッシュ撮影
サーロイン・ステーキ
12ユーロ約1750円
お醤油もあるので、少しかけて食べると和風味に。
フラッシュをたいてみた
ランチにドォモォからYELLOWより手前にあるバス亭前のレストラン。
日本語メニューがある。
中央はオーナー。左はバスを待つ人。
シーフード・リゾット
10ユーロ(約1465円)
ノン・フラッシュ撮影


2003年06月02日(月)、晴れのち曇り、28℃
フィレンツェ

今朝8時15分にホテル前からボートでローマ広場まで行き、8時45分にバスで出発した。ふと「サッカーの中田選手は今どこの所属か知っていますか?」と何気に後ろの新婚さんに聞いたら、「パルマ」と。そこで言わなきゃパニックにならなかったいいのに「あら、LIDO島の私達のホテルが、ヴェニスで試合の時は常宿だったみたいですよ」「え〜、早く教えて下さいよ〜」と泣きが入った。「ごめんなさ〜い」と、勉強不足を深く反省。フィレンツェまで高速も順調に流れ、12時前にホテルへ到着。ヴェニスからFAXも流し、電話でもすぐにチェックインが出来るようにお願いしていた。しかし、「早過ぎてダメ」との回答で諦め、そうお客様にもお話してバスを降りた。しかし、嬉しいことにフロントの人はニッコリ笑って「待ってたよ」と5部屋分の鍵を渡してくれた。部屋へ入り20分後、ロビーにご集合の2組の新婚さんを市内へご案内。ご年配の方はきっとシエナへ行かれたのだろう。1組のカップルさんは電車でピサへ行くとおっしゃっていらしたので、すぐにタクシーで駅まで行かれたに違いない。2組の方々とベッキオ橋を眺め、月曜日でクローズしているウフィッツィ美術館を抜け、ランチに「YELLOW」へ入ってみた。日本映画の竹内豊主演でフィレンツェが舞台の「情熱と冷静のあいだに」?!の撮影時によく彼らが通ったと有名になったカジュアル・レストラン。どれも美味しかったので画像と値段をUP。ヴェニスと違って良心的なお値段でホッとする。「YUTAKAはどこに座っていた?」「ここだよ」「え〜、ここのどこ〜?」とミーハーな我々は大騒。入ってすぐ左の大き目のテーブルがそうだと言っていたがきっと、どの日本人にも座った席を指し「ここ」と同じことを言っているに違いない。日本語メニューもある。いつもいっぱいで少し時間はかかるがお薦めのレストランの一つ。サラダなどは量が多いので、二人で一つで充分。ビールはカールス・バーグが出来ていた。12%サービス料。他のこの辺りのレストランと比較してもお安めで美味しいので、毎日通うのもわかるような気がする。
★YELLOW:Via Del Proconsolo、37(Grand Hotel Cavour右横) TEL:055−211−766 火曜日お休み
その後、ドゥモォへ行くと1組は上へ登ると言われ行列に加わり、もう1組はアウトレットへ行かれるので、タクシーにお乗りになるまでご一緒した。しかし、料金を聞くと往復で15000円くらいする。結局、諦めショッピングへお出かけになった。私はお茶をするためにある素敵な眺めのカフェへ入った。そこからすぐ横にドゥモォとジョットの鐘楼(左の画像)が見える。下の喧しさから少し離れてゆっくり出来るお気に入りの場所。ここは狭いしいつも込んでいるので、行ってもテーブルが空いていないことが多い。それが理由かはわからないがガイドさんたちも皆さんへは言わない。フィレンツェにお出かけの方だけにメールでお問い合わせがあればこっそりお教えします。
右上の画像はヴェッキオ橋のいつもの画像の逆からの物。一度通り過ぎてから振り向いて撮影した。それから橋の中央まで行き、ウフィッツ美術館方面を撮ってみる。橋の上は貴金属屋さんがほとんど。ウフィッツに近い方の上はメディチ家のウフィッツ(事務所)までの渡り廊下となっている。左の画像は金細工屋さんのお店の窓から撮影したアルノ川と川向こうの家並み。

ホテルから約30分いろいろと試したが、まったく回線に繋がらずに、フィレンツェでのUPは諦めることにした。
いつもの方向から撮影
メディチ家の廊下がある
橋を通り過ぎた逆の方から撮影。
廊下はない。
橋の上の中央から
シニョーリア広場方向を撮影
廊下が左上に見える
金細工のお店の窓より ウフィッツィ博物館が見える
出っ張りの最上階の窓からいつもこちらを撮影している
ヴェッキオ橋の入口の角の
おしゃれなシャツ屋さん
お気に入りのカフェから
共和国広場を見下ろす
「イエロー」はランプが
黄色でわかりやすい
YELLOW内部の様子 YELLOWサラダ
8.26ユーロ(約1200円)
ミックスサラダ
4.40ユーロ(約650円)
カルツオーネ
7,23ユーロ(約1000円)
スパゲッティ・アラビアータ
7.23ユーロ(約1000円)
小海老のリゾット
6.20ユーロ(約900円)
街にはたくさんの
ジェラート屋さんがある。


2003年06月01日(日)、晴れ、27℃
ヴェニス

真夜中から朝方まで、雷の音で何度も目が覚めた。暗闇を昼間のように明るくする稲妻が走っていた。しかし、朝出発の時間にはそんなことが嘘のように晴れて皆さん笑顔に。9時半にお迎えのボートが来た。皆さんそれぞれ散歩をしてからの集合だったようで、水上バスの駅はすでにチェック済みという。今回の4組さんはお勉強もしっかりしていらしてて、積極的で頼もしい限り。こんな方々なので、案の定、お昼は淋しく一人で食べることになるのだが・・・。ボートでヴェニスまで10分くらいで到着。日本語の出来ない免許を持ったローカルガイドさんと、日本語通訳さんといつものあのポールの中間でミート。それから観光が始まった。ドカーレ宮殿は今日から内部の写真撮影がフラッシュ無しならOKとなった。さっそくヴェニスの3大画家たちの作品を収めたが、ベロネーゼ、ティントレットは良かったが、ティッツアーノはブレが酷くて失敗。私は宮殿内の牢獄やため息の橋の部分は狭く暗いので、いつものように私だけパスして、先で待つ。サンマルコ寺院は日曜日のため、内部見学は14時より。上部の見学はオープンしている。広場は今日も大勢の観光客で溢れていた。ムラーノ島のヴェネチアン・グラス工場の出店でお買い物時間を作り、午後からのこと明日のことをすべてご案内。「一緒に帰る方は、19時にあの柱の下でお会いしましょう」とお話したら、皆さん好きな時間にそれぞれで帰るとのこと。そのために情報はしっかり流してはあるが、まさか全員の方が「大丈夫です」って、おっしゃるとは珍しい。新婚さんは二人きりになりたいに決まっている。しかし、あのご年配のご夫婦もどちらも英語がお出来になり、「フィレンツェからも電車かバスでシエナへ適当に行って来ます。ナポリポンペイは英語のバスでも大丈夫です」とおっしゃっている。それでも最初の昼食は不安でどなたか「一緒に・・・」とお声をかけて下さるかと思っていたが、質問だけはしっかりして、キチッとメモも取り、私がローマへオプショナルの申し込みの電話をしているうちに全員がお出かけだった。「Long long time ago」とお店の人にからかわれて、一人トボトボと出て行った。それでも最初の食事だしと、心配で、フリータイムの前に地図をお渡しして、「この通りにはカジュアルレストランが並んでいます・・・」と説明した所へ様子を見に行った。皆さんそれぞれのレストランでお薦めの「イカ墨スパゲッティー」ですでにお歯黒状態となっていた。美味しいと喜んでいただけてとても嬉しかった。最初の食事から各自で行かれるのは初めて。今回はT/Cは不要だったのかもしれない。私は適当にリアルト橋の近くのレストランでランチ。大好きな生ハムとメロン、そしてスパゲッティー・ボンゴレ、コーラ・・・このパターンはメインがピッザになったり、どこでも同じ。ボンゴレは外れがないからいい。これで35ユーロ(5000円強)で、支払い時に大ショックを受ける。会社の支給は昼は2000円。大赤字。ヴェニスは本当にどこも高い!探せばこの3分の2でもあると思う。食事中に2組の新婚さんに覗かれた。皆さんお疲れのはずなのに、ニコニコ顔で私も元気になる。14時前にサンマルコ寺院をチェックに行ったが、列は100m先まで繋がっていた。皆さん、どうされるだろうか・・・。是非、内部見学はしていただきたい。日曜日でも半分くらいのSHOPはオープンしている。ヨーロッパのルイ・ヴィトンで日曜日にオープンしているのはたぶんここだけかもしれない。
私は午後、LIDO島の探検に出かけた。ドカーレ宮殿から橋を渡り、最初の船着場からLIDO行きの大型の船が30分おきに出ている。切符3.5ユーロを買っているうちに出てしまった。そのチケットは他でも使えるので、その横の船着場(ダニエリ・ホテルの前)へ行くとちょうど船が来ていたので乗船する。そこから1ヶ所だけ止まり、2ヶ所目がLIDO。LIDO島にはここしか止まらないのでわかりやすい。下船後は、ホテル方向ではなくビーチを目指した。ベニスからビーチ・マットを持って来た人達の後を付いて行くと、ブラブラ15分くらいで着いた。ビーチは何千人もの人が寝そべって甲羅干しをしていた。早く黒く焼きたいのがこちらの方々。日本人は今は美白ブームで白くするのに必死なのに。こちらでは色が白いと、どこへも出かけられない貧乏な人となる。日曜日で地元の人も観光客も混じっているだろう。カジノのマルコーニ海岸通りに高級ホテルが並ぶ。10年くらい前に5星のホテルへ宿泊したが、船で降りた所がホテルで、ロビーから中庭へ抜けて進むともうそこはアドリア海だったのを覚えている。ヴェネチア映画祭の開催地で、映画「ベニスに死す」の舞台となったところ。ヨーロッパでも有数リゾート地LIDO島。高級住宅地や別荘も多く、並木道には高級車も並んでいた。レストラン・バールなども含め、ここまで来ると何でもある。日曜日なのに、こちらでも少しSHOPがオープンしていた。スーパーマーケット(Via Corfu)も開いていたので、ミルクと水を買う。地図を書き、コメントを入れながら、暑い中を歩き回り、結構疲れた。我々のホテルは船着場から左へ海岸を真っ直ぐ徒歩10分ほどのところにあり、サッカーチームの「パルマ」の常宿のようで、ベネチアで試合の時はここに泊まると聞いた。フロントの方々もみんなフレンドリーで親切、このように気持ちのいいホテルは珍しい。日が沈むのは20時半頃なので、21時までは明るく、21時半で夜景がきれいになる時間。それをお話したので、きっと皆さんお帰りは遅くなるかもしれない。暗くなったので時計を見ると21時半・・・お腹が空かないので、今夜は何も食べずに過ごすことにした。
サンマルコ寺院と
ドカーレ宮殿
宮殿内のドアの
上の彫刻この部屋には
テッツィアーノの絵がある
宮殿内は床が揺れるほど
観光客ででいっぱい

ティントレットの
世界一大きな壁画
1720年創業の
カフェ・フローリアン
エスプレッソ:5.5ユーロ、
カプチーノ7ユーロ(1000円!)
カフェ内部は落ち着いた
雰囲気で静か
カフェのサンマルコ広場のテラス部分は生演奏があり、耳を傾けながら、カフェ・タイムのひと時を過ごす観光客が多い。 リヤルト橋
13世紀に最初に架かった橋で、16世紀に今の形となった。橋の中央の通路には金細工などのSHOPが並ぶ
前菜の生ハムとメロン
12.50ユーロ約1800円
+コーラ4ユーロ約550円
セコンド:
スパゲティー・ボンゴレ、13ユーロ約1900円その後のメインはなし・・・夜なら恥ずかしいチョイスで終わる
サンマルコ広場で鳩に
餌を上げる姉妹
ホテルの中庭の
ゼラニューム
イタリアの国花:夾竹桃 いろんな種類がある 色もたくさんある 花びらがシングル
八重の花びら 薄いピンク 満開の白いバラの花 これもバラの花


2003年05月31日(土)、曇り,のち雨、24℃
ヴェニス

成田空港は台風の影響で風雨の中を飛行機がジッと耐えているように見える。びしょ濡れで、作業している方々も見えている。今日の成田からのお客様はお二人だけで、集合時間より25分早めにいらして下さり、10分少々でチェックインなど終了。その後はいつもの「Yahoo Cafe」で無料ネットを楽しんだ。我々を乗せた飛行機は13時30分に出発。まずは機内ミートの6名様にご挨拶に行く。若いカップルさん達で、地方発のために見るからにお疲れのご様子。名古屋からの2組さんは7時集合だった。大阪の伊丹空港からの1カップルも同じくらい早かったはず。私がまだホテルのベッドの中にいる頃には、各地方空港で受付を済まされていたことになる。満席の飛行機は眠れない私達を乗せて、フランクフルトの第2ターミナルに17時40分に到着。その後全員で第1ターミナルまでスカイラインと言う電車で移動。乗り継ぎの待ち時間もたくさんあり、一度解散。その間に空港内のShopを見て回る。集合場所ではお疲れの若い方々が横になっていらした。Aまで地下道を通り、ゲートへ。21時40分、ヴェニス行きの飛行機が、夕陽が落ち、ほんのり茜色が残る空へ向かって飛び出した。そのうち色も段々青が強くなり、気が付くと夜空になっていて、星が瞬いていた。新空港になってからヴェニス空港へ降りたのは初めて。22時45分に到着はしたが、それから荷物が中々出て来なかったのは、夜で係員も少ないためだろう。まずはシャトル・バスで5分の船着場へ行き、ボートでLIDO島へ向かう。カジノもあり、夏など希望しても取れないリゾート・アイランド。24時過ぎているのに、たくさんの方々がホテルのガーデン・カフェでおちゃべりに花を咲かせていた。チェックインが終わり、お部屋へ入ったのが、24時30分。皆さん、明日のモーニング・コールまで何時間眠れるのだろうか。



2003年05月10日(土)、曇り、24℃
ローマ

早朝のオプショナルの送り出しを2本終了後、ゆっくり朝食へ。アメリカン・ブレックファーストのはずが、暖かいものはスクランブルエッグだけ。コーヒーもアメリカンのつもりか、かなり薄くてマズイ。きっとエスプレッソをお湯で薄めたに違いない。そこへホット・ミルクを入れて、カフェ・オー・レにしたいのだが、すごい色になる。とてもミルク・コーヒーの色ではない・・・溝水みたい。午前中はお部屋で精算やレポートを書いて過ごし、午後は近くのボルゲーゼ公園まで散策に出かけた。。一応目的はあった。10年以上前からずっと行きたかった、ボルゲーゼ美術館。好きなベルニーニの作品が多く展示してある。しかし、30分に90人の入場制限をしていた。そして、2時間以内の見学と言う制限もあった。すでに今日の分のチケットはソルド・アウト。予約も可能だったようだ。TEL:06ー32ー8101 http://www.ticketeria.it 午前中に来るべきだったと反省。次回また時間を見て来たい。それなら・・・と歩き出し、頑張って国立近代美術館へ。初めてボルゲーゼ公園内を歩くことになった。ボルゲーゼ枢機卿の別荘だった所に、木々を植え、噴水、美術館、庭園、動物園などを造った。今ではローマ最大の公園となっている。花が色とりどり咲いていた。イタリア周遊の道中にたくさんあった、赤いポピーも咲いていたので、写真に収めた。途中、レンタ・サイクルも発見。しかし、坂が多いので、大変かも。乗り捨てが出来たら、借りるのもいい。8ユーロでオート・サイクルもいい。国立近代美術館はモネ、セザンヌ、ゴッホ、ドガ、クリムト、ブラック、など1枚しかなく、モジリアーニが2枚、ジャコモ・バラはたくさんあったが、今ひとつだった。ここもフィレンツェのアカデミアと同じように、今週中は無料とのこと。見学後、公園内のこの場所はバス・タクシー乗り場がないと気が付いた。トラム乗り場はあるが、行き先に覚えが無いところばかり。結局、公園内を突っ切ってポポロ広場まで歩いた。ホテルからポポロ広場へ歩いて来た人は今までにいないだろう。今日はかなり歩いた。イタリアはタクシーの流しがないのが、辛い。空のタクシーはたくさん通るけど、止まってくれないので、探して歩くことになる。そうなるとタクシースタンドを探すより歩け・・・となるので、いつも長い距離を歩くことになる。今日は土曜日で、夜しかオプショナルの精算をするデスクが開いていない。時間調整をして、タクシーでデスクのあるホテルへ行った。聞くと、今日と明日はポール・マッカートニーのコロッセオの中でのコンサートがあり、タクシーなど大忙しで捕まらないと。コンサートに合わせて、観光もしている人達も多かったと言う事だった。今日のコンサートは21時から、ネット配信をしているようだ。オークションで500ユーロから権利販売したら、どんどん跳ね上がり、結局5000ユーロ(約67〜70万円)で200人が落札したらしい。明日はコロッセオの外で無料コンサート。
ボルゲーゼ美術館
17世紀建築
ボルゲーゼ枢機卿の別荘だった
別荘の近くにある建物 市営動物園入口
この時期ヨーロッパ各地で
見るポピー
国立近代美術館 入口のギリシャ式柱
4人乗りレンタ・サイクル チャイルド・チェアー付き 2人乗り
フラミニア広場から
公園の入口を見る
ポポロ門
この中にはポポロ広場があり、
スペイン広場まで徒歩7〜8分
ポポロ広場の双子教会と
エジプトから運んだ
紀元前13世紀のオベリスク


2003年05月09日(金)、晴れ、28℃
ローマ

8時にベンツのミニバスで出発。途中1度トイレ・ストップして、ローマのホテルへ11時20分に到着。ラッキーなことに、4部屋だけなのですぐにチェックインをさせてもらえた。12時20分までの休憩後、ピッザのお昼を食べに出かけた。モッツァレーラ・チーズと生ハムの前菜後、写真のピッザがサービスされた。13時半イタリア人ガイドさんがいらしたので、観光に出発。彼は日本語ペラペラで、奥さんが日本人。「お料理が下手だ」と嘆いていたのは笑った。100%マザコンのイタリアーノにはママの料理が世界一だから、誰でもきっとそう嘆くのだろう。
また大型客船の観光客と一緒になったようで、どこへ行っても大混雑。左はトレヴィの泉を囲む人達。夏のヴァカンス・シーズンならいつもこのような風景だが・・・コインも投げに行くのに、一苦労。コインは必ずここへ来る前に、バスの中でポケットに入れてもらう。そして、ジェラードを食べる人はその分もポケットへ。こんな人ごみの中で、お財布を開けて、コインなど探していたら、アッと言う間にお財布ごと無くなっているだろう。それに、角のジェラード屋さんではキャッシャーに並んでいて、お財布を掏られることもある。
サンピエトロ寺院も、コロッセオも大変な人だった。彼の担当でドイツ人も来ていて、7日間ローマにいると言う。ヴァチカン部分だけで丸1日かける。午前中はヴァチカン博物館をすべて回る。お昼はフリータイムでそれぞれ食事して集合し、午後はサンピエトロ寺院をくまなく見て周り、最後にフリータイムでミケランジェロ設計のあのクーポラへ登る。質問も多くてお勉強も必要でかなり大変らしい。彼はもう嫌でたまらないと言っていたが、それをすべてドイツ語で説明するのかと思うと尊敬!その辺の軽〜いイタリアーノとは違う。だからそれを考えると、日本人の半日観光はとっても楽だと嬉しそうだった。出来れば、私も7日間ローマで彼の説明付で、すべての博物館・美術館、教会、遺跡など案内してほしいと思うが、その前にそれに耐える体力は無いだろうと思う。ヘトヘトになるよと言っていた。もちろんすべて徒歩観光。
大型客船から降りて来たアメリカ人やドイツ人の旅行者、そして子供たちの学習遠足、そしてポールマッカートニーのコンサートへ来た人達・・・その他観光客でいっぱいの泉の周り。


2003年05月08日(木)、晴れ、29℃
フィレンツェ

9時にホテルを出発して約20分後ウフィッツィ美術館に到着。イヤホーン・ガイドは、ガイドさんとミート前でも街のこと、午後からのフリータイムのことなど、お話しながら歩くことが出来てとても便利。ガイドさんと会って、9時半の予約が取れていたため、すぐに館内へ。嬉しいことに、おじぃちゃんがいたので、エレヴェーターを使用可能だった。3階分を一気で上るのはかなり辛い。もちろん新婚さん達はガイドさんと階段で。いつものコースを回って、フリータイム20分。館内からの唯一写真を撮れる場所で、毎回同じように写す。まったく同じ写真となるが、今日はきれいにアルノ川にヴェッキオ橋の影が映っていた。橋の上の小窓はメディチ家のピッティ宮殿から外へ出ずして、このウフィッツィ美術館やヴェッキオ宮殿(現在の市庁舎)へ来ることが出来るようになっていた回廊。その当時は美術館ではなくメディチ家のオフィスがあり、1つでウフィッチョ、たくさんあったので、複数形のウフィッツィとなる。その後に収集した美術品を納めて展示したのが、美術館の始まり。今日のフィレンツェもヴェネチアと同じくらい人が多かった。ジプシーも同じくウロウロしていた。食事はマジェスティック・ホテル並びの中華「北京」へ。皆でシェアーするとたくさんの違う物を食べられて嬉しい。ここは、チャーハン、焼きそば、豚肉と野菜の炒め物などが美味しい。北京料理屋さんなので、マーボー豆腐は辛くない。一人チップを入れて、10ユーロ。私の分はおじぃちゃんがご馳走して下さった。きっとヴェネチアで目を丸くしていたのをご覧になったのかもしれない。それから一旦、ホテルへ戻った後、近くのバス・ターミナルへ。そして、他社のバスで4名様、ピサへ行かれた。ピサはジプシーが多いので、注意するようにお話してお見送り。ホテルへ戻り、夕方アカデミー美術館へ行ってみた。なんと今週末まで無料とのこと。そして、ミケランジェロの彫刻を6体と「ダビデ像」を見た。いつもシニョーリア広場でコピーは見ているが、本物を見るのは何年ぶりだろう。右側の壁に画像モニターがあり、上下左右とクルクル回して見られるようになっていたので、あれもこれもと回して遊んだ。気が付くとかなりの人が私の回した「ダビデ像」の顔、頭、手、肩など見入っていた。私はこれでしっかりダビデ像の頭のテッペンまで見たことになる。小石を持っていると言われている右手を後ろから見て、あれ?持っていないと解明したわけで・・・解釈がいろいろとあるかもしれないが、はっきり持っていないのがわかった。次回来た時に、ガイドさんに確認をしてみたい。そして、中々行けないサンマルコ美術館へ。土・日以外は13時50分で閉まるので、わかってはいたが、近くなので行ってみた。フラ・アンジェリコの「受胎告知」を是非1度見てみたい。教会部分は開いていたので、覗いてみることに。その後は、近くの孤児養育院へ。手前の教会の中ではミサが行われていた。美術館部分はもうすでに閉まっていた。ここも14時までとなる。その後はBARでカフェ休憩して、市場近くを通った。この辺りは毎日革製品やお土産物の屋台がたくさん出る所。警察が来るとすぐに逃げ出す、年中日焼けした人達もたくさんいる。そんな屋台の通りにあるサン・ロレンツォ教会でレオナルド・ダ・ヴィンチの特別展が開かれていた。ロンドンで15年前に見たのとは規模も小さかったが、写真がOKだったので、入ってみた。子供達が先生と来て見入っていた。もう終わる頃に、フラッシュOKとわかり、2枚は間に合った。今日は充実した日だった。左上はベッキオ橋、右は街角からのドォモォのクーポラ部分。
サン・ティッシマ教会 内部の様子 その奥は教会部分で、
かなり豪華
孤児養育院 院内の中庭 中央市場
ダ・ヴィンチの発明品の一つ
これで水平かわかる
ANAの以前の
シンボル・マークだった物
デッサン画
サンロレンツオ教会部分 中庭 中庭のツツジ


2003年05月07日(水)、晴れ、28℃
ヴェニス〜フィレンツェ

今日は大運河をボートで巡る人気のコースでスタート。ヴェニスの生活の匂いがして、喜ばれた。朝の出勤ラッシュの様子も見ていただいた。ボートで生活物資を運ぶのももゴンドラで人を運ぶのも。街の中ではボートから降ろした野菜、水、本、電化製品などを運ぶお兄さん達がいっぱい。どこを見ても絵になるヴェニスの風景に圧倒されて、そんなことなどはきっとお客様方の目には留まらないだろう。
今日はヴェニスが沈むのではないかと思うくらいの観光客がいた。遠足の子供たちもいっぱい。大勢の大人はきっと大型客船があったからそのお客様だろう。左はサンマルコ広場名物の鳩・・・学生が餌をあげていた。右は大運河巡りのリアルト橋の写真。皆さん一生懸命カメラを向けてシャッターを押しているのは微笑ましい。
藤やバラの花も満開で、窓辺にはゼラニュームの花もすでに植えられているホテルもあった。今日のゴンドラは渋滞気味。1組の新婚さんが二人だけで乗りたいとお申し出があり、ご案内した。1Kmで80ユーロだった。
15時にローマ広場を出発して、フィレンツェへ向かった。昨年の赤いポピーの畑はすでに機械で土がきれいに耕されて、お花畑はなくなっていた。山越えはトラックが多くて少々怖かったが、トイレストップを入れて、3時間15分でホテルへ到着した。32℃もあったと言う今日のフィレンツェはいつもと変わらず忙しそうだった。大都会へ入って来たと感じる。
明日はすべて徒歩観光・・・81歳の方は大丈夫だろうか。「タクシーをお呼びします」とすでに3回はお話をしたが、「大丈夫」とのこと。午後はピサへも行かれるので、心配。
朝の出勤は立ったまま
ゴンドラで向かいまで渡る
果物・野菜を運ぶ船 アイスクリーム屋さん
市場と生活物資運搬船 船から降した荷物を、
陸ではこれで運ぶ
大運河の朝の様子
ドゥカーレ宮殿前の人々 サンマルコ広場の人々 いつも左のサンマルコの下で
再集合の待ち合わせをする
大運河の景色 渋滞気味のゴンドラ アカデミア美術館
ホテル入口の藤とバラの花 藤がどこも満開 八重になっている藤の花
近代のヴェネチアン・グラス 木ノ子・・・これもV・グラス 広場のカフェ・フローリアン内
守護聖人:サンマルコ サンマルコ寺院を横から・・・ 寺院の横の彫刻が素晴らしい


2003年05月06日(火)、晴れ、26℃
ミラノヴェローナ〜ヴェニス

ミラノは白とピンクのマロニエが満開で、ミラノ城の蔦の新緑もまだピカピカに光っていた。この時期にしては異常な高温となったイタリア。すでに30℃以上の街もある。ここミラノもアルプスがすぐそこなのに、かなり暑い。今日のドゥモォは正面の汚れ落としをしていた。後方からの写真もきれい。市内観光中、何故か久々に日本人の団体を見て、嬉しかった。まだGWのツアーの残りの方々だろうか、どこも20人程のグループだった。明日か明後日には日本へお帰りと思う。81歳のおじぃちゃんは昨夜21時に休んで、24時に目が覚めたらしい。昨日ホテルへ入った時に、「出来るだけ日本で休む時間に、ベッドへ入って下さいね。そうしないと早く目が覚めますよ」 しかし、お疲れですぐにベッドで横になってしまったらしい。
ベローナへ向かう高速道路脇の土手には赤いポピーが咲いていた。モネの絵を思い出す。明日のヴェネチアからフィレンツェに向かう道中、右手には真っ赤なポピー畑が見えるかもしれない。昨年も見たような気がする。明日はカメラの用意をしておこう。
ヴェニスでの夕食はフリーだったので、お声をかけて、全員でホテルの近くのレストランへ行った。イカ墨、ボンゴレ、シーフードなどのスパゲティーにサラダとシーフードのフライなら誰でも美味しく食べられる。しかし、かなりお高目で、目が点に。写真はお部屋から見える風景をパチリ!もちろん、ホテルの真下は小運河がある。
ドゥモ(ミラノ大聖堂)後姿 内部のステンドグラス 修復中のスカラ座
EU世アーケード内の
床のモザイク
かかとでくるりと回ると
幸運が訪れる
アーケード内にある
プラダ本店
アレーナ:紀元1世紀 地震で壊れた部分の
一部が残る
アレーナとブラ広場

2003年02月23日(日)、晴れ、16℃
エルコラーノ

今日はポンペイで不発弾が発見され、撤去作業が行われた。そのためポンペイの遺跡や周辺のレストラン、ショップは全部閉鎖となり、急遽、近くのエルコラーノの遺跡見学をした。
初めてで、私はニンマリ。以前から一度は訪れたかった遺跡で、保存状態がポンペイよりいいと言われている。規模はかなり小さくこじんまりとしている。すぐ近くには民家も見える。これ以上の発掘は行われないと聞いた。ポンペイのように商業都市ではなかったようで、洗練された貴族の館が並ぶ。壁画がきれいな色を留めているのも注目したい。火山泥流で床が波打っていたり、住宅の木材が炭になって残っている。それでも見学に90分はかかった。
今回は毎朝早く起きて南下して来ていただいたが、快晴が続きお疲れのはずなのに笑顔が嬉しい。きっと素晴らしい写真も撮れ、いい思い出が出来たと思う。最後ここに来て、ポンペイの遺跡が見学出来なかったが、皆さん喜んでローマへお帰りになりホッとした。

海がすぐそこに見える 周りは現在の家が並ぶ 浴場の床のモザイク
脱衣場と服を置く棚 きれいなモザイクの壁画 鮮やかな色の残る壁画


2003年02月22日(土)、晴れ、14℃
ローマ(写真だけUP)

サンジョバンニ・イン・
ラテラーノ教会
4世紀にコンスタンティヌス帝が
寄進した土地に建てた。


2003年02月21日(金)、晴れ、13℃
ヴェニス、フィレンツェ、ピサ(写真だけUP)

ヴェニス名物のゴンドラ カーニバル用のマスク 大仮面舞踏会会場
イカ墨スパゲッティーで
全員お歯黒状態に。
屋根裏部屋からの景色 ヴェネチン・グラスのボトル
2月まで無料の電車で斜塔へ ピサの斜塔は昨年から
登頂可に
大聖堂ドゥモォと斜塔

2003年02月19日(火)、晴れ、10℃
ミラノ、ヴェローナ(写真だけUP)

ミラノのサンタ・マリア・デレ・ グラッチェ教会の前にいた交通整理のおまわりさん喜んでポーズを。 ヴェローナ
ジュリエット:胸を
さわると幸せになると
信じる人が後をたたない
あのバルコニー
ここでジュリエットが
ロミオを思い出し、独り言を。
ロミオの家
一般公開していない
ミラノ:近くの葉書屋さんの
ポスター
ダ・ヴィンチの最後の晩餐
サンタ・マリア・デレ・
グラッチェ教会 朝8時半
教会の入り口
ヴェローナの街を蛇行して
流れるアディジョ川
お気に入りの
スカリジェッロ橋
カステル・ヴェッキオの外観
スカリジェッロ橋からの眺め 古い井戸があちこちにある シニョーリア広場のダンテ像

2003年01月13日(月)、晴れ、12℃
ナポリ・ポンペイ・ローマ世界遺産

今日は7時15分発でポンペイとナポリへ行った。まだ薄くらい中、ローマ市内を抜けて、墓地を横目に高速道路へと入った。順調に進み、遺跡はゆっくり見学していただいた。韓国人団体が1本、日本人が5本くらいあっただけで、他には遺跡に住み着いた犬達だけ。きれいに晴れており、誰もいない広大な遺跡の中、この時期の良さの一つ、他人が入らずに絵葉書のような写真が撮れるのは嬉しい。ローマへの帰り道、電話が入った。今回パリからご参加の方の未着のスーツケースがやっと5日目の今日発見された。もう明日には帰国となるので、日本へ送るように手配。もしかして、うまくいけば、我々より先に到着しているかもしれない。このお客様はロスト・バゲージの保険へ加入されていたので、すぐに必要な物を充分お買いになれた。保険に加入していないと、普通1日40〜50ユーロ。3日目には「80ユーロ購入はOK」だとその航空会社の回答があった。そのあたりのことは帰国後に成田空港で交渉することになるだろう。夕食はスペイン広場へくり出した。7時半でほとんどのSHOPが閉まるために、お買い物好きな方は必死・・・2日前からバーゲンセールが一斉に始まった。どの一流ブランド店もキャッシャーに列が出来ていた。食事は和食と決め、いつも行くスペイン広場から3〜4分程の「浜○」へ。しかし、月曜日で閉まっていたので、すぐ3つ右横のよくご案内しているカジュアルなレストラン「Pizza Ciro」TEL06−678−6015、ADD:Via Della Mercede、43、へ入った。奥行きもあり、かなり広いレストラン。美味しいスパゲッティ・ボンゴレとブルスケッタ・ミスタ、コーラをオーダーした。チップを入れて、18ユーロ(2300円)。女性なら二人でも充分な量。その後はトレヴィの泉の近くのネット・プレイスへ前回のオマケの分で無料でネット三昧した。
アッピア街道の笠松
(地中海松)
バスの中より撮影
ポンペイの遺跡と
すっきり浮かび上がる
ヴェスビオ火山
政治の中心となった広場
右はナポリのアーケード。
左はナポリ港とヴェスビオ火山
ナポリは鹿児島市と姉妹都市を結んでいる。カゴシマ通りの名称石版がきれいになっていたのは嬉しい。


2002年04月13日(土)、雨、晴れ、雨、10〜16℃
ミラノ世界遺産

アンブロジアーナ絵画館
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵があるのでも有名。ラファエロのローマの
ヴァチカン博物館の「アテネの学堂」の下絵もある。
クリックで拡大します(予定?)

ラファエロ:ローマのヴァチカン博物館の「アテネの学堂」の下絵
★クリックで拡大
ローマのヴァチカン博物館の「アテネの学堂」 ボッティチェッリ「天蓋の聖母」
★クリックで拡大
アンブロジアーナ絵画館
7.5ユーロ
レオナルド・ダ・ヴィンチ
楽士の肖像
絵画館内
写真許可4ユーロ
ジョバンニ・ベッリーニ レオナルドのある部屋の様子 日本の伊万里焼きの巨大な壷


2002年04月12日(金)、雨、5〜16℃
ヴェネチア〜ベローナ〜ミラノ世界遺産

今朝はどしゃぶりだった。写真はAM8:30頃、部屋から眺めた小運河。大小の運河が巡る街ヴェネチア。公共の交通手段も運河を行く水上バス、そして水上タクシー。ポリス、消防、ゴミ屋さん、引越し、我々のスーツケースもすべて船となる。
今日はAMはフリータイム。ホテルが街の中心なので、ホテルから右へのサンマルコ広場へも、左方向のもリアルト橋までも3〜5分以内で行くことができる。
13:00ホテルから出発して、またJALBUSにてミラノへ向け出発となる。途中、ベローナを約1時間徒歩観光する。ミラノのホテル到着は18:30頃の予定。
ヴェニス、ホテルの部屋より
ベローナも雨だったが、約1時間徒歩観光をした。ジュリエットの家は雨でも混雑していた。ここもヨーロッパの学生がたくさん来ていた。バスを見ると、スペイン、ドイツ、フランスからが多い。修学旅行シーズンのようだ。
写真はジュリエットの家のバルコニー。「ロミオ、ロミオ、あなたは何故ロミオなの?・・・」

結局今日は人数の関係でJALBUSは2台運行となった。1台はラッキーにも我々28名だけ。ミラノは金曜日ということもあり混んでいたが、18:45には到着した。
ヴェローナ:ジュリエットの家


2002年04月11日(木)、曇りのち雨、13℃
ヴェネチア世界遺産

今日は朝から事件が起きた。集合そして出発の時間がきてもいらっしゃらない方が4名様。お部屋へ電話してもいらっしゃらずに困っていた。その方々はなんとエレベーターに閉じ込められていたのだった。長距離の出発は余裕をもって設定しているので、20分の遅れは解消できると思っていた。しかし、2時間後のトイレストップ時に、この先の高速道路が事故で6kmも渋滞しているとの情報がドラーバさんへ入った。一般道を1時間走り、高速道路へ再び戻り、ヴェネチアへ向かった。高速を下りて、さていよいよヴェネチアいう時に、また渋滞にはまり、結局ローマ広場へ着いたのは12:50頃だった。結局ボートでサンマルコへ行き、徒歩でホテルへ、そして荷物を置いて、レストランへ入ったのが14:15頃。遅い食事となってしまったが、お腹が空いていたので、サラダ、イカ墨スパゲティ、イカのフライも美味しくいただけた。観光後の雨の中のゴンドラも何故か好評だった。ヴェネチアは客船も入っていて、かなりの観光客で賑わっている。やはり、今日も寒い1日だった。


2002年04月010日(水)、晴れ、16℃
フィレンツェ世界遺産

今日は昨日の雨がウソのように晴れあがった。しかし、かなり風があり寒かった。ガイドさんも今日は冬のコートを着ていた。そんな中で皆さんは「日本と同じくらいと思って来た」と、誰もコートは持っていない。しかし、お昼にはいつものように暖かくなってきた。それでも影は寒い。日本と温度が同じでも、普段よりは外で過ごす時間も長いし、風で体感温度はかなり低いので、注意したい。今日はウフィッツィ博物館が朝1番の8:15で予約が取れていたので、11:00には解散出来た。その後の時間を有効に使っていただけたと思う。私も解散場所からホテルへ帰る途中にあったバルジェッロ国立博物館へ行った。13世紀の建物で16世紀には警察署だったが、現在は博物館となっている。ミケランジェロの彫刻がいくつかあるので、1度行ってみたかったところ。写真撮影は出来ない。お昼は昨日のJALBUSのガイドさんとホテル近くの中華へ行った。午後はピサへの送り出しをして、近くのメディチ家の礼拝堂へ。モザイクの礼拝堂にはトスカーナ大公らの棺が安置されている。ここを見ただけでも、メディチ家の偉大さがわかる。別室にはミケランジェロが設計した部屋があり、ミケランジェロ作の豪華王ロレンツォの息子と孫の棺が2つある。
ウフィッツィ博物館の3階より
ドゥモォとベッキオ宮殿の塔
逆光のウフィッツィ博物館
メディチ家のオフィスだった
今日のベッキオ橋:
ウフィッツィ博物館3階より
サン・ロレンツォ教会と
革の青空市場
教会内部 ブルネレスキー
教会内部のドナテッロの説教台 ドナテッロの説教台 受胎告知
レオナルド・ダ・ヴィンチ ミケランジェロ ピノッキオは
フィレンツェ近くの子

2002年04月09日(火)、曇り時々雨、15℃
アシッジ世界遺産

ローマからWCストップを入れ約2時間半、聖フランチェスコの誕生の地として有名な街アッシジへJALBUSで行った。全員で38名。温度が上がらず、肌寒い1日だった。観光の中心はやはりサンフランチェスコ教会。下の教会は1230年、上の教会は1239年完成の二重構造となっている。サンフランチェスコのお墓は、下の教会の地下にある。右から降りて、左から上がることになっている。5年前にアッシジは大きな地震があった。前日の余震の後の修復をしている最中に、大きい揺れの本地震があり、5人が亡くなった。現在は修復作業はほぼ終わっている。
最近はローカル・ガイドがいても教会内は説明禁止である。神父様のお話は聞くことが出来る。日本人の神父様が一人いらっしゃる。
街を歩く神父様 サン・フランチェスコ教会 アッシジ市庁舎
街の中 街の入口の
サン・フランチェスコの門
ポポロの塔と2100年前の
ミネルヴァ神殿がある
コムーネ広場
ヌオーヴァ教会、1615年
父親の実家の跡に
建てられた教会
サン・フランチェスコの両親 サンタ・マリア・デリ・
アンジェリ教会
バスの中より撮影
イル・フラントイオにてラビオリ メインはターキー デザート:白いのはパンナコッタ


2002年04月08日(月)、晴れ、7〜20℃
ローマ世界遺産

今日はホテル出発時に2名の方が10分も遅刻された。ホテルの前の道は狭いので、大型バスがいるだけで交通渋滞を引き起こしている。結局後ろがつかえていて待てないので、ホテルのある周辺を1周してもう一度ピックアップに来てもらった。
何故遅れたのかは聞かない。一番良くわかっているのはご本人。若い女性だったので「可愛く、大きな声で、『すみませ〜ん』って言って乗ってね」とやんわりアドヴァイス。とても大切なこと。最近は遅れても堂々といらして、お待ちの方々に謝らずに乗り込む方も多いのだから。車内の雰囲気がシラ〜とすることもある。だからこういうアドヴァイスは必要と思う。
昼食後、ホテルの近くのサンタ・マリア・マジョーレ教会へ行った。ここはお告げ通り、真夏に雪が降ったという奇跡があった地に立つ教会。356年のことである。
教会の祭壇近くの地下に置かれたこの黄金の入れ物の中には、木の破片が2本入っている。ガイドさん付きでないので、帰宅してから調べてみることに。きっと「聖なる○○」と言うこの教会で一番のお宝に違いない。17:00きっかりにそこだけが立ち入り禁止になり、目の前でこの入れ物の下からドアが上がって完全に見えなくなった。銀行にいるようだった。蓋をされた状態。日本人はあまり来ない場所で、ローマ4大教会のひとつ。7〜18時オープン。地下には博物館もあり、教会のお宝を見学できる。頻繁にミサが行われる教会でもある。ヨーロッパ各国語の懺悔室もあった。
市内の「真実の口」は先日の車の事故でまだ工事中のようだ。フォロ・ロマーノの入場は無料となっている。子供達の社会見学の旅行があるらしくて、どこも賑やかだった。
教会の裏の広場 正面のファサード
18世紀のバロック様式
内部のチャペルのひとつ
内部のチャペルのひとつ 天井が素晴らしい
初期キリスト教の
教会建築
チャペルのひとつの天井


2002年03月16日(土)、晴れ、19℃
ローマ世界遺産

今日は朝が寒い位だったが、お昼は半袖でもOKな程暖かだった。昼前に初めて個人的にカンピドリオの丘に登った。まずはミケランジェロの設計の緩やかな階段を登った。よく観光バスから見上ていた階段だ。上までの段の数を少なくしてあり、雨だと滑りそうな坂になっている。最上段がカンピドリオの丘になっている。中央にローマ市庁舎、左にミケランジェロ設計のヌゥオボ宮殿。右コンセルヴァトーリ宮がある。両方とも今は博物館となっている。入館料6.20ユーロで両方へ行ける。先ずはコンセルヴァトーリから見学した。巨大な壁画の部屋や彫刻の部屋が続く。地下へ下りてみた。遺跡が展示されていた。そのまま先に進み階段を登ってみたら、そこには裏手に広がるフォロロマーノが一望できるテラスとなっていた。ここがローマの政治の中心地だった所。その素晴らしさに初めてかのように時間を忘れて眺めていた。それから階段を下りてもとへ戻ろうとしたが、別の階段があったので、登ってみた。そこは絵画館となっていた。カラヴァッジョやティントレット、そしてルーベンスの「レムロとレモ」の絵があって驚いた。ローマの語源となった双子の兄弟の話を題材にした絵を彼も描いていたのか・・・とちょっと不思議でもある。
真実の口:最近車が突っ込んでしまって工事中で近づけないので、口の中に手は入れられません。ウソツキさんはほっとしているでしょうね。
今日はとうとう底の留め金が1個壊れてしまったので、トランクを買った。ひびはたくさん角に入っていた。まだ何とか大丈夫と思いながら使っていたが、もう限界。留め金が壊れたら、日本へ帰る前に空港で投げられた時に、パカっと中身がこぼれたら嫌なので、購入した。
ヌォボォ宮 ローマ市庁舎 コンセルヴァトーリ宮
テラスから眺めたフォロロマーノ 大ホール:
フレスコ画が素晴らしい
地下道
ルーベンスの「ロムロとレモ」 博物館内「ロムロとレモ」 市庁舎の右側の柱の上にあった
巨大な手
テッシュ・ペーパーを置いた
ので大きさがわかると思う。
3年位使ってとうとう
壊れたトランク
かなり汚い? お疲れ様!
今日ナツォナーレ通りで
買ったイタリア製のトランク
今度はいつまでもつか・・・。


2002年03月15日(金)、曇り時々雨、19℃
ローマ

今日は道中雨が降ってきた。ローマも曇空で時々雨となった。人は相変わらず多い。観光バスを2000年の大聖年に締め出したのが、未だに続いており、ほとんどが徒歩観光となる。途中公共のバスまで使う観光は世界中でここだけかもしれない。観光バスで動ける部分でも、駐車した所から観光地まで遠い。本当に足腰が丈夫で元気なうちに来ないと大変。下はお天気のいい時の写真を再利用した。
トレヴィの泉 サンピエトロ寺院


2002年03月14日(木)、晴れ、19℃
フィレンツェ世界遺産

今日は全部ホテルからの徒歩観光だった。5星のヴィラ・メデチ・ホテル(メディチ家の別荘だった館)ではあるが、中央までは遠い。タクシーで14名様先に行かれた。残りの6名様とアルノ側沿いに歩いて、ウフィッツ美術館へ。いつものように13世紀の絵画ジョットの「オニサンティの聖母」から巡るコース。有名なボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」、ミケランジェロの「聖家族」ただしこれは今修復に入り、コピーが展示されている。ラファエロの「ひわの聖母」など中心に見学。ここは世界最大のルネッサンス美術の絵画コレクションがある。これらの美術品はメディチ家が代々財力に任せて収集していたもの。ここ美術館もメディチ家のオフィスだった所。予約無しだと夏季などは何時間も並ぶことになる。その後は、シニョーリア広場でミケランジェロのダビデ像(コピー)やフィレンツェ市庁舎のヴェッキオ宮殿など眺めて、ドォモオへ。そして革のデパートで解散となった。2名様午後のオプションのピサの斜塔へのバス乗場へご案内し、その近くのサンタ・マリア・ノベッラ教会を見学した。

ジョット ジョットの塔 シニョーリア広場
市庁舎のヴェッキオ宮殿 市庁舎内部の中庭より塔を見る 内部のフレスコ画が素晴らしい
教会内部 サンタ・マリア・ノベッラ教会 祭壇のステンドグラス
ダンテの家の前の胸像 サンタ・クローチェ教会
ミケランジェロのお墓がある
回廊のきれいな建物:サンタマリア
・ノベッラ教会の正面にある

2002年03月13日(水)、晴れ、16℃
ヴェニス世界遺産

お天気もよく、暖かくて気持ちいい朝9時15分から水上タクシーで大運河巡りをしながら、サンマルコ広場近くまで行った。ドゥカーレ宮殿とサンマルコ広場、寺院内の見学後、ヴェネチアン・グラスの工場直販屋さんへ行き、15時半まで解散とした。効率よく回ることが出来て、ウィンドーを眺めるだけも楽しい街。絵画の好きな人はドゥカーレ宮殿でも充分にヴェネチア派のヴェロネーゼ、ティントレットなどが見られて嬉しいが、他にアカデミア美術館もある。冬は早目に閉まるので注意したい。ヴェニスと言えば、イカ墨スパゲティ・・・お歯黒状態で食べるのが楽しい。ゴンドラもロマンチック。自由時間の3時間くらい歩き過ぎて、かなりクタクタ状態。

サンマルコ広場
タワーは6ユーロ
眺めは最高!
ゴンドラ
62ユーロで6人まで乗れる
アカデミア橋より
大運河を眺める
犬をいっぱい見た
お天気がよくって
気持ちよさそう
ヴェネチアン・グラスの
職人さん
グラス類だけではなく
こんな作品もある


2002年03月12日(火)、晴れ、17℃
ミラノ

お天気に恵まれて、暖かい1日だった。現地の子供達や学生の研修が多く、どこへ行ってもにぎやかだった。今回はイタリア三大オペラ座の一つスカラ座が修復工事に入り、内部の見学ができなくなっていた。3年計画とのこと・・・きっと、5年はかかるでしょう。工事が大幅に遅れるのはいつものこと。3年後に工事が終了しなくても、誰も気にしないし、驚きはない。それを思うと日本の工事は素晴らしく早いし、確実に予定には終了している。スフォルツェスコ城の博物館も工事中だったが、ミケランジェロの最後の作品「ロンダーニのピエタ」は見ることができた。
昼食後、ヴェネチアへバスで移動した。途中、世界遺産の街ヴェローナへ立ち寄った。
ドゥモオ:2001年の写真 ドゥモオ内の
ステンド・グラス
スフォルツェスコ城近くで見た
騎馬警官
ミケランジェロ未完成の
ロンダーニのピエタ
ミケランジェロが死の直前まで
取り組んでいた作品。
マリア様の右頭には
別の顔が見える。
気に入らなくて直したのが
わかる。
ミケランジェロ


2002年1月11日〜18
サルデーニャ島(別ページあり)


ため息の出るくらいどこまでも透き通っているサルデーニャの海

2001年11月28日(水)曇り、10℃
ローマ国際空港

4時15分のモーニング・コール、5時15分にホテルを出発した。またまた暗い夜逃げ状態。空港に着くとすぐに異変に気が付いた。アシスタントさんに「すっごい汚いねぇ」「清掃業者がストライキだから」「はぁ〜?!」 今回はナポリでストライキに遭遇したが、はまらずに済みホッとしていた。まさか空港でそれも清掃業者がストライキを行うとは・・・。中のロビーも航空会社のカウンター前などもゴミが山になっていた。悪臭も少しする。聞いてみたら1週間はこのままだと言う。たぶんこれが日本なら、誰か空港関係者・航空会社なり・・・お掃除をするだろう。チェックインカウンター内も見るとタッグなどが散らかったままで放置されていた。そこに平気でイスに座り、我々の搭乗券を発見している。いつまで続くのだろうか、心配しながらの出国となった。


2001年11月25日(日)晴れ、9℃
フィレンツェ

午前中のお天気は曇りで寒かったが、午後からは晴れ気温も9℃まで上がった。フィレンツェ市内は市民マラソンがあり、ミケランジェロ広場まで大型バスは上れずに断念。ウッフィツィ美術館、シニョーリア広場、ドゥモォ、サンタ・クローチェ教会を見学。日曜日のため、ドゥモォ教会内はミサで入れなかった。午後は市内から高速を利用して85分走りピサへ行った。ピサの斜塔(世界遺産)は修復が終了し、12月10日から昇ることができるとのことだが、誰もそれを信じてはいないところがイタリアらしい。ジプシーの子供達が5人いた。
ドゥモォのクーポラと
今にも泣き出しそうな空
昨年のドゥモォとジョットの塔 ドゥモォのクーポラ設計者:
ブルネッレスキ
昨年夏のベッキオ橋:市内最古の橋


2001年11月24日(土)晴天、ー2℃〜10℃
ミラノ

今日は朝からお天気が良く、気持ちのいい1日だった。スカラ座〜スカラ座広場〜ヴィクトリオ・エマニエル2世・アーケード〜ドゥオーモ〜ミラノ(スフォルツェスコ)城と見学した。
残念ながら、スカラ座の中は撮影禁止。ロビーと博物館のみOK。開館:09:00〜12:00、14:00〜18:00 舞台の上では大道具さんがステージで作業中だった。ドゥモーオは屋上に登ることが出来る。9:00〜17:30(〜16:30冬季) 
ミラノ城はレオナルド・ダ・ヴィンチも建築にかかわったという。市立美術館にはミケランジェロが死の直前まで制作の「ロンダニーニのピエタ」像がある。絵画はティントレット、マンテーニャなどの作品がある。道が凍結するので塩が撒いてあった。
今回はサンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会のレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は見学に含まれなかったが、最近は予約が必要。
昼食はミラノ風のリゾットとカツレツだった。ちょっとシンが残ったものが本場のリゾット。カツレツはお肉をスライスして平たくして小麦粉で揚げたもの。日本人には人気の内容。
ドォオーモ:14世紀着工
19世紀完成
スフォルツェスコ城
1466年完成
スカラ座:1778年完成後、
空撃で破壊、1946年再建
スカラ座のロビー スカラ座博物館内
ロッシーニ胸像
トスカニーニ
ショパンの左手石膏 音楽家の部屋 遺跡の陳列部屋
スカラ座広場の
ダ・ヴィンチ像
ミラノ風リゾット ミラノ風カツレツ


2001年11月07日(木)晴天、18℃
ローマ

今日は朝5時45分に起きて、6時半から食事、7時には空港へ向け出発した。カウンターへ全員9名で移動していた時、他の日本人グループの知り合いのT/Cが駆け寄って来た。「どこへ行くの?」「ん?ローマだけど」「飛ぶの?」「えっ、飛ばないの?」「うん、5時に出て来たけど、フライト・キャンセルで14時の飛行機を待っているの・・・」と。8時頃に言っていた。同じローマへ行くのにたまたま飛行機がキャンセルになってしまったようだ。我々は定時に飛び20分も早く11時20分にはローマ空港にいた。
今日はコロッセオからサン・ピエトロ・イン・ピンコリ教会とバチカン市国のサン・ピエトロ寺院を見学した。このコースはこだわって作ったので、毎日が盛りだくさんで皆ヘトヘト。夕べもセーヌ川クルーズでホテルへ入ったのが23時。毎日出かけるのは早く、帰りは遅いので睡眠時間が少ない。しかし、初めてサン・ピエトロ・イン・ピンコリ教会へ行き、見たかったミケランジェロのモーゼ像を見ることができ、かなり私は満足。
サン・ピエトロ・イン・ビンコリ教会
画像紛失 聖ペトロ(サン・ピエトロ)がローマで囚われた時の鎖を祀るために5世紀に建てられたサン・ピエトロ・イン・ピンコリ教会。
その後15世紀に再建された。
ミケランジェロのモーゼ像があることでも有名。
冬場:午後は15:30からオープンする。

教会内中央の聖なる鎖 サン・ピエトロ・
イン・ピンコリ教会
ミケランジェロ25歳の時の作品、
ピエタ像
サン・ピエトロ寺院内
ミケランジェロ作、モーゼ像
イン・ピンコリ教会内
ミケランジェロ作、
左:ラケーレ像、
中央:モーゼ像、右:リア像
イン・ピンコリ教会内
コロッセオ
外壁:暑い日や悪天候時は
天幕も張った
5万人の観客席
地下道などが
剥き出しとなって見える
地下から猛獣や
奴隷が出てくる
紀元前72年に建設が開始され80年に完成。楕円形のコロッセオは長い方は187m、短い方は155m。長い間コロッセオはローマ全体の建設のための資材として壁や鉛など剥ぎ取れていった。冬のコロッセオは15:30クローズ。

2001年05月14日(月)晴天、25℃
カプリ島(イタリア)

青の洞窟内

ナポリ港から水中翼船にて45分、カプリ島到着。モーターボートに乗り換えて約15分。洞窟の手前でもう一度おじちゃん達の手漕ぎボートに乗り換える。そしていよいよ洞窟内へ。お天気、波の高さによっては入れない。特に冬場は確立が低くなる。
今日はラッキーなことにすぐに入れた。興奮してサングラスのまま入り出て来た人がいらした。出た後に気が付いて「それでもとてもきれいだった」とのこと。良かった,良かった。
グランデ・マリーナ ウンベルト1世広場 カプリのSHOP街
カプリ島のウンベルト1世広場には3週間前にキヌア・リーブスがいたらしい。「他にも以前ハリソン・フォード、ナオミ・キャンベルなどたくさんいろんな人見たよ」とガイドさん。世界中の有名人が(・・・でない人も)お茶する広場。今回はゆっくりする時間があって、有名人になった?気分でエスプレッソを飲んでみた。ウー、ニガ〜イ!


2001年4月03日(火)、晴天17℃
ナポリ(イタリア)

ナポリ湾とうっすら見えるベスビオ火山
「ナポリを見て死ね」
ナポリは鹿児島と姉妹都市。鹿児島にはかなりりっぱな「ナポリ通り」がある。ナポリにも実はちゃんと「KAGOSHIMA(鹿児島通り)」がある。しかし、こちらは街の裏通りでくねっているし、お世辞にも立派とは言えない。これに関して鹿児島県人は何も感じないのか、と思っていたら、私と同じようにこの道を見てショックを受けた人もいたらしい。強く変えて欲しいと申し出をしているらしい。でもきっと何も変ることはないと思う・・・だってイタリアでそれもナポリだもの。上の写真はナポリ湾でとても鹿児島に似ている。後方のベスビオ火山は桜島のように見える。これは誰もが納得するだろう。


2001年4月02日(月)、晴天21℃
ローマ(イタリア)

バチカン博物館へ行った。8:45オープンだが、8:30に行って並んだ。月曜日は他の美術館などお休み。そのためこちらの見学に集中する。オープン5分後はもう内部にいた。今日は待ち時間はかなり少ない方だった。夏のひどい時は数百m並ぶことになる。時間に余裕のある人はできるだけ月曜日は避けたほうがいい。博物館内はフラッシュなしなら写真撮影可。システィーナ礼拝堂(ミケランジェロの最後の審判)は不可。
博物館の中庭 彫刻のコーナー 礼拝堂への回廊 ラファエロの間


2001年4月01日(日)、晴天20℃
ローマ

朝5:30起きでローマへ。イギリスと大陸は時差が1時間あるので機内で時計をプラス1時間とする。今日は私たちは23時間しかないことになる。
「昨日までは寒かった」と言われたローマは今日はとても暖かく、昼間は半袖でも大丈夫なくらいだった。しかし、海に行くには早いし・・・という地元の人々も繰り出し、午後は世界中の観光客と共にぶらぶら散歩している。どこへ行っても大混雑。日曜日でお店も開いてないのに、世界の一流品店が並ぶスペイン広場の前のコンドッティ通りも原宿の竹下通り状態だった。
夕方は今日ローマがサッカーで勝ったようで 旗を持った車、バイクが街を練り走る。いい大人がクラクションを鳴らし、人々に勝利を告げる。ふと信号待ちで隣になったおじ様方に、「中田の親戚よ・・・」と冗談を言うと、「イデ(HIDEだがHを発音できないのでIDEとなる)によろしく!」と言われた。でも彼は今日は出場してなかったようだ・・・。
サンピエトロ寺院 トレヴィの泉 コロッセオ スペイン階段


2000年12月09日(土)晴れ16度
ローマ(イタリア)

25年に1度だけオープンするサンピエトロ寺院の天国の扉を一目見よう、潜ろうと世界中から信者さん達、観光客が集まっている。広場からすでに数千人が長蛇の列を作っていたので、入るのを諦めた。
8日(金)はイタリアは祝日。土、日と合わせて3日連休のイアリアは各地から巡礼者達が集まっていた。
世界のブランド物が集まるコンドッティ通りのあるスペイン広場前は、クリスマス前のプレゼントを買う人もあるのか、身動きできないほどの大混雑ぶり。東京原宿の竹下通りか土曜日のロンドンのオックスフォード・ストリートのような賑わい。同じようにスリなども集まっているのでこれまで以上に注意が必要。


2000年12月07日(木)曇り
フィレンツェ(イタリア)

レストランTOTO : Borgo SS、Apostoli 6  TEL(055)212−096
シニォーリア広場からは5分。ヴェッキオ橋の手前の2本目の道を右へ入り、最初の角。
フィレンツェ名物のビフテキが美味しい。目の前でカットし、炭火で焼いてくれる。


2000年12月05日(火)曇りのち霧
ヴェニス(イタリア)

今回のヴェニスのホテル近くには美味しいレストランはいくつかあるが、今夜は一番近くのシーフード・レストラン LA NOUVA  GROTTA へ入った。
日本語メニューもあり、ウェイターも少し日本語が出来る。彼らのおすすめのグリルセットは日本人にはかなり量が多いので注意。お魚は100gでいくらと表示されているので、これも要注意。
何でも1皿の量が多いので、各自取皿もらってシェアするといい。
今夜は偶然レストランでお会いした3人の方々との女性4名で、イカ墨スパゲティ1皿、ボンゴレ・スパゲッティ1皿、生ハムとメロン1皿、イカのから揚げ1皿、手長えびのグリル2皿(1皿5匹)、水1本で、チップ込みで200000リラ支払った。一人約¥2800。各種カード使用可。
住所:Casteiio,4538 TEL:044-523-7853
ダニエリ・ホテルの横の道を入り、最初のシーフード・レストラン LA NUOVA GROTTA
ヴェニス名物、イカ墨のスパゲティがとても美味しい。
しかし、お歯黒状態になるので注意。
手長エビのグリルは量が少ないのにお値段はいいがかなり美味しい。はずれることはない。


2000年12月05日(火)曇り
ヴェローナ(イタリア)

ロミオとジュリエット、そして夏のオペラ上演で有名な円形劇場アレーナのあるヴェローナ。
そんな街にルイ・ヴィトンがオープンするらしい。 そのアレーナ前で工事中だった。
再集合場所に最適な角である。しかし、入店し、お買物を始めたら時間だけはかかる。だいたいここは自由時間でもせいぜい30分位の街。遅刻者が多くなりそう・・・。やはり再集合場所は変更しよう。 
これ以上ヴェニスやミラノへ遅く入るわけには行かない・・・。特に、冬は4:30で暗い、お天気が悪かったら4:00でも薄暗くなる。



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